中村美津子は結婚して子供アリ!笑顔の裏にあった壮絶すぎる生い立ちとは?

中村美津子は結婚して子供アリ!笑顔の裏にあった壮絶すぎる生い立ちとは?

中村美津子は苦節15年の後に36歳でメジャーデビューしたベテラン歌手

中村美津子は、紅白歌合戦の出場経験も豊富なベテラン演歌歌手です。ちょっと古くなりますが、勝新太郎・田宮二郎出演の名画「悪名」で描かれた、八尾の朝吉や青次の「ごんたくれ」(困った乱暴者)ぶりが、いなせな浪花男の典型でした。そんな男たちが、祭りに一節、美声を披露したのが浪花節であり、河内音頭です。

全国に音頭は数あれど、河内音頭は昭和30年代に、マンボのリズムを取り入れ、伴奏には太鼓や三味線だけでなく、ビートの利いたエレキギターを加えたことで、極めてノリのよい音頭となり人気を博します。今でも、河内音頭は、大阪人のソウルビートといっても過言ではありません。

この河内音頭のソウルを、「河内おとこ節」という歌謡曲にして現代に甦らせ大ヒットさせたのが中村美津子です。そして、中村美津子自身の半生がまた、大阪のど根性人生でした。

中村美津子のど根性人生から生まれた大ヒット曲「河内おとこ節」

中村美津子は、1950年生まれの66歳。東大阪の下町の風呂屋に住み込みで働く両親の元、5人兄弟の2番目に生まれました。母親を早くに亡くした中村美津子は、上の姉とともに、小学生の時分から、新聞配達をしていたそうです。しかし、中村美津子には生まれながらに才能がありました。

それが、河内音頭です。幼い頃から、初音家賢次の門に入って研鑚を続けた中村美津子は、「天才音頭少女」として評判となります。それが、少なからず家計の足しになったことはいうまでもありません。そんな中村美津子は、うどん屋で働いていた19歳の頃、悪質な芸能事務所に、歌の仕事と騙されて、台湾へ巡業。1カ月の約束が、誰も迎えに来てくれず、やっと日本に帰って来られたのは、3カ月後の20歳の誕生日だったとか。

しかし、その後も歌手としては鳴かず飛ばずだった中村美津子は、キャバレーやヘルスセンターのドサ回りを15年。36歳でやっとメジャーデビューし、1991年に出した「河内おとこ節」が、地元の東大阪や八尾の有線放送で人気に火がついて、大ヒットします。時に、中村美津子41歳でした。実は中村美津子は、このヒットをきっかけに、公務員の男性と結婚して、男女2人の子供もいるのだとか。中村美津子は、苦労をばねに笑って生きる、まさに「河内おんな節」です。

中村美津子の人生を変えた「河内おとこ節」!年齢、プロフィールは?

中村美津子は「河内おとこ節」を紅白で8回歌った!

中村美津子は、「河内おとこ節」の大ヒットで、デビューと同時に、実力派演歌歌手として脚光を浴びます。そして、歌のうまさだけでなく、苦節15年で培った、場の仕切りやトークのうまさも知られるようになります。当時、すでに下火となっていた演歌の世界。テレビでも、演歌歌手が出演できる番組は、すでに少なくなっていました。

そんな折、中村美津子は、関西ローカルのテレビ大阪「演歌一夜」や、毎日放送の「乾杯!トークそんぐ」で、軽妙なトークにより司会をこなします。他の歌手の持ち歌を歌わせても、ピカイチのうまさでした。こうして、関西を中心に、絶大な人気を誇るようになった中村美津子。

NHKの紅白歌合戦には、1992年「河内おとこ節」で初出場して以後、2010年までに、15回の出場を果たしています。うち8回は、「河内おとこ節」を歌っていますが、「河内おとこ節」が、演歌の定番として、いかに人気を誇っている歌かが分かります。

中村美津子のヒット曲は2パターン!「河内おとこ節」のような男歌と「壺坂情話」のような人情もの

中村美津子のヒット曲には、桂春団治を歌った「浪花しぐれ『桂春団治』」「男の杯」「人生桜」「だんじり」など、粋で気骨のある男歌がよく知られています。しかし、中村美津子の真骨頂には、もう1つ、浪曲テイストの人情ものがあります。「大阪情話」や「壺坂情話」、そして「瞼の母」などが中村美津子の人情ものの代表で、これらの歌は、決して他の女性演歌歌手には真似のできない楽曲です。

中村美津子の集大成は歌謡浪曲「「無法松の恋~松五郎と吉岡夫人~」

中村美津子が、他に追随を許さない人情ものの楽曲には、彼女の育ちも大きく影響しています。6畳一間に一家7人が住んでいた極貧生活。そんな暮らしにあっても、幼い中村美津子が明るく口ずさんでいた歌のうまさに、なんとか娘の天性の才能を伸ばしてやろうとした両親の思いが、河内音頭の音頭取りへの弟子入りとして、実を結びました。

15年にも及ぶ下積み暮らしで中村美津子が得たものが、演歌の魂でした。また、中村美津子は、36歳で歌手としてメジャーデビューする4年前に、女性浪曲師の春野百合子に師事します。こうして中村美津子は、演歌のこぶしだけでなく、河内音頭のうなりや、浪曲ならではの語りの外連味など、これら独特の歌唱法を、全て身につけていきました。

その集大成が、中村美津子の人情ものの楽曲といえるでしょう。これぞ、かつて、三波春夫の「俵星玄馬」や、二葉百合子の「岸壁の母」などが歌った、まさに歌謡浪曲の復活です。「瞼の母」の完成版は、19分に及ぶ大作でした。しかし、中村美津子のデビュー30周年を記念して、2016年7月に発売された、新作の歌謡浪曲「無法松の恋~松五郎と吉岡夫人~」は、なんと21分13秒にも及ぶ大作です。

この歌謡浪曲は、田村正和の父、坂東妻三郎の名画「無法松の一生」だけでなく、演歌の定番として歌い継がれてきた「無法松の一生(度胸千両入り)」の、歌謡浪曲版。中村美津子は、この作品を、テロップやモニターを使わず、見事に歌い切っています。中村美津子の歌声には、時代を超えてたくましく生きる、浪花の人々の心意気と情念が、今も脈々と息づいているようです。

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