渡辺真知子はデビューシングル80万枚の大ヒットでスターダムへ!

渡辺真知子はデビューシングル80万枚の大ヒットでスターダムへ!

渡辺真知子はデビューシングルが80万枚のヒット!

歌手の渡辺真知子がデビューしたのは1977年です。以後、フォークミュージックからニューミュージックへと移りゆく日本の音楽シーンで、代表的なシンガーソングライターとして活躍することになります。

それまで、アーティストは、テレビに出演して歌うことを拒否する傾向にありましたが、渡辺真知子は積極的に出演していました。
こうして、メディア露出の多さに、明るい性格や可愛らしい顔立ち、声楽由来の圧倒的な声量が加わることで人気を高め、一気にスターダムを駆け上がることに。

渡辺真知子の歌には数々のヒット曲がありますが、中でも80万枚を売り上げたデビュー曲の「迷い道」と、翌年に発表した「かもめが翔んだ日」は、今でも絶大な人気を誇っています。

渡辺真知子「迷い道」「かもめが翔んだ日」の魅力とは?共通する失恋の姿と印象的な歌詞

「迷い道」は1977年にリリースされ、作詞作曲はともに渡辺真知子が手がけています。「現在・過去・未来」で始まる歌詞がとても印象的な失恋ソングです。「かもめが翔んだ日」も、印象的な始まりで知られる人気曲で、46万枚を売り上げました。歌の内容は、「迷い道」に続いてこれまた失恋ソングです。相手に振られながらも今も想っているという点には、「迷い道」と共通するところがあります。

一方で、「かもめが翔んだ日」が「迷い道」と異なるのは、「海」や「港」といった情景にフォーカスされているところでしょう。恋を失い、涙にくれる「わたし」の前を、一羽のかもめが翔び去っていくという情景がとても美しい歌です。渡辺真知子は、この「かもめが翔んだ日」で第20回日本レコード大賞「最優秀新人賞」を受賞しています。

また、その人気の高さから、京浜急行電鉄堀ノ内駅で電車接近メロディに使われている他、ロッテ千葉マリーンズが、地元の千葉マリンスタジアムで試合をする際に流すようにもなりました。

渡辺真知子のプロフィールや結婚!現在のコンサート活動は?

渡辺真知子のプロフィールや結婚!デビュー当時は水着グラビアのオファーも

渡辺真知子は、1956年10月23日生まれで、21歳のときにデビューしました。出身地である神奈川県横須賀市は、大ヒットした2ndシングル「かもめが翔んだ日」の舞台ではないかと言われています。出身校は、緑ヶ丘女子高等学校と洗足学園短期大学。デビューしたのは短大卒業後ですが、1975年、まだ高校生だった時代に、ヤマハポピュラーソングコンテストで「審査員特別賞」を受賞するなど、早い時期から歌の実力を認められる存在でした。

デビュー当初から爆発的な人気を誇った渡辺真知子には、水着撮影のオファーもあったとか。しかし、「顔と声以外は自信がないので」として、水着グラビアは断ったそうです。NHK紅白歌合戦に1978年と1979年に出場している他、テレビドラマやCMにも出演。CMでは、1996年のTOYOTA「ボイスナビ体感試乗キャンペーン」で、メジャーリーガーの野茂英雄と共演していた姿を憶えている人もいるかもしれません。

渡辺真知子は、その力強く美しい歌声で、レコード大賞「最優秀新人賞」の他にも、音楽祭などで数々の賞を受賞してきました。ちなみに、人生を音楽に捧げてきたとも言える渡辺真知子、結婚はまだのようです。

渡辺真知子の現在のコンサート活動は?近年も国内外でコンサートを開催中

渡辺真知子は、現在も、精力的にコンサート活動を行っています。日本国内で、毎年ライブツアーやコンサートを開催しているのはもちろんのこと、2011年9月には、ロシアのサンクトペテルブルグで日ロ友好コンサートに出演するなど、その歌手活動は国内にとどまりません。また、2014年には横浜ジャズプロムナードに出演するなど、ポップスというジャンルを越えて、非常に活発に歌手活動を続けています。

現在は、デビュー40周年を記念したスペシャルコンサート「渡辺真知子コンサート2017~私は忘れない~」に向けた準備が進行中です。10月9日の名古屋公演(今池ガスホール)を皮切りに、10月20日の大分公演(BRICK BLOCK)、翌21日の山口公演(Jazz Club BILLIE)、11月1日の東京公演(東京国際フォーラムC)、11月23日の大阪公演(サンケイホールブリーゼ)が続々と発表されています。

同時に、リクエストコーナーで歌われる曲目も5月31日まで募集中なので、「生の歌声で聴きたい!」という歌がある方はリクエスト投票に参加してみるのもいいでしょう。

渡辺真知子の活躍の裏には愛犬の姿!健康だから生み出せる歌の力

渡辺真知子の精力的な活動は、愛犬「ピット」に支えられています。最初は、渡辺真知子の両親にとって孫代わりにと迎えられたピット。渡辺家にやってくると、母と父、そして飼うことを反対していた兄も、その可愛さに一気にメロメロになったと言います。

しかし、2年後に母が他界すると、数カ月後に続くように父も他界。立て続けに両親を亡くした渡辺真知子は、両親のためにと飼い始めたピットに、自分が支えられるようになりました。両親を亡くした悲しみから立ち直った後も、ピットは渡辺真知子の健康維持に貢献し続けています。朝夕のエサやりや散歩といったお世話で規則正しい生活になったこと。

そして、ピットの将来について考えるたびに、「自分がしっかりしなくては」と気持ちが引き締まるそうです。長い歌手活動の最中には、日本での音楽の主流が移り変わっていく動きを受けて、アリゾナへ語学留学していたこともあった渡辺真知子。そこには、「音楽から距離を置いていたかった」という思いがありました。

しかし、彼女がプロのシンガーソングライターであることがクラスメイトに知られ、「かもめが翔んだ日」を歌うと、スタンディングオベーションの大喝采を浴び、あらためて歌の力を感じたそうです。さまざまな経験を経て、「心身ともに健康でないと、皆がひとつになれるような歌の力は生まれない」、そう考えるようになった渡辺真知子。2017年で歌手生活40周年を迎えます。

記念アルバムには、ピットに捧げる歌もあるとか。これからも渡辺真知子の力強い歌声が聴けることを願いながら、ファンの1人として、彼女の愛犬ピットにも感謝を捧げたいと思います。

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