黛ジュンは60年代最後にして最強のアイドル!恐るべき恋愛遍歴とスキャンダルとは

黛ジュンは60年代最後にして最強のアイドル!恐るべき恋愛遍歴とスキャンダルとは出典:http://www.oricon.co.jp

黛ジュンを引退危機に追い込んだ病気とは?年齢やプロフィールは?

黛ジュンは日本レコード大賞に輝いた60年代最後にして最強のアイドル

芸能人と呼ばれる人たちは、大きく2種類に分けることができます。1つは、歌手や俳優、お笑い芸など本来の実力で名を成した人たちであり、もう1つは、その芸よりも、事故や病気、不幸な人生、スキャンダルで、名を残す人たちです。

1967年から1970年にかけて、歌謡界を席巻したアイドル歌手・黛ジュン(まゆずみじゅん)もまた、後者の典型のような芸能人といえるでしょう。黛ジュンは、1948年生まれの68歳。まだアイドル歌手時代が来る前の1967年、「恋のハレルヤ」がヒットし一躍注目を集めます。

ボーイッシュなヘアスタイルにミニスカートという最新ファッションと、独特のアルトボイスが大人気となり、1968年「天使の誘惑」では、日本レコード大賞に輝きました。黛ジュンは、1967年と1968年のたった2年間で、シングル500万枚を記録。当時の彼女の人気の凄さが分かります。

黛ジュンは本業の歌手よりスキャンダルの話題が先行する女!不調による引退危機も

デビュー直後から大人気となった黛ジュンでしたが、その後は、1、2曲のスマッシュヒットに恵まれただけで、時代は10代のアイドルブームへ移行。黛ジュンは、瞬く間に歌謡界から忘れられていきます。というよりは、恋多き女性として、歌手本来の仕事から遠ざかっていった、と言ったほうが正しいかもしれません。以後30年あまり、スキャンダラスな暮らしが続いた黛ジュンは、歌手復帰を本格的に目指して活動を開始。

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しかし、先輩歌手とのトラブルなど、これまで同様にスキャンダラスな話ばかりが先行して、本来の歌手としての仕事はままならずにいました。また、2006年頃から始まった喉の不調により休養を余儀なくされ、歌手引退の危機などと騒がれたことも。幸い、不調の原因が判明したとのことで、現在は、時おりステージに立つ姿も見られます。

黛ジュンと兄・三木たかしの絆!結婚歴や子供は?

黛ジュンの兄は、津軽海峡冬景色を作曲した故三木たかし

黛ジュンの兄は、「津軽海峡冬景色」などで有名な作曲家の三木たかしです。実は、大ヒットとなった「天使の誘惑」のB面に収録されていた楽曲「ブラック・ルーム」の作曲者・渡辺たかしとは、三木たかしその人でした。他にも、1993年にリリースされた黛ジュンの「すべてがさよならになる」の作曲も三木たかしが担当しています(作詞は秋元康)。2009年、彼がガンで亡くなる4カ月前には、NHKで兄妹共演も果たしましたが、兄としては、最後まで不肖の妹のことが心残りでならなかったでしょう。

黛ジュンの恐るべき恋愛遍歴とスキャンダル

どうやら黛ジュンは、極度の恋愛体質だったようです。人気が下降しはじめた1970年、22歳の時、レコーディングをサポートしてくれた有名ベイシスト江藤勲と結婚しますが、わずか3年で離婚。29歳の時には、タイで知り合ったシンガーとつき合ったあげく、金をだまし取られ、彼が既婚であったことが分かります。

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36歳の時には、その反動か、大物政治家の愛人となり、世界一周旅行に同伴しますが、相手に嫌気がさして1人で帰国。41歳でようやく、ドラマーの石田秀雄と再婚しますが、何かと稼げてしまう黛ジュンの収入が仇となって、46歳でまたもや離婚しました。

50歳の時には、米国で成功した日本人実業家と、贅沢な大人の不倫に走りますが、やはり別れの時を迎えます。そして2003年、53歳の時に、かねてから知り合いだった作詩家の里村龍一と婚約した黛ジュン。しかし今度は、婚約者から、イタコ(青森の恐山などで有名な霊媒師)のお告げで、「黛ジュンには男がいて、相性も最悪」と告げられたからと、婚約破棄を言い渡される始末……。

現在の黛ジュンは、若い時に稼いだお金で買った3階建ての小さなマンションのオーナー兼管理人として、犬4匹とともに、独りで暮らしているそうです。

黛ジュンがスキャンダルな人生を送らずに歌を歌い続けていたなら……

黛ジュンが、日本レコード大賞を受賞した1968年は、タイガースやテンプターズなど、グループサウンズの全盛期でした。また、歌謡曲が、和製POPSや、ムード歌謡、ど演歌などに細分化され、それぞれがヒットを連発。まさに歌謡曲の黄金時代を迎えようとしていました。

黛ジュンの歌った、作詩なかにし礼、作曲鈴木邦彦による「天使の誘惑」は、坂本九の「上を向いて歩こう」以後、和製POPSの1つの到達点ともいえる曲であったかもしれません。これが実現したのは、坂本九の歌唱法と同様に、ビブラートの途中にこぶしが混ざる、黛ジュン独特の和洋折衷な歌唱法によるものでした。

黛ジュンは同年、全く演歌といっていい、「夕月」も大ヒットさせています。ちなみに、この曲の作詩はなかにし礼で、作曲は実兄である三木たかしの作品でした。しかし、1970年に入ると、不思議な現象が起こります。当時のアイドルといってよい60年代後半に活躍した女性歌手の人気が軒並み衰え、歌謡界から消えていきました。

たとえば、石田あゆみや小川知子ですが、その典型が黛ジュンでした。彼女たちは、1970年当時、まだ21、22歳です。たしかに黛ジュンの場合は、20歳を超えて間もなく結婚したという事情もありましたが、歌謡界は、ローティーンを主体としたアイドルの時代を迎えようとしていたのです。

黛ジュンがそれでも歌を歌い続けていたならば、伊東ゆかりのような本格派女性歌手として、また違った存在になっていたかも知れません。しかし、その後の黛ジュンは、スキャンダルでのみ芸能界を生きてきてしまったようで、その歌手としての才能が惜しまれます。

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