原田悠里は北島三郎の秘蔵っ子!遅咲き演歌歌手には意外な経歴があった!

原田悠里は北島三郎の秘蔵っ子!出身校やプロフィールは?

原田悠里は北島三郎に認められた秘蔵っ子!

原田悠里(はらだゆり)は、北島三郎ファミリーの演歌歌手です。北島三郎に弟子入りすることになったきっかけは、原田悠里が北島三郎の公演を観劇したことでした。

北島三郎が歌った「風雪ながれ旅」に心を揺り動かされ、感激した原田悠里。もともと歌手志望で、北島三郎に弟子入りするため、美空ひばりの歌やシャンソンを吹き込んだデモテープを送ったのだとか。デモテープを聞いた北島三郎が、「演歌を歌える人間だね」と太鼓判を押し、晴れて北島三郎に弟子入りしました。以後の活躍ぶりはご存じの通り。北島三郎の秘蔵っ子の名に恥じない活躍を続けています。

原田悠里は元教師だった?!気になるプロフィール、出身校は?

原田悠里は、1954年12月23日の熊本県生まれ。みかん農家を営む両親の元、一人っ子として育ちました。原田悠里の父親は、自身が農業高校の教員だったため、娘にも、教員として自立した人生を生きることを強く希望していたと言います。原田悠里は、熊本県立天草高校を卒業後、鹿児島大学教育学部でクラシック音楽やオペラを学び、音楽の教員免許を取得。大学卒業後は、教員採用試験を受けました。

もともと、歌手希望だった原田悠里。「音楽教師になったのは、上京するのに親を納得させる理由が必要だったから」で、東京に近いほうが歌手になるチャンスがあるだろうと考え、横浜で公立校の音楽教師としての生活をスタートさせます。教師として教壇に立つ傍ら、夜は弾き語りのアルバイトというハードな毎日を送っていました。とはいえ、教師時代は、生徒たちと本気で向き合い、教師という職に全力を尽くしていたといいます。

その証拠に、当時の生徒たちは原田悠里を慕って、四国や九州のコンサートにまで駆けつけ、今でも花束を贈ってくれるそうです。しかし歌手の夢を捨て切れず、2年ほどで音楽教師を辞職。27歳でデビューするまで、クラブ歌手やラジオDJとして活動していました。

原田悠里がヒット曲を連発!熱愛彼氏や結婚情報は?

原田悠里が数々の賞を受賞!ヒット曲連発!

原田悠里は、1982年6月「俺に咲いた花」でデビューしました。その後も、1985年発売の「木曽路の女」がミリオンセラーを獲得するなど、ヒット曲を連発。1999年発売の「津軽の花」では、60万枚を売り上げる大ヒットも記録しました。多くのヒット曲に恵まれた原田悠里は、受賞履歴もさすが。1999年「津軽の花」と、2000年「夢ひとすじ」では、日本レコード大賞優秀賞作品賞を受賞。

さらに、2001年「三年ぶりの人だから」、2002年「おんな坂」、2004年「氷見の雪」、2005年「沙の川」では、日本レコード大賞金賞を4度も受賞しています。NHK紅白歌合戦への出場回数は連続3回!27歳と遅咲きのデビューではありましたが、その後の歌手活動は順調のようです。

原田悠里は年下キラー?熱愛彼氏や結婚は?

原田悠里は、2013年、「人生花ごよみ」の発売記者会見で、熱愛彼氏について衝撃告白をしました。自らが明かしたところによると、原田悠里の彼氏は、なんと30歳年下の一般男性。年の差カップルの多い芸能界でも、30歳とはかなり大きな年齢差です。その後、原田悠里が結婚したというニュースもないので、今もまだ交際中なのかもしれません。

結婚については、過去に、「結婚の予定はないが、人間として前進することが大事。つねに前を向いていけたら」と語っていた原田悠里。いずれは……との思いもあるのかもしれませんね。2010年には、当時55歳だった原田悠里が、30歳代後半の米国人イケメン男性と3年ほど付き合った後に破局したという話もあったので、原田悠里はどうやら年下キラーのようです。

原田悠里、歌の力を信じて突き進む姿に感動!

デビュー以前の原田悠里の歌手への道は、決して順調なものではありませんでした。美空ひばりに憧れて歌手を志し、横浜で、クラブ歌手やラジオDJをしながら、デビューを待つ日々。某大手レコード会社のレッスン室でオーディションを受けますが、合格したものの、デビューアルバムには製作費が200万円かかると言われました。まるで詐欺のような手口ですが、当時の原田悠里は、ワラにもすがる思いで、両親に「歌手デビューするから200万円送って」と電話。もとより歌手への道を反対していた父親は激怒し、原田悠里を熊本へ連れ戻そうとしました。

このとき、母親が説得し、父親との間をなんとか取り持ってくれたことで、歌手への道を諦めずに済んだといいます。その後、北島事務所から無事に演歌歌手デビューすることが決まった時に、父親もようやく認めてくれました。その父親が急逝したときに着ていた作業服のポケットには、「皆さんのおかげで娘も一人前になれ、思い残すことはない」と書かれたメモが入っていたそうです。

原田悠里の実家のある熊本は、2016年に大地震が発生しました。心を痛めた原田悠里は、「熊本は大変な状況。歌を通じて、できることをしていきたい」と、今日に至るまでチャリティ活動を精力的に行っています。新曲「人生夢桜」は、人生を応援する歌だと解釈し、被災地に想いを馳せながら歌っているとも語りました。歌を愛し、歌の力を信じて突き進んできた原田悠里。歌手生活35周年となる2017年も、ますます輝くことでしょう。

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