東尾修が妻に隠れて梓みちよと密会?現役時代の成績、年棒は?

東尾修が妻に隠れて梓みちよと密会?現役時代の成績、年棒は?出典:http://blog.livedoor.jp/pawapuro_kouryaku/

東尾修が妻に隠れて梓みちよと密会?麻雀賭博事件の全貌!

東尾修が妻子ある身で梓みちよと隠れて密会?球界のプレイボーイは今も現役?

東尾修は、現役時代に、強気のピッチングで「ケンカ投法」の異名を取った野球解説者。プロゴルファー・東尾理子の父親で、タレントの石田純一が娘婿であることでも知られます。名投手としての名声だけでなく、球界屈指のプレイボーイとしても名を馳せた東尾修は、妻子がある身でありながら、歌手の梓みちよと隠れて密会する関係だったと取りざたされています。

遊びっぷりも半端ではない東尾修ですが、豪遊は若い頃からという筋金入り。浮名を流すことも珍しくなく、特に密会相手として名が挙がったのが『こんにちは赤ちゃん』『ふたりでお酒を』のヒット曲で知られる梓みちよ。その関係は20年以上に及んだともいわれますが、東尾修自身は、梓みちよとの密会報道について、あくまでノーコメントを貫いています。家に一切帰らず、密会を重ねる夫の東尾修を、妻は、悪く言うことがなかったといわれます。

むしろ、娘の東尾理子のほうが、梓みちよの家へ「お父さんを返して」と乗り込んだという話も。そんな東尾修ですが、2年前にも元歌手の小川順子との密会らしき現場を報道されています。プレイボーイとしても、まだまだ現役ということでしょうか。

東尾修が麻雀賭博容疑で書類送検され事件に!その全貌は暴力団関係者が同卓?

東尾修は、球界屈指のプレイボーイであるとともに、球界名うてのギャンブラーでもありました。元々ギャンブル好きでも名を馳せた東尾修ですが、それが原因で、現役時代に不祥事を引き起こします。それは、1987年シーズンオフのこと。無許可営業の雀荘での麻雀賭博容疑により東尾修が書類送検される事件が起こりました。警察が押収した暴力団系の賭け麻雀クラブの顧客名簿の中に、東尾修の名前があったことから露見した模様。

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その麻雀には、暴力団関係者が同卓していたとあって、一つ間違えば「球界追放」となってもおかしくない事態に。結局、暴力団関係者が単に同卓していただけと判明し、球団から東尾修に下された処分は、「半年間の出場停止」と「減俸2500万円」。記者会見で「全て私の不徳の致すところ」と、自らの軽率さを謝罪した東尾修でしたが、謝罪文は、東尾修本人が書いたものではなく、事前に渡されていた原稿を読み上げただけ。

そのため、「不徳」を「フタク」と読み方を間違えて、隣に座っていた関係者からきつく訂正されるというしまらない一幕も。前年のシーズンオフには年俸1億円の大台に乗り、このシーズンも最優秀防御率タイトルこそ逃したものの、後半戦の安定感が評価されて2年連続日本一にも貢献していた東尾修は、2度目のパシフィックリーグMVPに選出されたばかりでした。この麻雀賭博事件がなければ、間違いなく年俸アップのはずで、実際、事件の発覚直前には、1億2000万円の提示を受け、態度を保留したばかりだった東尾修。

この事件が災いして、年俸額が7500万円にダウンしたばかりでなく、半年間の謹慎処分で二軍行きを言い渡されます。一念発起した東尾修は、例年の楽しみだったオフのゴルフを取りやめ、徹底的にランニングで体をいじめ抜くなどトレーニングを重ねますが、どこかで歯車が狂ってしまったようです。翌1988年は、19試合に登板して6勝9敗、防御率4.85。「やろうと思えばまだやれた」との思いもあったようですが、あっさりとユニフォームを脱ぎました。

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東尾修の生涯通算成績、年俸は?ライバル・山田久志と徹底比較!

東尾修の生涯成績の真骨頂は通算165与死球だった!「プロで生きるために不可欠」な内角攻めが年俸1億円を勝ち取った!

東尾修のプロでの生涯通算成績は、20年間で697試合に登板し、251勝247敗23S、防御率3.50、1684奪三振、勝率は5割4厘、247完投。飛び抜けた球威こそありませんが、シュートで打者の内角を突く強気と切れ味鋭いスライダーの制球力が持ち味だった東尾修。球界を震撼させた「黒い霧」事件で、エースの池永正明らが永久追放処分を受け、チームがガタガタな中、否応なしのフル回転が、東尾修の投球スタイルに結びつきます。

東尾修は、駆け出しのころは散々な成績で、ルーキーの1969年から4年連続シーズン負け越し、1972年にはパシフィックリーグ記録の25敗という無残なものでした。しかし、投球術を自分のものにし始めたことに加え、徐々に戦力が整ってきたことで、東尾修の成績は上昇していきます。1975年には23勝、防御率2.38、154奪三振の成績を残し、最多勝と最多奪三振のWタイトルを獲得。生涯年俸は、1980年以降からおおよそで残っていますが、1980年は1840万円。1982年には、初の日本一で日本シリーズMVPになって、年俸は2910万円。1983年には18勝、防御率2.92をマークして最多勝、最優秀防御率の2冠を獲得してシーズンMVPに輝き、推定年俸4100万円。17勝3敗と安定した成績を残し、通算成績が勝ち越した1985年は6800万円。

1986年シーズンオフには、落合博満と共に日本プロ野球初の年俸1億円の大台に到達。1987年にも15勝、防御率2.59で2度目のシーズンMVPに選出されるものの、オフに発覚した麻雀賭博の件で年俸は7500万円にダウン。翌1988年の6勝をもって引退しています。1980年以降でみた生涯年俸はざっと4億4000万円。それより手前の隠れた数字も含めると、東尾修の生涯年俸は、6億円は越すでしょう。

年俸を稼ぎ出した真骨頂が日本記録として残る165与死球、「プロで生きるために不可欠だった」という情け容赦のない内角攻めの産物といえます。これだけだと単なるノーコン投手と思われがちですが、実は精密な制球力あってこその東尾修の内角攻め。それが最高年俸1億円を勝ち取ったといっても過言ではありません。打者に内角を効果的に意識させて、外角にスライダーを決めて打ち取る老獪さを存分に見せつけたのが、巨人と戦った1983年の日本シリーズ第7戦でした。

7回表の絶体絶命の場面で、4番打者の原辰徳を内外角のコンビネーションでひねり、格の違いを見せつけた東尾修。1986年には、近鉄戦でリチャード・デービスから暴力行為を受ける事件がありましたが、それも厳しい内角攻めがあってのこと。あの独特のせせら笑うようなふてぶてしさを懐かしむファンも多いのではないでしょうか。

東尾修と山田久志とのライバル関係とは?「若いころの優勝と晩年の優勝とではどちらが幸せ?」と議論も!

東尾修と山田久志とは、互いにライバルとして認め合う仲。阪急ブレーブス(現・オリックスバファローズ)のエースとして君臨した山田久志の流麗なサブマリン投法を思い出すオールドファンも多いことでしょう。東尾修と山田久志には共通する事項もある反面、異なる部分も少なからずあるため、徹底比較してみたいと思います。

東尾修と山田久志ともに、1968年のドラフト指名でプロ入りし、現役引退も同じ1988年。パシフィックリーグの顔として活躍したエースとして、同じ時代を生きた戦友同士、余人には分からない思いを共有しあったことでしょう。通算251勝の東尾修、284勝を挙げた山田久志ですが、優勝を味わうまでの道のりを比較すると、実に対照的。プロ入り13年目でようやく日本一の味を知った東尾修と対照的に、山田久志が日本一を経験したのは7年目。

それまでにもリーグ優勝を数回経験し、日本シリーズのマウンドに立つ山田久志の姿を見て、東尾修は「うらやましい」と思うこともあったとか。2人の間で「若いころに優勝を味わうのと、晩年になって優勝の味を知るのとではどちらが幸せか?」と議論も尽くしたようです。1軍に定着したいきさつは、東尾修は投手陣の人手不足から。それと比較して、山田久志は「次代を担うエースはこの男しかいない」と、首脳陣から着目されていたというからえらい違いです。

その投球スタイルも、早くから自分の実力の限界を悟り、打たせて取るピッチングを指向した東尾修に比較して、山田久志は、ある時期までストレートで押す本格派として勝ち星を重ねます。しかし、痛い一発を浴びる場面の増加や、山口高志の入団もあって、自らのスタイルを緩急自在の頭脳派ピッチングへとシフトしていきます。このような違いはありますが、今でも東尾修と山田久志は、一時代を築いたエース同士として、良きライバル関係に変わりはないようです。

東尾修がソフトバンク工藤監督の殿堂入りと清原被告初公判にコメント。明暗を分けた後輩の姿を見た胸中は?

東尾修は、ソフトバンクの工藤公康監督が、野球殿堂プレーヤー部門で野球殿堂入りを決めたことに対し、感慨深いものがあったようで、監督就任1年目で日本一、そして殿堂入りの有資格者となった1年目に見事殿堂入りを果たした工藤公康へ「本当にうらやましい」と実感あふれるコメントを残しました。「技術は、心と体が成熟してこそ。そのレベルに達していないときに技術の話をしても、実力とはならない」と考えていた東尾修は、高卒で入団してきた工藤公康に対し、いきなり細かい技術論を振りかざすことはしませんでした。

その上で、「簡単なアドバイスでも、理解して実践する努力と、自分のものにするセンスがあった」と、大成した後輩・工藤公康を評し、「外から見ていても、工藤イズムが着実に選手に浸透している」と、チーム作りの手腕にも称賛を惜しみませんでした。「清原和博らが続いてくれたら言うことはないよね」とも語った東尾修ですが、その清原和博は、今や覚せい剤常習で被告として初公判を受ける身に。

「現役時代のような一発逆転などない」としながらも、「一歩ずつ、地道に更生の道を進むしかない」と、転落した後輩を思いやる東尾修。「判決が下ったら、私も電話を入れたい」とも語りました。東尾修が理事を務める日本プロ野球名球会でも、清原和博を除名処分とはせず、更生を見守るという姿勢を示しており、今後の清原和博の野球人としての復活を待ちたいと思います。

くっきりと明暗が分かれた後輩の姿を見て、さまざまな思いが胸中を去来したであろう東尾修。その評価は決して高いものとはいえませんが、現役時代のしたたかな姿を忘れられないファンも多いはず。もう一度、東尾修が指導者として、「ケンカ投法」の後継者を育てる姿を見られるでしょうか。

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