林家木久扇の病気遍歴!咽頭がん闘病から声を取り戻すまで!

林家木久扇の病気遍歴!咽頭がん闘病から声を取り戻すまで!出典:http://www.hokkaidolikers.com

林家木久扇の病気遍歴!咽頭がん闘病から声を取り戻すまで!

林家木久扇のすごすぎる病気遍歴!腸閉塞でも笑点出演!

林家木久扇は、「笑点」で、黄色い色紋付をまとい、おバカキャラで親しまれている落語家です。笑点で明るくふるまう姿からはうかがえませんが、2度ものがんを経験した、がんサバイバーでもあります。林家木久扇の病気遍歴をたどっていくと、1976年には腸閉塞、2000年には胃がんを患い、胃の3分の2を切除。

そんな大病を経験しながらも、時には点滴を打ちながら「笑点」への出演を続け、長い間、番組を休んだことはありませんでした。2000年には見事に胃がんを克服した林家木久扇でしたが、2014年、再びがんが見つかってしまいます。それは、落語家の命ともいえるのどを侵す、咽頭がんでした。

林家木久扇の咽頭がん闘病記!声を取り戻すまで!

林家木久扇は、2014年6月、風邪でもないのに、せきが続いていたため、耳鼻科を受診しました。医師から精密検査をすすめられたので受けてみると、咽頭がんの第2ステージと判明。幸い手術は必要なく、放射線での治療が開始されました。しかし、治療によってがんは消えたものの、落語家の命ともいえる「声」が出ない日々が続きます。休まず続けてきた「笑点」もとうとう欠席。

医師からは、「通常は約2カ月で声が戻るが、実際に戻るかは保証できない」と言われ、先が見えない日々が続きました。しかし、林家たい平と林家木久蔵と3人での落語会の予定されていた9月21日の朝、おかみさんの「おはよう」の声に応え、自然に「おはよう」と声が出たのです。それをきっかけに、順調に声も回復した林家木久扇は、落語家生命の危機を無事に脱することができました。

スポンサーリンク

林家木久扇は絵、歌と多才すぎ!「笑点」司会代理での大暴走とは?

林家木久扇は多才!絵本作家もしていた!?あの歌でCDデビュー!?

林家木久扇は、落語家として、50年以上のキャリアを誇る大ベテラン。しかし、その活躍は落語だけにとどまらず、かなりの多才ぶりを発揮しています。絵はかなり得意だという林家木久扇のイラストは、プロ並みのクオリティ。それもそのはず、漫画家の清水昆に弟子入りしたこともある林家木久扇は、絵本も発売しています。

さらに、「笑点」でもよく披露されている歌も好評で、持ちネタの「いやんばかん……」はレコード化も。今年2016年6月には、NHK「みんなのうた」の依頼をうけて、自ら作詞した「空とぶプリンプリン」で、木久ちゃんロケッツとしてCDデビュー。林家木久扇、息子の林家木久蔵、そして孫の親子三代で、歌も担当しています。もちろん、「みんなのうた」で流れる映像は、林家木久扇のイラストをもとに作られているそうです。

林家木久扇が「笑点」司会に!?司会代理で自由すぎる大暴走!

林家木久扇のホームグラウンドともいえる「笑点」。回答者として出演している林家木久扇が、司会を担当したことがあるのはご存じでしょうか。2015年、司会の桂歌丸が病気のため欠席した折、出演者が交代で司会者を務めたことがありました。林家木久扇は、しまりのない司会ぶりで、メンバーに座布団を大判振る舞い!座布団が増えすぎて、「笑点」は大変なことに。

スポンサーリンク

長い付き合いの笑点メンバーの名前を間違えるばかりか、時には「(座布団運びの)山田くんが笑ってないから」という理由で座布団をあげなかったりと大暴走。とはいえ、林家木久扇の味を活かしたともいえる、期待通りのぐだぐだな司会代理に、客席は大爆笑でした。

林家木久扇は実はしっかり者だった?78歳にして大黒柱!

林家木久扇は、2016年5月で放送開始50周年を迎えた「笑点」に、1969年から出演し続けています。あの「おばかキャラ」からは想像できませんが、桂歌丸が勇退した今、実は現在の笑点メンバーの中では、林家木久扇が一番の最古参で最年長です。林家木久扇は、1937年生まれの78歳。桂歌丸が79歳ですから、実は1歳しか年齢が違いません。

そんな40年以上活躍し、老若男女から愛されてきた「きくちゃん」こと、林家木久扇は、現在もばりばりの現役噺家。78歳にして、弟子も10人ほど抱える林家木久扇は、師匠として、家族も含めた17人くらいを1人で養っているというのですから、頭が下がります。
そんな状況ですから、咽頭がんで仕事を長期間休まざるをえない時も、まずは収入のことが頭をよぎったそうで、「慌てておかみさんと年金の相談をしたりしました(笑)」と話しています。「きくちゃん」のお気楽なキャラクターからは意外ですが、林家木久扇は、経済観念がかなりしっかりしているようです。

林家木久扇がそんな価値観を身につけたのには、その生い立ちに理由がありました。1937年に東京・日本橋に生まれた林家木久扇は、8歳にして東京大空襲で家を失い、家族は離散。家計のために、小学4年生の時には新聞配達をしていたそうです。幼少時代に、暮らしに苦労した経験から、自分を支える経済の重要性に気づいた林家木久扇は、「金はあるに越したことはない」と思うようになったといいます。

そんな生い立ちを持つ林家木久扇ですから、貧乏は大嫌い。落語に出てくる登場人物のような貧乏な暮らしぶりと同じように暮らすことを美徳とする、「噺家は貧乏でもいいという姿勢」に対しては、真っ向から反対を示しています。また自身で「ライバルは“先月の売り上げ”である」とも話している林家木久扇。落語家として向上し、お金を稼ぐことに対して、確固としたプライドを持っているといえます。
実際、落語家としての実力は折り紙つきで、5代目三遊亭圓楽が、「木久蔵(旧名)さんの落語で笑わない奴はいない」と話すほどです。

また、桂歌丸も、「馬鹿を装っているのが一番楽。(木久扇は)頭が良い」とコメントしていますから、「笑点」のキャラクターを離れたところで、林家木久扇が、また違った魅力を放っていることは間違いないでしょう。
落語で家族を支え続けてきた林家木久扇。息子の林家木久蔵も真打になり、孫のコタ君も将来の夢は「落語家」とのことですから、近い将来、自らが支えてきた家族に、落語で支えられる日も近いかもしれません。

スポンサーリンク
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

関連記事

ページ上部へ戻る