坂東巳之助と父・坂東三津五郎、母・寿ひずるの梨園らしい複雑家庭環境とは?

坂東巳之助と父・坂東三津五郎、母・寿ひずるの梨園らしい複雑家庭環境とは?

坂東巳之助の父である坂東三津五郎とは?

坂東巳之助は、市川海老蔵のブログで「みみおばけおじさんのおえかきうた(画・巳之助)」なるものをアップされ、「まったく、凄いやつがいますよね~」と、あの海老蔵をも唸らせた平成生まれの歌舞伎役者。その歌舞伎役者とは思えぬ妄想ぶりに、同じく平成生まれの坂東新悟と並んで「妄歌舞伎スト」としても話題を呼んでいます。

そんな坂東巳之助の父は、前名の坂東八十助でも知られる歌舞伎界のプリンス、十代目・坂東三津五郎です。残念なことに、2015年2月に肝臓癌で惜しまれつつこの世を去りました。まだ、59歳という若さでした。そんな名門の出である坂東巳之助ですが、一時期歌舞伎役者になることに迷いが生じ、歌舞伎界を離れてバンドやアルバイトに明け暮れる日々を送っていたそうです。その背後には、歌舞伎という厳しい世界に身を置かねばならなかった生い立ちと、父親である坂東三津五郎と母親・寿ひずるが離婚したという複雑な家庭環境が影響していたのです。

坂東巳之助と母、寿ひずるを苦しめた梨園という複雑な家庭環境

坂東巳之助の父、坂東三津五郎は、1983年、宝塚歌劇団のスターだった寿ひずると結婚します。しかし、「跡継ぎである男の子を産まなければならない」「歌舞伎役者の妻としての立場を完璧にこなさなくてはならない」など、梨園特有の避けられぬ暗黙のルールが存在しており、元宝塚歌劇団の準トップスターだった寿ひずるにとっては、苦労が絶えなかったようです。その上、たび重なる坂東三津五郎の女性問題に、寿ひずるの心痛は頂点に達したのでしょう。

その後、写真週刊誌などに決定的なスクープを掲載された元アナウンサー近藤サトとの不倫問題が決定打となり、2000年、坂東巳之助と寿ひずるは離婚に至ります。当時の坂東巳之助はまだ小学生。親権は坂東三津五郎、養育権は寿ひずるが持ちましたが、これは、名字が変わって子供たちがいじめられないようにとの母・寿ひずるの配慮でした。多感な時期に両親が離婚。これは、幼かった坂東巳之助に大きな影響を与えたようです。

坂東巳之助は次世代を担う歌舞伎役者!家系図、十八番役は!

坂東巳之助の家系図「坂東三津五郎家」とは?

坂東巳之助は1989年9月16日生まれ。父親はご存じ歌舞伎界のプリンスだった十代目・坂東三津五郎です。屋号は大和屋で、定紋は三つ大。元来、坂東三津五郎家は、江戸三座だった守田座と家系が近く、十二代目・守田勘彌家の長男が養子に入って七代目坂東三津五郎となったことから、本名が守田になりました。ですから、坂東巳之助の本名も守田光寿。守田菜生・幸奈という姉が二人おり、巳之助は三番目に生まれた待望の男の子でした。また、父親である十代目・坂東三津五郎(守田寿)と女優・池上季美子とは従妹同士にあたります。

坂東巳之助はスーパー歌舞伎で次世代を担う歌舞伎役者!歌舞伎十八番での役どころは?

坂東巳之助も出演している、市川猿之助率いる『スーパー歌舞伎Ⅱワンピース』が人気沸騰中です。スーパー歌舞伎とは、三代目・市川猿之助(現・猿翁)が始めた、今までの「歌舞伎」という既存の枠をぶっ壊した、その名の通りのスーパー歌舞伎!創造力あふれる、抜群に弾けたスピーディな舞台です。今回はその「スーパー歌舞伎」と、日本が世界に誇る人気漫画『ワンピース』とのコラボレーション!その迫力と、予想外のドキドキ感に高揚した観客は、市川猿之助が舞台に現れると、屋号ではなく「ルフィ~!」と掛け声をかけるほど。

しかし、主役はルフィーだけではありません。「ゾロ、ボン・クレー、スクアード」の三役を演じる坂東巳之助の評判がすこぶるいいのです。実はそれまでの巳之助の評価はかんばしいものでなく、父である三津五郎も、息子のことを案じていました。ところが、ここ2年ほどの巳之助の舞台は、何かふっきれたような爽快感が。2年前の浅草歌舞伎『上州土産百両首』における坂東巳之助の存在感は、主演の市川猿之助を上回るものがありました。父が病に倒れ、本人の心に期するものがあったのかもしれません。今年の浅草歌舞伎、歌舞伎十八番『毛抜』では、粂寺禅正に初挑戦する巳之助。その名の通り、十八番(おはこ)となるでしょうか!

坂東巳之助と父・坂東三津五郎との確執 父を超える日は?

父、坂東三津五郎の葬儀後、「お父様との最期のお別れはどうだったのですか?」との記者からの質問に、ただ淡々と受け応えていた坂東巳之助。その表情はある意味、無機質にも見えました。余りにも深い悲しみは、人から感情を奪うものですが、その時の坂東巳之助の表情はそういった類ではなく、まだ父とのわだかまりが完全には払拭出来ていない感じも。父・坂東三津五郎と母・寿ひずるは、坂東三津五郎の女性問題が原因で離婚しています。

母方に引き取られた坂東巳之助は、歌舞伎の厳しさと、父親に対する確執からか、一時期歌舞伎から遠ざかり、バンドに力を入れていた時期もありました。何もかもが中途半端なまま、高校も中退してしまいます。そんな坂東巳之助が、「自分には歌舞伎しかない!」そう思ったのは、17~18歳の頃。銀座をぶらぶらしていて、ふと「このままではいけない」と感じたそうです。

そして、再び父の門を叩きました。坂東三津五郎は「歌舞伎をやって本当にいいのか?」と一言だけ尋ねたそうです。父と息子である前に、師匠と弟子だった三津五郎と巳之助。そして、母の苦しみとずっと向き合ってきた息子としての思い。そこには表には出せない坂東巳之助の深い苦しみがあったのではないでしょうか。偉大な父の名前は、これからも坂東巳之助の背にずっしりと覆いかぶさってくるでしょうが、坂東巳之助の未来を導く守護神でもあるはず。平成生まれの新風歌舞伎役者・坂東巳之助、偉大な父の背中をも踏み台にしてもっともっと高い空へと羽ばたいて行って欲しいものです!

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