亀田誠治は椎名林檎が師匠と崇めるベーシスト!凄さが分かる曲は?

亀田誠治は椎名林檎が師匠と崇めるベーシスト!凄さが分かる曲は?出典:https://mag.sendenkaigi.com

亀田誠治は椎名林檎が師匠と崇めるベーシスト!東京事変はバンドマンの憧れ!

亀田誠治の苦い下積み時代!!

亀田誠治(かめだせいじ)は、1964年6月3日生まれのミュージシャン。編曲家や音楽プロデューサー、ベーシストとして活躍しています。

ニューヨーク出身で、幼少期からクラシックギターとピアノを学び始めた亀田誠治は、14歳からベースも始めました。帰国後、早稲田大学文学部在学中に、ピアニスト兼ボーカリストの吉中美樹との音楽ユニット「Miki-Pooh」を結成。就職活動はせずに作曲に没頭し、デモテープを作ってはレコード会社へ送り、バンドコンテストに応募したりするなど、音楽業界へアピールを精力的に続ける日々を送りました。

しかし、デビューはおろか、亀田誠治自身はお払い箱にされてしまう始末。ディレクターからは、いかにも社交辞令という感じで「勉強がてらスタジオにおいで」と言われますが、「妙に楽天的なところがあった」ことから、毎日レコーディングスタジオに通うように。

そこでプロの仕事を見て学ぶ内に、「この譜面ちょっと書いてくれない?」「次のデモテープは亀ちゃん、作ってみない?」と、徐々に仕事を任されるようになりました。1989年、ついに、アイドルグループCoCoのシングル曲に亀田誠治の楽曲が起用されます。同時にアレンジも任されたことから、編曲家としての活動も開始しました。

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亀田誠治「椎名林檎が崇めるベーシスト」の参加する東京事変はバンドマン憧れの的!

亀田誠治は、1999年から、編曲家兼ベーシストとして、椎名林檎と一緒に仕事をしてきました。やがて、感性豊かな椎名林檎からの信頼を次第に得ていきます。2006年の朝日新聞のインタビューで、椎名林檎は、「これまで気を付けてきたことは『ぶれずにいること』だけ。初めて『お前は変わるな』と言ってくれたのが亀田誠治さん」とコメントし、いかに信頼しているかを明かしています。

2人の関係性がさらに深まっていったのは2003年から。当時、シンガーソングライターとして活躍していた椎名林檎は、引退が頭をよぎるほど音楽活動のモチベーションを見失っていました。そこで、「メンバーのために書き下ろすつもりで曲を書けば、創作意欲が湧くのではないか」と、自身のバックバンドだった「東京事変」に自らがボーカルとして加わることで、正式にバンドデビューすることにします。

以後、亀田誠治がベーシストを務めるバンド東京事変は、2012年まで活動していました。今や、ベーシストとしても人間としても椎名林檎から慕われ、「師匠」と呼ばれる間柄となった亀田誠治。彼はその後、メンバーがたびたび入れ替わる東京事変の中で、ベーシストだけでなく、編曲家や作曲家としても柔軟に対応し、バンドの要となっていきました。

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東京事変がほかのバンドと決定的に違う点は、結成時から各々の音楽キャリアが大変優れているところです。アマチュアバンドからプロへという道ではなく、キャリアも実力も兼ね備えたプロ同士が結成した究極のバンドが東京事変。椎名林檎が師匠と崇める亀田誠治以外にも、2代目ギターリストの浮雲(東京事変以外は「長岡亮介」名義で活動)は、他のアーティストのレコーディングにも多数参加しています。

昨年大ヒットしたドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」の主題歌で、星野源が歌う「恋」にも参加していました。

亀田誠治の凄さが分かる曲はコレ!結婚した妻や息子は?

亀田誠治の凄さのヒミツを探れ!聴くべきは曲はコレ!!

亀田誠治のベーシストとしての凄さは、そのアーティスト、その楽曲ごとに、ベースがどうあるべきかを的確に判断して、奏法を柔軟に変化させることです。ベース音には、音楽を安定させる役割があります。一方で、ベースラインが「第2のソプラノ」とも言われる通り、単に楽譜通りに演奏すればよいわけではなく、表現力のある演奏をする必要もあります。亀田誠治のベースの凄さは、その安定感と表現力のさじ加減の絶妙さに尽きるでしょう。

東京事変の音楽スタイルは、現代のJ-POPによく見られるメロディーと伴奏の関係が明確なホモフォニー音楽ではなく、ほとんどがポリフォニー音楽に通じています。ポリフォニー音楽とは、ボーカル、ギターなどそれぞれのパートが対等で、複数のメロディーが合わさってハーモニーを生み出す音楽です。

あえてメロディー(ボーカル)と伴奏(その他楽器)を明確に分けないため、東京事変の楽曲でよく見られる亀田誠治のベースは、スライドなどを多用し、うねるような派手なフレーズが多く見られます。それを確かめたい方には、2007年に発表された東京事変のシングル「OSCA」がおススメです。

The Ventures(ベンチャーズ)やThe Beach Boys(ビーチボーイズ)の作り出したサーフミュージックの流れを受け継いでいる「OSCA」では、ベーシスト亀田誠治のうねるような派手なベースラインが楽しめます。その反面、2011年に発表されたシングル「女の子は誰でも」は、スウィングジャズの要素を盛り込んだ楽曲。亀田誠治も、ジャズで多用されるウォーキングベースで粋にまとめています。

この東京事変の音楽スタイルの対極にあるのが、編曲家としても参加している平井堅の「瞳をとじて」。とても分かりやすいホモフォニー音楽のJ-POPで、楽曲の雰囲気を考え、平井堅のボーカルを最重視しています。「瞳をとじて」では、渋く控えめに弾くことで、音楽全体のバランスをとっている亀田誠治のベース。この「楽曲によって柔軟に変化させる」亀田誠治のベースラインのテクニックの凄さは、音楽への深い解釈によって生み出されるものなのでしょう。

亀田誠治の結婚した妻と溺愛する息子について知りたい!

亀田誠治が結婚した妻は、下成佐登子(しもなりさとこ)と言います。1961年8月26日生まれで、宮城県出身の、ポップス&アニメソング歌手です。1980年代に、フジテレビ系列の「ハウス世界名作劇場」枠で放送されたアニメ「小公女セーラ」のオープニングテーマとエンディングテーマを歌っていたことでも有名です。

幼少からオルガンとピアノを習い、14歳の頃には作曲もしたという亀田誠治の妻の下成佐登子。2人には、温かな夫婦仲を感じさせるエピソードがあります。2013年の映画「カノジョは嘘を愛しすぎてる」で音楽プロデューサーを務めた亀田誠治。作品の試写会には、亀田誠治の妻も同席していました。映画も終盤に差し掛かった時のことです。

主人公の男女の想いが交錯するバラード「ちっぽけな愛のうた」を聴いた亀田誠治の妻は、「これ、私のために書いたんでしょ?」と断言。聴く側が、曲が描き出す世界を自分の人生に置き換えることは、作り手としては「してやったり」ですが、さすがに亀田誠治もビックリしたそうです。

そんな亀田誠治のツイッターや公式ブログには、息子への想いがたくさん綴られています。家族が音楽家ですから、亀田誠治の息子も音楽の道へ進んでいるのかと思いきや、水泳やサッカーに打ち込む日々を送っていました。亀田誠治は、息子の練習試合のために朝5時に起きて応援するために一緒に出かけるなど、多忙な合間を縫って、息子との時間を大切にしています。ツイッターで、「息子(長男21歳)を指圧中!家庭平和なり!」と呟く亀田誠治の様子からは、まさに「平和なり!」な家族の姿が垣間見られます。

亀田誠治の凄さの陰には両親の「褒められる教育」あり!!

音楽プロデューサーとして、作曲家として、ベーシストとして、J-POP界において数々の素晴らしい功績を残してきた亀田誠治。手掛けたアーティストの数は、200~300にも上ると言われています。亀田誠治は、中学校の卒業アルバムに「10年後、武道館で会おう」と書いていました。

しかし、1989年ころから音楽業界で頭角を現すものの、あくまでも編曲家として、あるいはバックバンドのベーシストとしてにとどまりました。そんな亀田誠治が東京事変として念願のバンドデビューを果たしたのは、40歳の時。ついに、ベーシスト亀田誠治として日本武道館のステージに立ち、25年越しの夢を実現させています。

亀田誠治は、アーティストとの接し方の上手さにおいても業界内で一目置かれているそうです。椎名林檎の音楽プロデュースにおいても然り。当時、椎名林檎のような独特な側面を持つアーティストは他におらず、レコード会社もどう活かしていけば良いものか悩んでいました。そこで声をかけられたのが亀田誠治。初対面で意気投合した2人は、その後、ヒット作を次々に生み出すこととなります。

アーティストは個性が強く、譲れないものも多いため、彼らの望むものを形に仕上げていく過程には心労が絶えません。そんなアーティストばかり200~300人を相手に、数々のヒット曲を世に送り出してきた亀田誠治。彼は、アーティストの意見を頭ごなしに否定することはせず、必ず「まず受け入れる」ことから始めます。

この忍耐強く、懐の深い人柄が、多くのアーティストの信頼を得るに至っている要因です。その秘密は、両親からよく褒められたのを覚えていると語る亀田誠治の生育環境にあるのかもしれません。この「褒められる教育」は、亀田誠治が大学生になっても続きました。

亀田誠治が大学生の時、自宅のクローゼットを壊してお手製DJブースを作ったときも、母親は、るどころか、「それ、凄いね!」と褒めてくれたとか。父親との微笑ましいエピソードもあります。中野サンプラザのステージに両親を招いたところ、父親からの手紙にあったのが「今日の舞台、素晴らしかった」という誉め言葉に続けて、「ベースという楽器が何の役割を果たしているか分からない。明日からギターに変更しなさい」。この両親の温かな後押しと「褒められる教育」により、亀田誠治の柔軟さや素直さ、他者を受容する余裕が育まれていったのでしょう。

亀田誠治には、20代半ばに出会った言葉があると言います。言葉の主は、15のグラミー賞受賞歴もある音楽家のデイヴィッド・フォスター。曰く「1日15時間、10年間音楽に没頭すれば必ず成功する」。亀田誠治は、その言葉通りにやって来ました。「言葉通りにやる」とは、頭では分かっていても、実際はなかなかできないものです。

しかし、音楽の才能あふれる亀田誠治にとっては、もしかしたら「1日15時間を10年間」という取り組みは、特別つらく感じるものでもなかったのかもしれません。得難い柔軟性と素直さを備えた亀田誠治が、音楽プロデューサー、作曲家、編曲家、ベーシストとして、今度どのような音楽を届けてくれるのか、楽しみは広がるばかりです。

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