レオナルド・ダビンチの生涯や「最後の晩餐」「モナリザ」の謎!!

レオナルド・ダビンチの生涯や「最後の晩餐」「モナリザ」の謎!!出典:http://matome.naver.jp

レオナルド・ダビンチの生涯や「最後の晩餐」「モナリザ」の謎!!

レオナルド・ダビンチ、その生涯は謎だらけ!「万能人」の異名で呼ばれる天才!

レオナルド・ダビンチは、イタリアのルネサンス期を代表する博学者であり、歴史に燦然と輝く「天才」。その人物像は、きわめて才能豊かであるとともに、神秘的な謎に包まれたものです。史上最高の画家という評価はもちろんのこと、人類史上もっとも多才との呼び声も高い人物としても有名なレオナルド・ダビンチ。

1452年にワインで有名なイタリアのトスカーナ地方で、公証人の父と農夫の娘である母との間に生を受けました。1519年5月2日に67歳で死去したとされています。レオナルド・ダビンチの名前は「ビンチ村出身のレオナルドさん」という意味で、本名は、レオナルド・ディ・セル・ピエーロ・ダビンチと伝わっています。実は、レオナルド・ダビンチの生涯は、謎だらけです。

出生も、私生児であることは分かっているものの、生涯独身を貫き通していること自体が大きな謎。精神分析学者ジークムント・フロイトが、レオナルド・ダビンチの手記を分析し、同性愛者ではないかと推測していますが確たる証拠はありません。
芸術家に弟子入りしたことから人生が動き始めたこともあり、画家としての顔が一番有名なレオナルド・ダビンチですが、それ以外にも、音楽、数学、建築、天文学、地理学、土木工学などなど、書ききれないぐらいの分野に精通していたことから「万能人」という異名で呼ばれていたのだとか。

そして、ミケランジェロやラファエロと並んで、ルネサンス期の三大巨匠ともされています。これほど多才な人物というと、日本では平賀源内が近い存在でしょうか。レオナルド・ダビンチの名声は生前から一貫しており、現在でも、史上最高の知性を持つ人物という評価は揺るぎないものです。

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レオナルド・ダビンチ、『最後の晩餐』の謎が『ダビンチ・コード』で素材に!『モナリザ』は謎めいた雰囲気で人々を魅了!

レオナルド・ダビンチの画家としての業績は、『最後の晩餐』『モナリザ』などの作品が一般的にも有名です。しかし、この2作品とも、謎が多いことでも知られます。

『最後の晩餐』。この絵は、サンタ・マリア・デッリ・グラッツェ教会付属の食堂の壁画として描かれました。描かれるのは、キリスト教の聖書でも知られる、イエス・キリスト最後の晩餐の情景。キリストが晩餐を共にした12人の弟子に「このうちの1人が私を裏切る」と予言したという有名な場面です。

ダン・ブラウンの長編推理小説『ダビンチ・コード』では、ミステリーの素材として重要な位置を占め、画の中のキリストに向かって左側の人物は「マグダラのマリア」(女性)であるとされ、2人の間にあるV字型の空間は、イエスの血を授かった「聖杯」(つまりマリアの子宮)を暗示。つまり、マグダラのマリアは、イエスの子供を身ごもっていたとする衝撃的な解釈が展開されました。解釈の是非はともかくとして、この『最後の晩餐』が、斬新な解釈ができる余地を残した謎めいた名作あることは間違いありません。

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『モナリザ』は、その技法が注目されています。見る角度によっては、微笑しているように見えるモナリザの表情が、微笑ではなくなる描き方をされているというのです。その他にも、顔の左と右を分けて見ると、男性顔と女性顔に描かれているとの説も。さらには「モナリザ」は2枚存在しているという話まであります。実際、アニメ「ルパン三世」では、モナリザが2枚あるという伝説をモチーフにした作品がありました。

また、タイトルの意味は、「私の貴婦人・リザ」。制作は1503年から1506年にかけてと考えられており、そのモデルは、フィレンツェの富裕な商人で、行政官も務めたフランチェスコ・デル・ジョコンドの妻リザ・デル・ジョコンド説が有力ですが、聖母マリアや、レオナルド・ダビンチの母親説も唱えられています。笑っているようで笑っていないモデルの不思議な表情の理由や、薄暗い背景に描かれた内容など、解明されていない点が多く、謎めいた雰囲気に満ちた『モナリザ』は、現在まで人々を魅了し続け、研究の対象となっています。

レオナルド・ダビンチのぶっとんだ性格がわかるエピソード集!

レオナルド・ダビンチ、ぶっとんだ性格!飽きっぽい天才肌だった!

レオナルド・ダビンチは、知れば知るほど謎だらけの人物ですが、長身で長髪、ひげをたくわえた美男子で、物腰もやわらかく、穏やかだったと伝えられています。派手で目立ちたがりな服装に身を包み、会話もウィットに富んでいて、人々を魅了する性格だったようです。

しかし、その内面は、考え込みがちな気難しい性格で、頑固かつ好き嫌いも著しい孤独な人物だったともいわれています。そんな天才肌のぶっとんだ性格のレオナルド・ダビンチはまた、遅筆だったことでも有名です。画家として歴史に輝かしい名を残していますが、絵画作品は20点程度しか残されていません。しかも、その多くが未完成。前述した『最後の晩餐』『モナリザ』も、未完成の作品であるとされています。

ただし、絵や彫刻の設計図ともいえるスケッチなどが膨大な数残されていることを考え合わせると、飽きっぽく、気持ちが乗らなければ描けない性格だったのではとも考えられます。実際、作品の仕上がりが思わしくないと、依頼主が「完成する気がないのかも」と気を揉んだというエピソードも。いかにも天才肌の人物像をほうふつとさせるレオナルド・ダビンチ。彫刻類はほとんど現存していませんが、当時の記録と照らし合わせると、これまた未完成で終わったものがかなりあったようです。

また、レオナルド・ダビンチは、メモ魔というぐらいメモをたくさん取るのに、そこに書かれた日付や場所の記載がバラバラだったようです。また、メモが鏡文字で書かれているという、とんでもない才能を持ち合わせいるかと思えば、外国語の習得や暗算などはまるで不得意だったというのです。

本当にぶっとんだ、ある種の性格破綻者と見られてもおかしくない性格の持ち主。それは裏を返せば、レオナルド・ダビンチの天才性につながっているということになるのかもしれません。

レオナルド・ダビンチ、ぶっとんだ性格は血縁だった?前代未聞の遺言状のエピソード!

レオナルド・ダビンチのぶっとんだエピソードは、まだまだ続きます。幼少期のレオナルド・ダビンチは、正当な教育を受けることなく、自然に親しんでいたようです。これは、自由奔放な性格だった叔父から影響を受けたためといわれており、レオナルド・ダビンチのぶっとんだ性格は、血縁から由来するものだった可能性も。幼少期は、「水」に対し、人並みならぬ興味を抱いていたというレオナルド・ダビンチ。その後、14~16歳でフィレンツェに移ったレオナルド・ダビンチですが、芸術家アンドレア・デル・ヴェロッキオの工房に弟子入りし、ボッティチェッリらと共に画家見習いとして学びました。

あるとき、レオナルド・ダビンチは、ヴェロッキオの絵画『キリストの洗礼』の一部を工房で描いたのですが、その出来の良さに衝撃を受けたヴェロッキオは、一切筆をもたなくなったというエピソードが伝えられています。真相は、工房の絵画部門をレオナルド・ダビンチに任せて、本業である彫刻に専念したということのようですが、レオナルド・ダビンチの絵画の才能が若いころから非凡だったということがうかがい知れるエピソードです。

レオナルド・ダビンチが世を去る際に遺した遺言状がまたぶっとんだ前代未聞の内容で、「葬式には、60人の貧者に60本の松明を持たせ参列させる」「彼らに参列代として銭を与える」「その松明を四つの教会に分ける」といった条件だったと伝えられています。

レオナルド・ダビンチ、文書調査で存命の血縁者を発見!その名前はペンネーム?

レオナルド・ダビンチの名が、最近また取り沙汰されることになりました。それは、イタリアの調査チームが、ルネサンス期の巨匠レオナルド・ダビンチに連なる血縁者を発見したと発表したためです。1519年に死去したレオナルド・ダビンチは、16世紀に遺体が失われ、DNA検査は不可能。

しかし、レオナルド・ダビンチ博物館のアレサンドロ・ベッツォーシ館長と、国際ダビンチ協会のアニエーゼ・サバト会長の2人は、イタリアやフランス、スペインで教会や地方議会、不動産など関係文書の調査しました。レオナルド・ダビンチ自身は生涯独身を貫いたため直系の子孫はいません。しかし、何度目かにして、とうとう家系図の作成に成功したのです。DNA鑑定ができないという意味では、レオナルド・ダビンチと100%の血縁関係を証明することはなかなか難しいでしょうが、35人の人物が判明したということですから、この中には、血縁者がいるといってよいのでしょう。

35人の中には、アメリカのアカデミー賞にノミネートされたこともあるイタリアの映画監督も含まれているのだそうですから、レオナルド・ダビンチの持つ芸術性の血がこんなところで受け継がれていた……などというロマンチックな想像も広がります。

血縁者の1人とされるジョバンニ・カロシさんが、イタリアの日刊紙の取材に応じ、「母親から、鏡に映さないと読めない文書や手紙について聞いた」とレオナルド・ダビンチが多用した鏡文字に言及しつつ、「世代を超えて受け継がれた言い伝えは本当だったのだと思った」と語りました。ということは、レオナルド・ダビンチの血縁は、兄弟を通じて脈々と受け継がれていたということになります。

しかし、レオナルド・ダビンチには、まだいろいろな謎が残されています。たとえば、その名前「レオナルド・ダビンチ」がペンネームではないかという説。彼は、自分とその仲間たちを「レオナルド・ダビンチ」、つまり「ビンチ村出身のレオナルドさん」と総称し、その代表となっていた可能性も指摘されています。また、老若男女の体にきわめて精通している節が見られることから、医者の顔も持っていた可能性も。

今後も引き続きさまざまな調査がなされるでしょうが、多種多様な才能を発揮し、それぞれが神秘的なベールに包まれてるレオナルド・ダビンチの全貌が明らかになることはないように思われます。レオナルド・ダビンチを一言で言い表すとすれば、今もなお我々の想像をかきたててやまない知の巨人、それに尽きるでしょう。

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