小関也朱篤の嫁や子供は?スペイン合宿中に起きた暴力事件とは?

小関也朱篤の嫁や子供は?スペイン合宿中に起きた暴力事件とは?

小関也朱篤は22歳の時に結婚!嫁や子供は?

小関也朱篤(こせきやすひろ)は、平泳ぎを専門とする日本の競泳選手です。2016年のリオオリンピックでは、競泳日本代表メンバーに選出され、100メートル平泳ぎで6位という成績を残しています。

小関也朱篤は、大学を卒業し、競泳選手としてミキハウスに所属した2014年、11月22日の「いい夫婦の日」に一般女性と結婚しています。新社会人1年目での結婚は、「出来ちゃった結婚ではないか」とも噂されましたが、大学時代から交際していたという嫁と、社会に出た節目に入籍したのが実際のようです。

大学時代からお付き合いしていたということは、小関也朱篤が競泳選手として大きく飛躍していく様子をそばで見守ってきた存在であったと考えられます。そうした中から強い絆が育まれたからこそ、結婚の決断も早かったのかもしれません。プライベート情報はほとんど公表されていない中、2017年8月に報じられた、第1子となる女児が誕生したという情報に基づくと、小関也朱篤の現在の家族構成は、嫁と子供1人の3人家族ということになります。

小関也朱篤が後輩・天井翼に暴力事件!現在は和解済み

小関也朱篤は、2017年11月に、競泳日本代表の高地合宿先だったスペインで暴力事件を起こしています。自身と同じミキハウスに所属している後輩の天井翼が炊事当番を忘れていたことに激怒した小関也朱篤が、相手の腹部と顎を左手で1発ずつ殴る暴行を加えたというものです。

すぐにチームに報告した小関也朱篤は、天井翼にも謝罪し和解しますが、ミキハウスからは、2018年3月末までの対外試合出場自粛と日本代表活動の辞退、減俸などの厳しい処分を受けました。その後明らかにされたところによると、天井翼は「昼食の1時間前には自室に戻っていた」と炊事当番に遅刻したことを否定。

小関也朱篤も、集合時間を決めていたわけではなく、「天井翼とのコミュニケーション不足が原因であった」とコメントしています。どのような理由があったにしても暴力はいけないことですが、小関也朱篤にとっては、自分が日本を代表する選手であるということをさらにしっかりと自覚する機会にもなったのではないでしょうか。

小関也朱篤の高身長は努力の賜物?平泳ぎ界の後継者との呼び声

小関也朱篤の高身長は3年間続けた牛乳のおかげ?

小関也朱篤の身長は188センチです。同じ平泳ぎで活躍してきた選手と比べると、北島康介が178センチで、立石諒が182センチですから、小関也朱篤がかなり高身長であることが分かります。実は中学校に入学した頃の小関也朱篤は、身長152センチとさほど高身長ではありませんでした。

しかし、この中学時代になんと約30センチも伸び、卒業後には183センチまでに成長したと言います。これには小関也朱篤自身の努力もあったようで、身長を伸ばしたい気持ちから、3年間毎日牛乳を飲み続けたそうです。これまでの日本競泳界は、外国人選手に比べて体格が小さいというハンデを背負いながら世界と戦ってきました。

そのため、小関也朱篤は、外国人選手にも引けも取らない体格と、日本の優れた競泳技術の両方を持っていることが強みとなっています。

小関也朱篤はポスト北島康介!平泳ぎ界の後継者との呼び声

4歳から水泳を始め、小学校、中学校と続けていましたが、あまり良い成績が残せず、一度は「水泳は高校で辞めよう」と考えたという小関也朱篤。しかし、2008年の北京オリンピックで平泳ぎのエースだった北島康介の活躍を見て、奮起。北島康介と同じ日本体育大学に進学し、大学3年生になった2013年には、夏季ユニバーシアード競技大会に日本代表として出場。男子100メートル平泳ぎ決勝で見事優勝を獲得しました。

また、同年10月に開催された東アジア競技大会でも、男子100メートル平泳ぎで優勝しています。2014年の短水路競泳日本選手権においては、男子平泳ぎの50メートル、100メートル、200メートルの三種目全てで日本新記録を更新するという偉業も果たしました。

それまで日本の平泳ぎ界をけん引していたのは北島康介です。しかし、北島康介が現役で活躍していた時代から、後継する選手が育ってきていないと指摘されることがありました。そこへ登場したのが遅咲きの小関也朱篤で、次第に「北島康介の後継者」と言われるように。

2016年に北島康介の現役引退が発表されてからというもの、その声はますます強まっていきました。北島康介に憧れていた小関也朱篤にとってはまさに本望でしょう。「ポスト北島」を自認している小関也朱篤は、「気負わずに行きたい」と答えています。

小関也朱篤が地元の鶴岡市長を表敬訪問!2020年の東京オリンピックに向けて再出発

小関也朱篤は、2018年4月に、地元・山形県鶴岡市の皆川治市長を表敬訪問しています。幼少時代は鶴岡市にあるスイミングスクールに通って練習していた小関也朱篤は、2018年4月に開催された日本選手権水泳競技大会で2年連続3冠に輝くまでに成長しました。

この時の50メートルでは27秒12の日本新記録を樹立し、100メートル決勝では、北島康介が持つ58秒90の日本記録にわずか0秒06差で届かずという、好調な仕上がりぶりです。表敬訪問した際には、「3冠を達成できてほっとした」と素直な心情を覗かせながらも、「2020年の東京オリンピックで金メダルを狙いにいけるようにアジア大会でも好成績を残す」と強い意気込みを見せた小関也朱篤。

2017年に長女が生まれ、「東京オリンピックには子供も3歳になるのでそれまで貯金もしていきたい」と語っていた直後の暴行事件で大打撃を受けただけに、事件後初めての大会出場となった日本選手権には思うところも大きかったはずです。後ろ向きな気持ちに襲われることもあったでしょうが、復帰直後にきちんと記録を残した様子を見れば、自粛中もくさらずに努力をしてきたことが分かります。

再出発となった大舞台は、今後に向けて弾みのつく、良い滑り出しとなったのではないでしょうか。来る2020年の東京オリンピックでは、日本代表選手の座を逃さず、子供に、カッコいいお父さんの姿をぜひ見せてほしいものです。

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