米村でんじろう先生は大学を3浪していた!結婚した妻は?

米村でんじろう先生は大学を3浪していた!結婚した妻は?

米村でんじろう先生、大学3浪していた!その間はほぼ引きこもりだった!

米村でんじろう先生は、テレビ番組『世界一受けたい授業』でおなじみ。「サイエンスプロデューサー」として、フリーランスで各メディアや雑誌へ出演し、ユニークな実験などを通じて、科学の面白さ、楽しさの普及につとめています。チャーリー西村、ジャイアン村上、市岡元気、海老谷浩ら弟子とともに試行錯誤を重ね、現在知られる「サイエンスショー」のスタイルを作り上げた米村でんじろう先生。実は、大学へ進学するまでに3浪していたそうです。

幼い頃から、漠然としていたものの、将来の夢として、科学者や技術者への憧れを抱いていた米村でんじろう先生。理科が好きだったこともあり、理工系志望だったのですが、旧帝大系には全く歯が立ちませんでした。3浪を経て、やっと東京学芸大学の理科教育科に合格した米村でんじろう先生でしたが、3浪の時期は「俺はこれからどうなるんだろう?」という思いで、ほぼ引きこもり状態。精神的に屈折して世捨て人同然になっていたのだとか。その屈折した3浪時代を経て、大学に進学した米村でんじろう先生は、それまでのプレッシャーから解放され、すごく楽になったと振り返っています。

米村でんじろう先生、現在の妻と大学院時代に結婚!進路が見つからず妻に食べさせてもらっていた?

米村でんじろう先生は、大学院時代に、現在の妻と結婚しています。米村でんじろう先生の旧姓は「戸谷」(とや)だったそうですが、結婚を機に「米村」に改姓。つまり、米村でんじろう先生は婿養子。大学院修了後、教師として働き始めた妻に対し、米村でんじろう先生は「自分の進路が見つからない」という理由から、職が見つからず、妻の稼ぎで何とか食べさせてもらう時期がありました。

しかし、本人もそのままではいけないことを自覚していたようで、一念発起。29歳のときに、ある学校法人で非常勤ではありながら、講師の働き口を得ました。これが、米村でんじろう先生にとって、人生のターニングポイントになるのです。自由な校風の学校であり、型にはまらない自由な形式での授業を許された米村でんじろう先生は、科学の実験を演じて見せ、これが大好評。

子どもたちに科学を教える面白さを実感した米村でんじろう先生は、公立高校の物理教師に転じますが、その高校はいわゆる問題校でした。授業にさっぱり興味を示さない生徒を振り向かせようと米村でんじろう先生が考案したのが、やはり「魅せる」実験。

結果、それまでとは打って変わって科学に興味を示し始めた生徒たちの姿を目の当たりにした体験が、米村でんじろう先生に教えることの自信をつけさせました。その後、都立の進学校で教師としての限界を感じた米村でんじろう先生は、教師を退職し、「サイエンスプロデューサー」として大輪の花を咲かせるのです。

米村でんじろう先生サイエンスショーの口コミ!おもしろ実験ベスト3

米村でんじろう先生、サイエンスショーの口コミは評判上々!大人も夢中になる!

米村でんじろう先生が弟子たちと試行錯誤を重ね、現在のスタイルを確立した「サイエンスショー」。ネットでの口コミを見てみると、見ているうちに「心をわしづかみにされた」とおおむね評判は上々。ショーのスタイルは、MC役の米村でんじろう先生とアシスタントが、軽妙トークを繰り広げながら、ユニークな実験を披露するというものです。

定番は、厚紙で組み立てただけのブーメランですが、これが実によく飛びます。しかも、材料は身の回りにある厚紙でOKなので、子供たちにも手軽に作れます。夏休みの工作はこれで大丈夫というわけですから、小学生にとってはありがたいですよね。他の定番メニューには、発射された空気砲が、綺麗なドーナツ型の輪を描いて、会場を漂うというものがあります。

もう、これだけでも子供も大人も十分に楽しめる内容で、時間が経つのも忘れるほどだといいます。なによりも、米村でんじろう先生の「実験とは、本来もっと気楽に簡単にできるもの」、「必要なものがなければ、身の回りにある物で代わりにならないか工夫してみよう」と、子供たちに向けたメッセージが非常に印象的です。

米村でんじろう先生、おもしろ実験ベスト3!身近な材料で作れるのが特徴!

米村でんじろう先生のサイエンスショー。その中で行われている、おもしろ実験で、ベスト3に絞りこまれるのは以下の通りです。まずは、地方でのサイエンスショーで「つかみ」で使われる「厚紙ブーメラン」。内容は、3枚の厚紙で組み立てただけの簡単なものですが、ブーメランのように投げると大きく弧を描いて投げた本人のところにちゃんと戻ってくるのがミソ。夏休みの宿題もクリアできるという殺し文句で、子供だけでなく大人も夢中になってしまいます。

「段ボール製空気砲」は、長方形の段ボール箱とガムテープが用意できればお手軽に作れます。作り方は、段ボール箱をガムテープでめばりし、一面だけ丸い穴を開けておくだけ。段ボール箱の両サイドを叩くと、丸い穴から空気がかたまりとなって飛び出ていくのですが、段ボールの中で線香を焚いておくと、空気の流れが目で確認できます。

2個のプラコップとアルミ箔があればすぐ作れるのが「プラコップの蓄電器」。テレビ番組でもよく披露しているため、ご存じの方も多いのではないでしょうか。充電には、長い風船を摩擦して発生させる静電気を使いますが、充電できる電気量はごく少ないので、健康な方であれば安全です(ただし、心臓に持病があるか、ペースメーカーを内蔵している人には危険なので、実験には参加しないようにしてください)。いずれのおもしろ実験も、身近な材料で簡単に作れるのが特徴なので、とても親しみやすいですよね。

米村でんじろう、オードリー・若林正恭が恐怖!相方・春日俊彰曰く「試験管を回してるのと同じ」

米村でんじろう先生のサイエンスショーは、全国津々浦々で開催され、いずれも大人気です。しかし、3月19日深夜に放送されたニッポン放送のラジオ番組「オードリーのオールナイトニッポン」内で、パーソナリティーを務めるオードリー・若林正恭が、米村でんじろう先生の実験で抱いた恐怖感を語りました。番組では、相方の春日俊彰の「体に電気を流す罰ゲームだけは嫌」というトークから話題が広がり、米村でんじろう先生と若林正恭の共演エピソードに話が及ぶことに。

とある番組で、複数人が手をつないで微量の電気ショックを感じるという実験に参加した若林正恭。そのときの感想を「びっくりしたわ!」「めちゃくちゃ痛いな!」と表現。静電気のパチッというような感触を飛び越えて、「みんなで後ろに吹っ飛んだ」「肘が飛んでいったと思った」という大きな衝撃だったといいます。しかし、若林正恭が本当に怖かったのは、米村でんじろう先生の電気ショック実験ではなく、米村でんじろう先生の態度。実験の衝撃に出演者一同が驚いたり、衝撃で痛がるそぶりを見せたりして騒々しい中、米村でんじろう先生だけは、慌てず騒がず次の実験の準備作業をしていたとか。

その態度を見た若林正恭は、内心で「怖っ!」と強く思ったそうです。続いて煙の輪を出す実験でも掛け声すら一切なく、無言だったという米村でんじろう先生。「でんじろうさんって、ちょっとおかしいよな」と評した若林正恭に対し、春日俊彰の見解は「試験管を回しているのと同じようなテンションなんじゃない?」。

3浪、仕事での挫折を経て、遅咲きの人生を歩んできた米村でんじろう先生。「彼の授業を受けていれば、理科の授業が好きになっていた」と言う声も多いのですが、酸いも甘いも知りつくした懐の深さも支持を受ける大きな理由かと思われます。今後も面白い実験を通じて、楽しい授業を続けて欲しいですね。

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