矢沢心と魔裟斗の馴れ初めが運命的!2人で不妊治療を乗り切り妊娠、出産
矢沢心と魔裟斗の馴れ初めが運命的!交際期間は約6年!
矢沢心(やざわしん)は、元格闘家の魔裟斗の妻としても知られる女優・タレントです。矢沢心が、夫となる魔裟斗と出会ったのは、まだ19歳だった頃。魔裟斗はといえば、格闘技イベント「K-1」に出場してブレイクする前で20歳でした。
免許を取ったばかりの矢沢心の車が、魔裟斗の自宅マンションの真裏で故障してしまい、友人が電話で魔裟斗に助けを求めたことがきっかけで出会った2人。JAFが来るまで西麻布のバーで時間を潰していた時に、見た目に反して落ち着いた雰囲気で紳士的な魔裟斗を「随分と大人に感じた」そうです。
そんな出会いから約1年後に、矢沢心から告白して交際をスタート。さらに1年後には、矢沢心がストーカー被害に悩んでいたこともあり、結婚を前提とした同棲を始めました。こうして格闘家としてブレイクを果たした魔裟斗の生活を精神面や食事面などで献身的に支えるようになった矢沢心は、約6年の交際を経て、魔裟斗からのプロポーズによって2007年に入籍を発表しています。
矢沢心が不妊治療を経て妊娠、出産!3回も転院していた?!
矢沢心と魔裟斗の間には2人の子供がいますが、第一子は、枯卵死や流産など、つらくて苦しかった不妊治療の末に授かった子供であることを明かしています。もともと多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)を患っていた矢沢心は、結婚後1年経っても妊娠しないことから、タイミング法とフーナーテスト、卵管造影検査の後に4回の人工授精を実施。半年に及ぶ不妊治療を行うも実を結ばず、体外受精を行うために2つ目の病院に転院しました。
そこで2年間に5回の体外受精を行うも、妊娠出産には至らなかったと言います。そして、森三中・大島美幸や東尾理子、松嶋尚美、野田聖子議員も通ったと噂されている有名人御用達の病院へ3度目の転院。院長と魔裟斗がパーティで出会ったことが縁で、ここでの2度目の体外受精が成功し、不妊治療開始から5年で、矢沢心は妊娠しました。
矢沢心はギャル雑誌「egg」のモデルだった!ブログで人気の“富士山”のご利益とは?
矢沢心はギャル雑誌「egg」のモデルだった!読者モデルから女優に転身
現在の容姿からは想像がつきませんが、かつてはギャル系雑誌「egg」の読者モデルでした。コギャル・ガングロ・ヤマンバメイクなどが流行っていた頃に、高校生のギャル読者モデルとして活動を始めた矢沢心は、1997年には、映画「バウンス ko GALS」のオーディションを勝ちぬいて女優デビュー。1990年代の渋谷界隈のコギャル文化と少女たちの友情を描いた本作では、援助交際や堕胎、ヤクザに脅されて金品を巻き上げられるなどの日常を通じて、主人公3人の少女を結び付けていくMaru役を熱演しました。
ギャル女優としてキャリアをスタートさせた矢沢心は、その後も、ドラマ「はみだし刑事情熱系」や「池袋ウエストゲートパーク」などの作品にコギャル役で次々と出演。2002年からは「笑っていいとも!」のレギュラーも務めるなど、タレントとしても広く認知されるようになっていきます。
矢沢心のブログで人気の“富士山”のご利益とは?
矢沢心は、第一子の妊娠&出産時には不妊治療や妊活していたことを一切公表しませんでしたが、産後に、妊活中の女性に向けて、自身のブログでとある絵を公開しました。それが、「妊婦が陣痛中に描いた“富士山と太陽の絵”には妊娠のご利益がある」というジンクスから、妊娠を心待ちにしている女性たちに“陣痛富士山”や“赤富士”などと呼ばれている絵です。
自身の妊活中には、この“子宝を呼ぶ富士山の絵”を入手できなかった矢沢心ですが、陣痛が始まって病院に行くまでの間に自宅で描き、ブログの読者に幸せをおすそ分けしたかったそう。その後、「矢沢心の富士山を携帯電話の待ち受けに設定したら妊娠できた!」という報告がブログのコメント欄に多数寄せられました。
矢沢心が不妊治療を赤裸々に明かした理由とは?
第二子は自然妊娠で授かり、現在は娘2人の母となった矢沢心は、不妊治療の経験を「なかなか子供を授かれなくて悩んでいる女性たちの励みになれば」という理由で、赤裸々に公開するようになりました。他にも、妊娠出産を諦めないための心の持ちようを綴った本の執筆や、妊活中の女性たちとのイベント(お茶会)開催、不妊治療に関する講演会に登壇。
そのため、オシドリ夫婦のイメージも定着しつつある矢沢心と魔裟斗夫妻。しかし魔裟斗は、「矢沢心が芸能人でなかったら付き合っていなかった」とキッパリ言い切っています。キックボクシングの選手として、格闘技をメジャーにして頂点を獲るという高い目標に向かって突き進んでいた当時の魔裟斗は、「彼女にするなら一般人ではなく芸能人!」と心に決めていたとか。
……理由はともあれ、無事に魔裟斗の心を射止めた矢沢心ですが、約6年に渡る交際で、両家の両親に挨拶済みで結婚を前提にした同棲生活ではあったものの極秘だったそうです。雑誌の仕事でインタビュアーと選手として取材をすることになった時には、同棲中の自宅から2人で出発し、一緒に取材場所まで向かったにもかかわらず、初対面のふりをしたこともあったと言います。
また、魔裟斗が現役格闘家だったころには、試合前は家中がピリピリしており、浴室で鼻歌をもらしただけでも「うるさい!!」と怒鳴られていた矢沢心。しかし、そんな献身的なサポートが実り、2003年には魔裟斗が日本人初のK-1世界王者に輝くなど、不妊治療の他にも、夫婦で沢山の課題を乗り越えてきました。これからも夫婦仲良く、末永く活躍し続けもらいたいものです。