松島トモ子のライオンとヒョウにまれた恐怖体験!現在の活動は?

松島トモ子のライオンとヒョウに噛まれた恐怖体験!現在の活動は?

松島トモ子の恐怖体験「死んだ」……首の骨が音を立てた!ライオンとヒョウに相次いで噛まれる

松島トモ子は、1986年のTV番組「TIME21」の撮影のためにケニアへ行き、誰もしたことのない恐怖体験をします。それは、言わずと知れた、ライオンとヒョウに相次いで噛まれるも生還したという衝撃的な体験でした。

松島トモ子は、はじめライオンに噛まれ、10mあまりも引きずられたことで頭部がパックリと割れ、大量出血したにもかかわらず、近くに病院がなく、瀕死の状態に陥ります。翌朝ようやく病院に行きましたが、「6時間以上経った猛獣の傷には雑菌が入っているから縫わない」方針で、傷口は縫合されなかったそうです。

自身の不注意に責任を感じたのでしょうか、なんと3日後には病院を抜け出して撮影を再開した松島トモ子。頭部がパックリ割れた状態で、ヒョウのいる動物保護区へ赴いたのです。そこで2度目の恐怖に襲われることになるとは、誰が予測できたでしょうか。

松島トモ子を再び襲ったのは、ヒョウでした。ヒョウに噛まれた時は、ライオンに襲われたとき以上に想像を絶する体験だったため、自身もなかなか口外できなかったという松島トモ子。後に語られた当時の様子は、首の骨がガリガリと音を立て粉砕し、血が噴き出し、「死んだ」と思いながら気絶したというものでした。

松島トモ子の現在の活動

松島トモ子が現在レギュラー出演している番組はありません。過去には、2015年まで放送していた、親交の深い永六輔のラジオ番組「土曜ワイドラジオTOKYO永六輔その新世界」に常連ゲストとして出演し、ジャーナリスト的レポートを披露していました。その永六輔をゲストに招くコンサートを、成城ホールで定期的に公開している松島トモ子。2時間の舞台では、歌ありトークあり合唱ありのフレンドリーなコンサートのようです。

また、慈善活動の一環として車いすダンスという競技を経験した松島トモ子は、今ではNPO法人日本車いすダンススポーツ連盟の理事を務め、自身の講演では、車いすダンスのデモンストレーションやショーも行うなど、車いすダンスの普及に力を注いでいます。大会では優勝経験もある松島トモ子。もともとバレエをしていたので、ダンスの表現力には、かなりの見応えがあるのかも知れません。

松島トモ子の若い頃は橋本環奈似?生い立ちや子役時代とは?

松島トモ子の若い頃は天使?!千年に1人の逸材がすでに2人生れていた?

松島トモ子と橋本環奈が似ているという噂が、Twitterなどでつぶやかれています。ネットには、若き日の松島トモ子と橋本環奈の写真を比較するサイトもあり、意見が活発にやりとりされていました。確かに松島トモ子の大きな目や童顔は、橋本環奈と似ているような気もしますが、そう感じているのは、むしろ若かりし松島トモ子を知る世代の方々であるようです。

橋本環奈といえば、イベント中の写真が「奇跡の一枚」としてネットで拡散され一躍有名人となりました。千年に1人の逸材ともいわれ、天使すぎるアイドルとして、映画やTVで活躍しています。松島トモ子の若い頃が橋本環奈に似ているということは……千年に1人の逸材の1人目は松島トモ子であったのかも知れません。

現に松島トモ子の子役時代の人気も驚くべきもので、雑誌の表紙を長年飾るなど、それはそれは大変なものでした。松島トモ子は、70歳になった現在も、若かい頃の画像と比べさほど変わりない美しさを保ちながら時を重ねています。

松島トモ子の華麗なる子役時代!しかしその生い立ちは壮絶

松島トモ子は1945年7月10日生まれの70歳です。第二次世界大戦末期の満州国は奉天(現・中国瀋陽市)で生まれた松島トモ子は、1歳を迎える前、母とともに日本へと引き揚げてきました。太平洋戦争に敗北し、満州国が旧ソ連の配下に落ち、旧ソ連に抑留され父親は、松島トモ子を抱くことなく亡くなります。

それは、松島トモ子が日本に引き揚げる前の出来事でした。帰国後、幼い松島トモ子はバレエを始めたのですが、その目鼻立ちの良さで、かの名優・阪東妻三郎にスカウトされ、映画や歌で活躍するように。1949年4歳の時に「獅子の罠」でデビューした松島トモ子は、1951年には光文社月刊誌「少女」の表紙を6歳から14歳まで飾り続け、映画では、森光子の従兄である嵐寛寿郎主演の「鞍馬天狗」の杉作役、江利チエミ主演の「サザエさん」の磯野ワカメ役などを演じ人気を博しました。主演映画作品は通算80本にもおよぶといいますから、当時の人気の高さが分かりますね。

松島トモ子は唯一無二!猛獣に襲われた体験も自虐ネタに

松島トモ子は、ライオンとヒョウに噛まれた経験を、時おり、取材やトーク番組で語っていますが、自虐ネタを語るような調子でざっくばらんに話します。「中村元の超水族館ナイト」の20回記念にゲストで出演した時には、ヒョウに噛まれた時に負った「第四頸椎粉砕骨折」を、水族館プロデューサーの中村元が「ライオン頸椎……?」と聞き間違えたのを、「だ・い・よ・ん・け・い・つ・い!」と突っ込み笑いを取っていました。

さらに、50回記念にも出演をと言われた松島トモ子は、「その時までにまた何かに噛まれたほうがいいのかしら?」とボケて見せ、それに対し中村元が、「超水族館ナイトなので、できればシャチでお願いします!」と落ちまでつけています。中村元と松島トモ子の親交がスタートしたのは、1980年代からで、中村元が鳥羽水族館に入社したばかりの時でした。

ケニアの悲劇以前のことのようですが、この時も、松島トモ子がアシカのトレーナー体験をするというTV番組の収録で、飼育員だった中村元が「アシカは突然目の前に行くと噛むことがある」と注意事項を伝える前に、松島トモ子はアシカの前に座っていたといいます。動物が好きな気持ちが、怖さを超えた結果の行動のようですが、松島トモ子が、いつ動物に襲われてもおかしくない行動を取っていたことは否めません。

松島トモ子本人も言っているように、危害を加えたライオンやヒョウに罪はありません。奇跡的に生還したとして世界的にも唯一無二の生存者となった松島トモ子ですが、彼女が恐怖体験を語り継ぐことで悲惨な事故防止になることを願いたいです。

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