内海桂子は97歳で世を去るまでツイッターを駆使しまくっていた!結婚した夫・成田常也とは?

内海桂子は97歳までツイッターを駆使しまくっていた!結婚した夫・成田常也とは?


内海桂子のプロフィール
◆生年月日:1922年9月12日
◆死没:2020年8月22日
◆出身:東京都
◆血液型:A型
◆所属事務所:マセキ芸能社

内海桂子は97歳で世を去る4ヶ月前までツイッターを駆使しまくっていた

2020年8月22日に、97歳で亡くなった内海桂子(うつみけいこ)。亡くなる4ヶ月前までツイッターを駆使していました。言葉を聞き取って更新操作をしていたのは、24歳年下の夫でマネージャーの成田常也。夫・成田常也が2020年4月15日に脳出血で倒れるまで、ツイッターの更新は続いていました。最後のつぶやきとなった4月14日の投稿は、新型コロナウイルスの状況下で支援が届かない小さな店を案じるもの。その死が報じられた後には、冥福を祈るコメントが並びました。

内海桂子といえば、16歳で漫才の初舞台を踏んで以来、女芸人のパイオニアとして君臨し続けること81年。現役最高齢芸人記録を塗り替え続けた伝説のような存在です。
内海桂子より30歳ほど若い世代でも、パソコンやスマホの進化にハードルの高さを感じている人が多いというのに、90代になってもツイッターを使いこなしていたとは、頭が下がるばかり。内海桂子のツイートの内容は、日常の出来事と心情を綴った日記形式で、ほぼ毎日更新されていました。



「最近、夜中にはばかり5回」など高齢ならではの話題もあり、「コレステロール=これ捨てロール」という夫とのかけあいから生まれたダジャレもあり、ツイッターの字数制限144字いっぱいに詰め込まれています。その闊達(かったつ)すぎるつぶやきには、内海桂子が超高齢であることをすっかり忘れさせられてしまいます。
「私から元気を貰えるっていうなら、何でも貰ってくれていいけど、私だって若い人たちからパワー貰いたいんだよ」という思いが、内海桂子をツイッターへと導いたそうです。

内海桂子に24歳下の夫・成田常也が一目惚れ?!電話、手紙の猛アタック!

内海桂子は1999年に、夫・成田常也と結婚しました。当時、77歳の内海桂子と24歳下の夫・成田常也との年の差婚は、テレビでも大きく取り扱われ、内海桂子が「棺桶担ぎ」「墓守を雇った」と称したことも話題になったものです。

2人の出会いは1987年。内海桂子が、アメリカで航空会社の営業担当をしていた成田常也にロサンゼルス公演を依頼されたことがきっかけでした。成田常也は、子供の頃から内海桂子の漫才のファンだったため、もともと会いたいという願望を持っていたそうです。そして、お礼を兼ねて内海桂子の楽屋を訪れた時に、思わずその着物姿に一目惚れしてしまいます。当時の成田常也は40歳でした。

その後、成田常也は内海桂子に毎日国際電話をかけ、1日1通の手紙を送り続けること300通目に「僕と結婚してください」としたためました。内海桂子が返信したのは、それに対する「日本で職についてください」という1通のみでしたが、半年後に成田常也が日本の仕事に転職したことをきっかけに交際に発展、10年近い事実婚の末に結婚に至ったのです。内海桂子には息子、娘と2人の子供がいますが、未婚のシングルマザーだったため、成田常也が初めての結婚相手でした。

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内海桂子・好江の漫才は弟子のナイツに受け継がれた!夫・成田常也やナイツとの関係に見る若さの秘訣

内海桂子・好江の漫才から弟子・ナイツが受け継いだもの

内海桂子・好江は、内海桂子が14歳下の弟子・内海好江と約半世紀に渡って組んでいた音曲漫才コンビ。第4回新人漫才コンクールで優勝してからというもの、数々の演芸賞をほしいままにしてきました。しかし1997年に内海好江が胃がんで他界したために、活動の歴史に幕を下ろすことになってしまいます。


その漫才の魂を受け継いだのは「ヤホー漫才」で2008年から3年連続M-1決勝進出を果たしたナイツです。ナイツは、2000年にコンビを結成した直後から内海桂子に弟子入りしています。ところが、ナイツにとって、内海桂子が言う「漫才は宇宙」は意味不明で、師匠である内海桂子のほうも「ヤホー漫才」を理解できなかったといいます。


しかし、音曲漫才を主としてきた内海桂子・好江の漫才は、ナイツに「南京玉すだれ」をもたらしました。内海桂子は、どこに呼んでも、ナイツに今では珍しくなった「南京玉すだれ」をやらせたそうですが、彼らにとって他にはない宝になったに違いありません。
ナイツが常にスーツを着て漫才に挑むのも、内海桂子の教えでした。こうして伝統ある内海桂子・好江の漫才は、「ヤホー」という時代の色と混ざりつつ受け継がれることになったのです。

内海桂子の夫・成田常也やナイツとの関係に見る若さの秘訣!

内海桂子・好江が結成された時には、内海好江はまだ14歳でした。第1回新人漫才コンクールで優勝を逃したために内海好江を責めて、自殺未遂に追いやってしまった苦い経験も、内海桂子の器を大きくしていったのかもしれません。

ナイツが内海桂子に出会った頃は、漫才には厳しかったようですが、非常に大らかであったそう。ナイツによると、当時、80歳を超えていた内海桂子は、浅草の寄席に出演した際に、15分の持ち時間のはずが「まだいいじゃないの~」と40分を過ぎても喋り続けることがよくあったといいます。

待ち時間が過ぎたことを舞台袖から知らせるのは弟子の役目ですが、客席に聞こえない程度にそっと呼びかけても、耳の遠くなった内海桂子には聞こえません。困ったナイツが、夫・成田常也に相談すると、「教えてなかったね。カンタンだよ」と、内海桂子の顔面めがけて懐中電灯を照射したそうです。

すると内海桂子はまぶしそうにのけぞって、「そろそろお時間が来たようです」と締めたのでした。このエピソードからは、内海桂子のおおらかさと、夫を含めた若い世代との良い関係がうかがえます。
老いに甘えないこと、老齢だからといって優しくされすぎず、少しくらいハッパをかけられることが、内海桂子の若さを保っていたようです。


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内海桂子は90代で若さの秘訣を語っていた!夫・成田常也の体調回復後に97歳で大往生

内海桂子がが90代で若さの秘訣を語っていた!

成田常也との出会いの時点ですでに初老の域だったはずの内海桂子。90歳を過ぎてからも24歳も年下の夫・成田常也とイチャつくという若々しさでした。恋をすると若返るとは言いますが、
その若さの秘訣は、恋だけではありませんでした。

内海桂子いわく「老けたとか、若いとかって自分次第。年齢は関係ない」ということなのだとか。内海桂子のツイッターの老いを感じさせない文面からは、自分の考えを持ち、それを発信し続けるということが、いかに活力になり得るかがよく分かります。

恐れずにどの世代にも飛び込んでいくこと、常に頭を使って思うことは口にすること、身体が使えるうちはとことん使っていくことをモットーにしていた内海桂子。「60~70歳ぐらいの人間は若造。ガタガタ言うな!」という発言にも、衰えぬ生命力の源がその考え方にあったことを感じさせます。

内海桂子が97歳で死去!夫・成田常也は脳出血から回復

現役最年長の芸人として、舞台に立ち続けた内海桂子。心臓の機能不全により、2020年1月下旬から入院し、点滴治療を受けていました。5月時点では、関係者によって「重篤ではない」と容体が明かされていましたが、それから約3ヶ月後の8月22日に、多臓器不全で亡くなりました。97歳の大往生でした。

同年4月15日に脳出血で倒れてから、別の病院に入院していた夫の成田常也は、最期の瞬間には間に合わなかったのだそうですが、内海桂子と対面すると「師匠らしく、キリッとした顔」だったとのことで「ほれ直しました」と、内海桂子への愛が伝わるコメントを披露していました。実は夫・成田常也は、1ヶ月ほど意識が混濁した状態でしたが、8月に入り状態がかなり回復。遺影を選ぶなど葬儀の準備もできたそうです。「師匠が回復を待っていてくれたのでしょう」と語っていました。

ナイツに連れられて原宿に出かけた時には、「桂子師匠カワイイ!」と群がる若い女の子を目にして「原宿は米兵ばっかりだったのに、日本の女の子が元気で嬉しい!」と道の真ん中で大号泣し、感極まって「日本バンサイ!」と絶叫したというエピソードも残る内海桂子。若々しさと生き字引のような深みが融合した、内海桂子の言葉の数々は、若者からお年寄りまで、多くの人々の心のなかに生き続けるでしょう。

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