三原康裕がバーバリー後継ブランドをデザイン!妻や兄も一流アーティストだった!

三原康裕がバーバリー後継ブランドをデザイン!妻や兄も一流アーティストだった!

三原康裕がバーバリー後継ブランドをデザイン!継承と革新をコンセプトに新しい風を

三原康裕(みはらやすひろ)は、PUMAやAPRICAとのコラボレーションシューズも手がけてきた、世界でも有名なファッションデザイナーです。青山に直営店「SOSU MIHARAYASUHIRO」を持ち、2005年には、フィレンツェで開催されたメンズファッションブランドの展示会「PITTI UOMO」に、招待デザイナーとして参加もしました。

独学で靴の制作を学び、その実力が認められてコラボレーションすることになったPUMA BY MIHARAYASUHIROは、全世界で発売されて人気です。正面から見ると見慣れたスニーカーですが、後ろから見ると、まるで異なる奇抜なデザイン。こうした独自の発想力が評価され、シューズデザイナーから出発し、後にウェアラインも手がけるようになりました。

三原康裕は、2015-16年の秋冬シーズンから、バーバリーの後継ブランドのデザイナーとしても活躍しています。それが、「継承と革新」をコンセプトとする「ブルーレーベル・クレストブリッジ(BLUE LABEL CRESTBRIDGE)」および「ブラックレーベル・クレストブリッジ(BLACK LABEL CRESTBRIDGE)」です。「継承」すべきものは、バーバリーがこれまで培ってきたクオリティの高さ。

そこに、「革新」として新しい風を送り込むのが自身の役割だと語っています。このオファーにはじめは驚いたそうですが、「この会社のモチベーションの高さ、勢い、熟練の人たちがいる強みといったものを軸にしてブランドを展開していきたい」と意欲を見せています。

三原康裕の妻や兄も一流アーティストだった!類は友を呼ぶ?

三原康裕は世界的に活躍するデザイナーですが、彼の妻や兄も、また超一流でした。妻は、静岡県出身のジャズピアニストの上原ひろみ。三原康裕と2007年9月1日に結婚しました。

彼女は、毎年世界中で150公演ものツアーを続けるバイタリティの持ち主で、DREAMS COME TRUEや、矢野顕子、東京スカパラダイスオーケストラなどともライブで競演しています。さらにすごいのは、ニューヨーク・ブルーノートで8年連続、1週間にわたる公演を成功させていること。その実力の高さがうかがえますね。

一方、三原康裕の兄・三原英詳(みはらひであき)は、弟と同じくデザイナーをしています。バッグのデザインを手がける他、世界的に人気のあるブランド、ピエールカルダンやアシックスでアドバイザーも務めてきた人物です。

三原康裕が結婚した妻は上原ひろみ!兄や両親の職業は?

三原康裕が結婚した妻は上原ひろみ!小学校時代から才能を見せつけた天才ピアニスト

三原康裕の妻でジャズピアニストの上原ひろみは、6歳でピアノを始め、8歳からジャズに興味を持ちます。小学校時代から即興演奏をこなし、学校の音楽会のために「おどるポンポコリン」を独自に編曲するなど、当時から周囲を驚かせる才能の持ち主でした。

14歳のときに、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団と共演しているという話ですから、天賦の才能とは恐ろしいものです。20歳になると、ヤマハの奨学金を得てアメリカのバークリー音楽大学へ留学し、作編曲を学びました。そして2006年、三原康裕のミラノコレクションで2人は共演しました。これをきっかけに、交際がスタートしたようです。結婚後の2011年も、パリコレクションで夫婦コラボしています。

三原康裕の兄や両親の職業は?母は画家、父はにわとり研究家

三原康裕の兄・三原英詳は、バッグブランド「SAN HIDEKI MIHARA」のデザイナーを務める傍ら、三軒茶屋にあったBAR「ARBOUR」も自ら設計し、施行もしたという多才な人物です。「SAN HIDEKI MIHARA」のコンセプトは、機能性・デザイン・存在感の3つ。

革という素材の特徴を存分に活かし、見た目に美しく使い勝手の良い作品を発表しています。三原英詳は、2005-06年の秋冬から、ピエールカルダン プリュス トロア クリエイティブディレクター、2008年4月からは、アシックスオニツカタイガーアドバイザーを務めてきました。現在は、バッグ職人育成スクールを運営するなど、さらに幅広く活躍中です。

また、三原康裕・英詳の父親はにわとり研究家で、母親は画家。にわとり研究家とはあまりなじみのない職業ですが、話によれば、にわとりのワクチンを研究しているそうです。三原康裕の芸術的感性に多大な影響を与えたのは、どちらかといえば母親で、幼少期から絵画の英才教育を施し、芸術的に恵まれた環境を提供してきたといいます。

三原康裕の家族は、どうやら1つのことを追求していくタイプのようです。この家庭環境が、既存の概念にとらわれず、世界中で活躍を続ける三原康裕の礎となっているのでしょう。

三原康裕のものづくりの哲学!靴は「盆栽の器」みたいなもの

三原康裕がものづくりの哲学を語ったのは、NHK・Eテレのクロスインタビュー番組「SWITCH インタビュー達人達(たち)」2017年2月18日放送回でのことでした。この番組は、異なる分野で活躍している”達人”2人が語り合います。この時のもう1人の達人は、歌舞伎俳優の中村獅童でした。2人は同じ1972年生まれ。番組では、伝統の中に革新を起こす、という共通点がある三原康裕と中村獅童が、どのように革新を生み出し、逆境を乗り越えかについて語り合いました。

三原康裕のキャリアは、ファッションデザイナーとしては異色です。大学でテキスタイルを学んでいますが、靴の制作技術は独学で習得してきました。
幼い頃、美術館で絵画作品や彫刻に触れようとして怒られたことが、トラウマになっているようで、「人が使うものに哲学や信念を投影できる生き方をしたい」と考え、靴を作る道に進みました。三原康裕にとって、靴は「盆栽の器」のようなもの。その中に足を収めて守りながら、歩いている最中の出来事や自然の摂理を、持ち主の記憶と共に「堆積させていくもの」だと語ります。

自分の伝えたいことを表現する、それが三原康裕のものづくりだからこそ、三原康裕のデザインする靴や衣服は、世界中のハイセンスな人々に支持されているに違いありません。「限界以下のことばかりやっていると、どこにいるのか分からなくなってしまう」「ものを作るうえで現在地を知るたったひとつの方法は、自分が壁にぶつかること」と考えている三原康裕は、高みを目指し格闘しながら、誰も観たことのない新しいデザインを生み出し続けていくことでしょう。

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