山本潤子が病気で無期限休業?名古屋コンサート後の現在!

山本潤子が病気で無期限休業?名古屋コンサート後の現在!出典:http://www.minp-matome.jp

山本潤子が病気で無期限休業?名古屋コンサート後の現在!

山本潤子、突然の無期限休養に隠された悲しい理由

山本潤子といえば、所属したフォークグループ「赤い鳥」の代表曲である「翼をください」の歌い手として有名です。今では音楽の教科書にも載っている「翼をください」を、知らない人はいないでしょう。「赤い鳥」解散後の山本潤子は、1994年まで「ハイ・ファイ・セット」として活動しました。その後も、ソロシンガーとして精力的に活動を続けますが、2014年5月に行なわれた名古屋コンサートを最後に、喉の不調を理由に、無期限の休養に突然入ります。

本人いわく、喉のポリープとか、病気ということではなく、体調が回復し、納得できる歌声になったら、また歌いたいとのことでした。しかし、今なお、山本潤子は復帰していません。実は、山本潤子は、無期限休養宣言した2014年3月28日、音楽プロデュサーで、彼女のよきパートナーであった夫の山本俊彦を、心不全で亡くしています。山本潤子の無期限休養は、喉の痛みだけではなく、かけがえのない伴侶・山本俊彦を失った深い悲しみから立ち直れずにいるからではないでしょうか。

山本潤子はフォークソング第一世代のディーバだった

山本潤子が音楽界に登場する少し前の1960年代中頃、ビートルズやベンチャーズのエレキサウンドに痺れていた多くの若者たちとは別に、ピーター・ポール&マリーのように、美しいハーモニーが素敵な男女混合のフォークグループに憧れた若者たちがいました。この早熟なフォーク第一世代が、日本人によるオリジナルのフォークソングを生み出し、反体制フォークから、四畳半フォーク、J-POPへとつながる、日本の新しい音楽の基礎を作ったのです。

新しいムーブメントや才能が登場するときには、かならず不思議なアレンジメントが起こり、その才能を持った若者たちが出会い、集まることが多いようです。山本潤子は、1949年生まれの66歳。高校2年生の時、すでにピーター・ポール&マリーのコピーバンドを結成していたそうで、1969年、後藤悦治郎、平山泰代、山本俊彦、大川茂とともに、フォークソンググループ「赤い鳥」を結成。同年、第3回「ヤマハ・ライト・ミュージックコンテスト」全国大会で、「竹田の子守唄」を歌い、グランプリを獲得します。

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時代は、学園紛争の時代へ。かたや、歌謡曲が爆発的な量産期に入る中、フォークソングにも、さまざまなスタイルが生まれました。山本潤子は、メンバーの山本俊彦と結婚。1974年には赤い鳥を解散し、山本潤子、山本俊彦、大川茂の3人で、「ハイ・ファイ・セット」を結成し、荒井由美の楽曲「卒業写真」を歌って大ヒットします。

ハイ・ファイ・セットは、やがて、「フィーリング」など、フォークソングから脱皮して、大人のコーラスグループとして認められていくのに対して、赤い鳥の残り2人のメンバー、後藤悦治郎と平山泰代は結婚して、「赤い風船」を結成。初期からの叙情的なフォークソングを歌い続けます。いずれにせよ両グループが、後発のさまざまなアーティストに影響を与えたのは確かです。山本潤子のハイ・ファイ・セットは、1994年まで活動を続け、解散しました。

山本潤子「冷たい雨」「卒業写真」の透明感!小田和正が絶賛する歌声とは?

山本潤子の「冷たい雨」や「卒業写真」の透明感ある歌声が荒井由美の新時代を予兆した!

山本潤子の「赤い鳥」が、ヤマハのコンテストで1位に輝いたとき、2位になったのが、オフコースの小田和正です。彼は、デビュー当時から、山本潤子の透明感あふれる歌声を高く評価していました。やがてフォークソングが、個人の強いメッセージ性や反戦平和などを訴え、また一方で、四畳半的な私生活を歌う、両極端の志向に別れていた頃、荒井由美、現在の松任谷由美が登場します。

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小難しい理屈や汗くささ、四畳半の貧乏くさい生活を払しょくした荒井由実の世界観は、来たるべき80年代のバブル期を予兆し、都会の若者たちの人気を得ます。そして山本潤子の、無機質で透明な歌声は、荒井由美の描く都会的な世界観と見事にマッチし、1975年、「卒業写真」や「冷たい雨」などが大ヒットしたのでした。

山本潤子の「ハイ・ファイ・セット」は数少ない大人の本格派コーラスグループ

山本潤子率いるハイ・ファイ・セットは、続く1977年、ブラジルのシンガーソングライター、モーリス・アルバートの「愛のフィーリング」に、なかにし礼が歌詞をつけた、「フィーリング」が大ヒット。ハイ・ファイ・セットは、フォーク界に止まらず、大人世代を満足させるコーラスグループとして、不動の地位を築きます。

意外ですが、山本潤子は、ソウルクィーンと呼ばれたアレサ・フランクリンのような、野太くシャウトする声が憧れだったそうです。山本潤子が歌う荒井由美の楽曲もよかったですが、当時、日本でも大人気だったマンハッタン・トランスファーのような、本格的なジャズコンテンポラリーも、なかなかイケていたように思いますが、みなさんはいかがでしょうか。

山本潤子45周年の集大成CDボックス完成の影に最愛の夫の死

山本潤子の魅力がいっぱい詰まった、彼女の45年間の初の集大成といえるCDボックス「Junko Yamamoto ALL TIME SONGS」が、2016年5月30日発売になりました。このCDボックス「Junko Yamamoto ALL TIME SONGS」には、赤い鳥の曲が13曲、ハイ・ファイ・セットの曲が68曲、ソロの曲が14曲、合計95曲が、発表順に収録されています。収録曲の中には、お宝的楽曲も。

名画のタイトル曲、フランシス・レイの「男と女」は、ハイ・ファイ・セットが所属したアルファミュージックの創設者であり、作曲家の村井邦彦とのデュエットで、2014年、新たに録音した貴重な一曲です。また、1985年に録音された、FM大阪のテーマ曲「ワンダフル・ミュージック/ハイ・ファイ・セット」も収録されています。

このCDボックスは、長年のファンたちのリクエストによって構成されたそうで、ファンからは、リクエストとともに、山本潤子の歌手活動再開を願う声が数多く寄せられたそうです。最愛の夫の死、そしてデビュー45年を集大成したCDボックス「Junko Yamamoto ALL TIME SONGS」の発売。人生の幸せと不幸は、まさに隣り合わせです。山本潤子には、その美しい声を、ぜひもう一度披露してほしいものです。

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