ゾマホン・ルフィンは「ここがヘンだよ日本人」で一躍有名に!著作「ゾマホンのほん」の印税で「たけし小学校」を開校

ゾマホン・ルフィンは「ここがヘンだよ日本人」で一躍有名に!著作「ゾマホンのほん」の印税で「たけし小学校」を開校

ゾマホン・ルフィンはビートたけし司会の「ここがヘンだよ日本人」で一躍有名に!

ゾマホン・ルフィンは、ちょっと変わったアフリカ人というキャラで人気者になった外国人タレントです。1964年、西アフリカのベナン共和国で生まれたゾマホン・ルフィンは、教育熱心な両親に育てられたことから優秀な成績を収め、国立ベナン大学へ進学。修士課程を修了すると、かねてより興味があった日本に自費留学します。

1996年に、上智大学大学院に研究生として入学し、1997年に博士課程に進んだゾマホン・ルフィンは、スカウトされて、ビートたけしが司会を務める「たけし×世界バトルⅡここがヘンだよ日本人」という特番に出演。片言の日本語でリアクションも交えて熱く語ったゾマホン・ルフィンは注目を集め、レギュラー化された「ここがヘンだよ日本人」にも出演するようになりました。

その後は、人気バラエティ番組「笑っていいとも」にも出演を果たすなど、すっかり有名人に。オフィス北野に所属し、たけし軍団の一員としてタレント活動を本格的にスタートさせました。

ゾマホン・ルフィンは著作「ゾマホンのほん」の印税と私財を投じて「たけし小学校」を開校!

日本でのタレント活動に成功したゾマホン・ルフィンは、国の発展には教育が欠かせないという考えから、祖国ベナン共和国に学校を設立しようと思い立ちました。そこで、当時発売した著作「ゾマホンのほん」の印税すべてと私財を投じて「たけし小学校」を開校。以後も、「明治小学校」「江戸小学校」「たけし日本語学校」を次々と開校したほか、医療援助活動も行っています。

これらの功績から、世界最優秀青年賞(2001年)とベナン共和国の国民栄誉賞(2002年)を受賞したゾマホン・ルフィン。その活躍ぶりは広く知られるところとなり、ベナン共和国第4代大統領ヤイ・ボニのアジア・オセアニア関連大統領特別顧問を務めるまでになりました。

その最中に両国の国交が樹立したことで、日本にベナン大使館が設立され、2012年には、ゾマホン・ルフィンが駐日ベナン共和国大使に就任。大統領交代に伴い、2016年に駐日大使は退任しましたが、それ以降は親善大使として両国の懸け橋となり続けています。

ゾマホン・ルフィンの嫁は「たけし日本語学校」の元生徒!

ゾマホン・ルフィンの嫁はたけしの日本語学校の元生徒であるゾマホン・ポヌ・ジョジアヌ!

ゾマホン・ルフィンは、2012年1月7日に入籍しました。お相手は、同郷のベナン人で、ゾマホン・ルフィンの18歳年下であるゾマホン・ポヌ・ジョジアヌです。嫁は、ベナンに開校した「たけし日本語学校」の元生徒。ゾマホン・ルフィンが初めて出会ったのは、ゾマホン・ポヌ・ジョジアヌが留学のために来日した2004年だと言います。

結婚した理由は、手料理が上手だからで、ホウレンソウや魚のソースを使った料理がおいしいそうです。お国柄もあって、婚前交渉はあり得ないと公言していたゾマホン・ルフィンにとっては、もちろんゾマホン・ポヌ・ジョジアヌが初めて体を重ねた女性に。いつもは饒舌なゾマホン・ルフィンですが、嫁のゾマホン・ポヌ・ジョジアヌの話となるとしどろもどろになってしまいます。

ゾマホン・ルフィンはビートたけしの付き人に

「ここがヘンだよ日本人」に出演して以降、ビートたけしを尊敬してやまないゾマホン・ルフィン。タレント活動を本格化させるにあたっては、ビートたけしが創設したオフィス北野に所属。時にはたけし軍団の一員としても芸能活動をしていました。駐日大使に就任した時には一度オフィス北野を離れたものの、4年の任務が終了すると、オフィス北野に復帰。ビートたけしの「しょうがねーから、俺の付き人やって食いつなげ」の一言から、今度は付き人をするようになっています。

ビートたけし言葉は冗談ではなかったようで、ビートたけしがMCを務める「TVタックル」の番組予告でそばに控える姿や、海外に渡航したビートたけしの横に立つ姿が映り込んだりすることも。2018年3月にビートたけしの事務所独立が報じられた際には、テレビ出演して師匠の気持ちを代弁するなど、付き人として今なおしっかり寄り添い続けているようです。

ゾマホン・ルフィンの饒舌な語り口調は健在!タレント活動再開に期待が集まる

ゾマホン・ルフィンはインタビューで、大好きな酒にまつわる驚きのエピソードを披露しています。それは、来日してまだ2年目のこと。ゾマホン・ルフィンは、自身の身元保証人の自宅へ大みそかに挨拶に向かいました。そこでもてなされたゾマホン・ルフィンは、初めて日本酒を口にしますが、口当たりがよくどんどん杯を重ねているうちに、目が回り出してしまいます。

そのまま23時頃に電車に乗ったゾマホン・ルフィンですが、暖房がきいたシートに眠りを誘われ、目覚めたのは元日の16時!40分で着くはずが、大みそかで電車が終夜運転していたこともあり、まさかの17時間乗車していたそうです。しかし、状況が分かって安心し再びうたた寝。最終的に自宅のある駅で電車を降りたのは、元日23時でした。さすがに疲れ果て、駅前で食べた牛丼の味が忘れられないと振り返っています。

お酒で手痛い失敗となりましたが、日本の安全性の高さを知ることができたともいうゾマホン・ルフィン。電車でぐっすり寝ていても、ポケットから物が盗まれなかったそうです。ゾマホン・ルフィンが日本を活動の拠点としているのは、日本への信頼感があるからなのでしょう。付き人活動を優先しているのか、姿を見る機会は激減しているゾマホン・ルフィンですが、饒舌な語り口調は今も健在。そろそろ、テレビでもにぎやかなトークを聞かせてほしいものです。

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