すぎやまこういちは競馬ファンファーレも作曲!ドラゴンクエストとの出会いは?

すぎやまこういちは競馬ファンファーレも作曲!ドラゴンクエストとの出会いは?出典:http://dengekionline.com

すぎやまこういちは競馬ファンファーレも作曲!ドラゴンクエストとの出会いは?

すぎやまこういちの競馬ファンファーレは超お馴染み!ドラゴンクエストと同じくインパクト大!

すぎやまこういちといえば、国民的RPG「ドラゴンクエスト」のテーマ曲を作曲した音楽家。特にドラクエファンの胸を熱くするオープニングテーマ「序曲」は、伝説級の知名度を誇っています。それと同じく、競馬ファンの血をたぎらせ続けているのが、競馬ファンファーレ。すぎやまこういちの作品とは知らずに聴いていた人も多いのではないでしょうか。

すぎやまこういちが作曲したのは、東京競馬場、中山競馬場の2種類のファンファーレです。その他、同競馬場の一般・特別・重賞・G1レースと、6つの入場曲も手掛けています。これから始まるドラマにワクワクさせられる競馬ファンファーレや入場曲は、言われてみれば、ドラゴンクエストの「序曲」を思わせるものが。これは確かに、すぎやまこういちのメロディのインパクトです。

これらの曲は、日本中央競馬会がJRAに略称を変更した1987年から、現在にわたって変わらずに使用され、今では競馬をしない人でも「この曲は競馬!」と直感するくらいに浸透しています。その作曲家が、すぎやまこういちだったとは、とんだ盲点です。

すぎやまこういちとドラゴンクエストとの出会いは1枚のはがきだった!

すぎやまこういちは、1986年5月に発売された第1作目から現作に至るまで、ドラゴンクエストシリーズの、ほぼ全作品の作曲を手掛けています。また、「ドラゴンクエストⅠ」を除いては、開発の企画立案の段階からプロジェクトチームに加わっているそうです音楽家であるものの、実は無類のゲーム好きでもある。すぎやまこういち。

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「ドラゴンクエスト」の発売元エニックス(現スクウェア・エニックス)と懇意になったきっかけは、1985年にエニックスから発売されたパソコンゲームソフト「森田の将棋」でした。ある日、ゲームに同梱されていたアンケートはがきが同社宛に届き、その差出人が”すぎやまこういち”だったために、社内は騒然となったそうです。

当時のすぎやまこういちは、すでにザ・タイガースの「亜麻色の髪の乙女」や、「科学忍者隊ガッチャマン」などの、アニメ・ゲーム音楽を多く手掛ける音楽家として名を馳せていました。また、例のはがきは、書いた本人が忘れた頃に、妻が勝手に出したのだといいます。数々の偶然が重なり、あのドラゴンクエスト「序曲」が、世に送り出されることになったのです。

すぎやまこういちは危険思想の持ち主?学歴、経歴が異色だった!

すぎやまこういちの危険思想に香山リカ落胆!ドラゴンクエストを素直に楽しめない?

すぎやまこういちは、全国民から愛される「ドラゴンクエスト」の作曲者。しかし、公の場で展開する政治的発言では、あの精神科医・香山リカを「素直にドラゴンクエストを楽しめなくなった」と落胆させています。すぎやまこういちは、保守派思想の持ち主。先の尖閣諸島や竹島問題では、週刊誌で、「領海侵犯に対する政府の態度がヌル過ぎる!」と、激しい批判を展開しています。

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また、安全保障関連法案の廃案と唱えた「NEWS23」の番組アンカーと、放送局であるTBS、総務省には、公開質問状を送付。すぎやまこういちは、自ら発起する任意団体「放送遵守を求める視聴者の会」を率い、公平性を欠いた報道を監視しているのだとか。

確かに、偏りのある報道はいけません。積極的に信条を訴える姿も立派です。しかし、すぎやまこういちには、”2ちゃんねらー”を公言し、ネトウヨと呼ばれる方々の造語を多用する、非常にポップな一面も。正反対の思想を持つ人々は「危険思想!」と糾弾するでしょうが、それでも「ドラゴンクエスト」の楽曲はイイ!、その事実に変わりはありません。

すぎやまこういちは東京大学出身の大天才!音楽家らしからぬ経歴とは?

すぎやまこういちは当然、音楽大学を卒業しているのだろうと思いきや、実は東京大学出身でした。しかも、理科Ⅱ類で入学したのに、卒業は教育学部教育心理学科という、整合性のない学歴をお持ちです。成蹊高等学校時代は音楽部を設立し、音楽漬けの毎日を送っていたすぎやまこういち。3年次には、オーケストラ部を再組織して、指揮と編曲を務めています。

もちろん、すぎやまこういちは、音楽大学に進むつもりでしたが、ピアノの実技が受験必須科目にない学科は皆無。本人曰く、仕方なく学費が安い東大へ進学したのだそうです。その天才が、大学で教育学部に傍系進学したのは、音楽と遊びに専念したかったから。

しかし、作曲活動に専念するようになった1968年以前は、フジテレビのディレクターだったというから、また異色。当時のすぎやまこういちは、強権的な姿勢から、「フジテレビのヒトラー」と呼ばれていたのだとか。これに思想の話題を重ねると……やや危険度が増しましたね。

すぎやまこういち「ドラゴンクエスト・スペシャルコンサート」巡演中!独学の巨匠が「序曲」を生むまで!

すぎやこういちが、自ら監督・指揮を務めるオーケストラが贈る「ドラゴンクエスト・スペシャルコンサート」が、2016年も全国を巡演中です。ドラゴンクエストの楽曲制作に加わり、オーケストラへの情熱を再燃させたすぎやまこういちは、1987年から毎年、数回にわたってコンサートを開催。ドラゴンクエスト生誕30周年を迎える今年は、サウンドトラックなど3種のCDも同時発売し、さらなる盛り上がりを見せています。

すぎやまこういちは、1931年4月11日、東京生まれ。音楽とゲームが趣味だった両親の影響で趣向を固めたものの、貧しさのあまり、正当な音楽教育を受けることなく育ちました。小学生になると、鼻歌で作曲をするようになり、戦後の物々交換で得たベートーベンのレコードや譜面で、クラシック音楽を独学。とても、あの壮大な「ドラゴンクエスト交響曲」を書き上げた作曲家の経歴とは思えません。

すぎやまこういちが、初めて出会ったドラゴンクエストに抱いたイメージは、ワーグナーの「ニーベルングの指輪」でした。「よし、クラシックで行こう!」と決めてから、あの「序曲」が生まれるまでの時間は、約5分だったというから驚きです。しかし、すぎやまこういちの言葉を借りれば、あの序曲に費やされた制作時間は「5分+54年」。それまでの全人生をつぎ込んだからこそ、今や日本ゲーム業界の象徴となったドラゴンクエストの旋律が生まれたのです。

「まだドラゴンクエストは引退しない」と語るすぎやまこういちは、現在85歳。彼が振り続けるタクトや、新たに生み出される楽曲には、巨匠の深みを感じされられます。

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