八代亜紀 今年こそ紅白出場で残酷な天使のテーゼを歌う?!
八代亜紀 「残酷な天使のテーゼ」 ノリノリで熱唱!
演歌歌手として40年以上の芸歴を誇り、現在も第一線で活躍している八代亜紀。1971年デビュー以降、独特のハスキーボイスで「舟唄」など国民的ヒット作を飛ばし続けています。女性演歌歌手として不動の地位を築いたことから、人呼んで「演歌の女王」。
その八代亜紀が、テレビの音楽番組に出演し、アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」主題歌「残酷な天使のテーゼ」を披露したことが、ネット上で話題を呼びました。話題になったのは、6月24日にテレビ東京系列で放送された「テレ東音楽祭(2)」。出演した八代亜紀は、水色の艶やかなドレスでステージに立ち、目を細めながら「ホウ!」と雄たけびを交えてノリノリで「残酷な天使のテーゼ」を熱唱。
持ち前のハスキーボイスで、観客や視聴者を魅了しました。しゃくりやビブラートを交えた独特の歌唱に度胆を抜かれた視聴者が多かったようで、ネット上の反響からは、「クセがすごい」、「チャーミング!」、「自分の歌にしてる」、「セカンドインパクトが起きる」、「肴はあぶった使徒がいい」など、さまざまな声が見られました。
驚嘆や絶賛だけではなく、「エヴァファンは、間違いなく全員怒っていると思います」、「完全に自分でアレンジしちゃって、この歌が好きな身からすれば最悪」と同アニメのファンからは否定的な声も。それも、八代亜紀のカバーがあまりにもインパクトが強すぎるための反響でしょう。2002年以降の紅白歌合戦にお呼びのかからない八代亜紀ですが、このカバー曲で、今年こそ紅白歌合戦出場を狙えるでしょうか?
八代亜紀 CDでもカバー アニメ主題歌「ラッキーマンの歌」歌唱経験あり
実は、八代亜紀が「残酷な天使のテーゼ」を歌うのは、この番組が初めてではありません。昨年11月19日に発売されたCD「エンカのチカラ プレミアム」内にも同曲を収録。このCDは、実力派演歌歌手たちがJ-POPをカバーするという企画で、その収録光景もYouTubeにアップされています。
なぜ、「残酷な天使のテーゼ」を選曲したかについては「昨年、任天堂・Wii UカラオケのCM撮影で1コーラスだけ歌いました。そのときの評価が高く、CD化されないの?という声がとても多かった」と理由を明かしている八代亜紀。歌唱の際、スタッフから唸ってほしいというリクエストがあったそうで、「八代亜紀らしく、演歌特有の唸りや巻き舌も入れました」とアレンジも。
八代亜紀は、「歌はジャンル関係ないぞっていうところを若者にも聞かせたいし、逆にこのアルバムをきっかけに、演歌に興味を持っていただきたいですね」と演歌そのものへのアピールを忘れていません。テレビでも唸りや巻き舌がしっかり披露されていたのは、ご覧になった方ならばご存じの通りです。
そもそも、八代亜紀がアニメソングを披露したのは1994年放送のアニメ「とってもラッキーマン」。主題歌「ラッキーマンの歌」を歌っています。そのため、番組の反響に「ラッキーマンのテーマも歌ってほしい。ラッキークッキー八代亜紀って」、「テーゼ歌ってくれたなら、ついでにラッキーマンもお願いしたかった」という声もあったのでした。
八代亜紀 父の経営難を助けるため中卒でバスガイド!夫の職業、子供は?
八代亜紀 中卒後バスガイドに キャバレーで歌ったことが人生の転機に
八代亜紀は幼少のころ、会社を経営する父親が経営難で苦労する姿を見ており、自分が稼いで父親を助けようと思っていました。当時、アメリカのクラブシンガー、ジュリー・ロンドンのハスキーボイスにあこがれていた八代亜紀は、自分もクラブ歌手を志します。
しかし、まだクラブで歌える年齢ではなかった八代亜紀。もともと内気な性格だったこともあり、度胸をつける目的で、中学卒業後に、地元熊本のバス会社でバスガイドとして働きはじめます。当時はスチュワーデスよりも人気のバスガイドでしたが、勤務はハードな毎日。
朝早くから出勤し、帰りは真夜中になることも珍しくない日々が続いたといいます。度胸をつけるための思いとは裏腹に、何をやってもうまくいかなかった八代亜紀に転機が訪れました。友人に連れられて行った地元のキャバレーで歌ったことで、自分の歌唱力に自信を持ち、バスガイドを辞めてキャバレーのステージに立つことに。
しかし、その一件が父親にばれ、勘当。後がなくなった八代亜紀は単身上京し、銀座のクラブ歌手などを経て、1971年に歌手デビュー。そこから、現在まで芸能生活を続けています。
八代亜紀 夫は元マネージャーで事務所社長 子供なくとも夫婦ともに盤石の信頼関係
八代亜紀は現在の夫とは、40歳代に結婚。晩婚だったこともあり、子供はいないようです。夫は、5歳年下で元マネージャーですが、現在の夫の職業は八代亜紀の事務所社長を務めるかたわらで陶芸家としても活動。ずっと独身を貫こうとした八代亜紀を、マネージャーとして献身的に支えてきた元マネージャーの夫。
八代亜紀、夫とも結婚は考えていませんでしたが、愛する八代亜紀の父親の影響がその裏側にあったようです。実は、父親が亡くなる前に「彼なら(結婚しても)いいよ」と言っていましたが、当時は仕事一筋。結婚のことなど頭になかった八代亜紀は、当時は別段気にも留めていなかったそうです。
しかし、心境の変化がおこります。プロポーズのとき、八代亜紀は「結婚してください」とは言えず「お嫁さんになってあげてもいい!」と言い、返ってきた答えが「一生、八代亜紀を支えるつもりでした」!夫婦ともに多忙で、時間が合わない生活でも文句一つ言わず「亜紀が光ってないと意味がない」と、常に献身的な姿勢で支えるという模範的な旦那様。八代亜紀も「夫なしの生活は考えられない」と、夫との盤石の信頼関係を築き上げていますね。
八代亜紀 ブルースアルバムリリースのため本場修業 「ダメガイド」の日々から元マネージャー・夫との二人三脚の夫婦生活までの波乱万丈の人生
歌手生活45周年を迎える八代亜紀が、演歌、歌謡曲やジャズに次ぐ新たなジャンルとして、ブルースに挑戦します。10月28日にリリースするのが初のブルースアルバム「哀歌-aiuta-」。同アルバムでは、「別れのブルース」や「夢は夜ひらく」など、日本ブルースの名曲や新曲3曲あわせて12曲を収録。八代亜紀はレコーディング前の7月下旬に渡米。
ブルースの本場メンフィスで、現地ミュージシャンとセッションするなどの成果を反映させ「12通りの哀しみを込めました」と八代亜紀自身がアピールしています。「父の歌う浪曲を子守歌代わりに聴いていた」と語る八代亜紀の現在までの道のりは波乱万丈でした。
中学卒業後働いていたバスガイドは、内気なあまり「何カ月やってもダメガイドだった」と振り返る毎日。男子大学生の貸し切りバスでは、マイクを出したものの、一斉にはやしたてられて名所の説明もままならず、運転手にお目玉を食らったこともあったそうです。
30歳代後半に見舞われたトラブルで、人への信頼や金銭など大きな損失をこうむり、最愛の父親も亡くして、精神的にも疲弊していた八代亜紀。そんな八代亜紀を献身的にサポートしてきたマネージャーとは固い信頼関係で結ばれ、今は夫婦として二人三脚の日々。
八代亜紀が結婚するときに思ったのは「私がおばあちゃんになったとき、介護でおむつを替えてもらうのは他の人なら恥ずかしいけど、彼なら恥ずかしくない」ということだったそうです。
そんな波乱万丈な人生の八代亜紀が、ブルースに魅せられたのも当然かもしれませんね。歌手生活のかたわらで、画家として個展を開くなど充実した日々を過ごす八代亜紀、今後の芸能・芸術活動にも注目していきたいと思います。