矢野浩二の殴打事件の真相!反日映画俳優になるために中国語習得?
矢野浩二の殴打事件!中国メディアが報じた内容とは?
矢野浩二が殴打され、全身にけがを負ったとのニュースが、2007年2月3日に、中国のいくつかのメディアで報じられました。当時、日本では無名だった俳優・矢野浩二。中国の連続ドラマ「永遠の恋人」のオファーを受けて、2000年4月、31際の時に、中国・北京に拠点を移しており、殴打事件の頃は、中国での努力がちょうど認められつつある最中でした。
そんな矢野浩二が日本に帰国した時に起こった殴打事件。幸い顔にはけがはなかったそうですが、数人の”顔見知り”に囲まれて殴られるとは、尋常ではありません。事件については、本人やマネージャーが固く口を閉ざしているため、詳しいことは分からずじまい。しかし、中国メディアは、矢野浩二の殴打事件を、”抗日”に絡めて報道していた模様。矢野浩二は”反日”と見なされ、右傾思想の日本人らに殴られたという話になっています。
矢野浩二に反日映画俳優の噂!中国語を学んで極悪日本兵役ゲット!?
矢野浩二が”反日”呼ばわりされるのには、それなりの理由がありました。日本人でありながら、中国で数多くの抗日映画・ドラマに出演していたからです。しかも、中国へ渡った当初の矢野浩二は、中国語を全く話すことができず、1人で現地の語学学校に通って、死にもの狂いで中国語を習得しています。悪役ありきの日本兵、明治天皇を演じる反日映画俳優になるために、そこまでやるとは反日思想家に違いない!と、見られての殴打事件だったのかもしれませんね。
ただ、矢野浩二自身は、ステレオタイプの日本兵役ばかりを演じることを疑問に思っており、仕事を選ぶようになって、干された時期があるそうです。矢野浩二が中国の歴史認識を非難したという話ではなく、あくまで俳優としてのスタンスを貫いただけかもしれませんが、反日呼ばわりされるのは違う気がします。
矢野浩二をあの事務所が日本へ逆輸入!結婚した嫁、子供は?
矢野浩二の所属事務所はオスカープロモーション!逆輸入で第2のディーン・フジオカ目指す!?
矢野浩二は、19歳で高校卒業後、大阪でバーテンダーをしていた時に、客に言われた言葉を真に受けて、俳優を目指すようになりました。東京の俳優養成所を経て、森田健作の運転手兼付き人を務めること約8年半。矢野浩二自身もサンミュージックに所属していましたが、入る仕事といえば、エキストラ役がほとんどでした。
そんな矢野浩二に、中国の連続ドラマ「永遠の恋人」の話を振ってきたのは、当時の所属事務所サンミュージック。中国に拠点を移してからは、俳優だけではなく、バラエティ番組の司会業でも、”最優秀”と名の付く賞を、日本人として初めて受賞しています。そんな「中国で最も有名な日本人俳優」を日本に逆輸入した事務所は、2015年に逆輸入俳優ディーン・フジオカ大旋風を巻き起こしたオスカープロモーションです。「第2のディーン」と呼ばれることは矢野浩二にとって本意ではないかもしれませんが、話題性は抜群でしょう。
矢野浩二の結婚した嫁は中国人!子供を中国籍にした理由とは?
矢野浩二は、先に逆輸入されたディーン・フジオカと同じく、すでに結婚した嫁と子供がいます。矢野浩二の嫁は、中国湖北省出身の美人女優フー・ジン(傅晶)という噂が流れましたが、それは全くのデマ。矢野浩二曰く、嫁は”重慶生まれの一般人”。身長160cm程度で、姓は”張”とだけ明かしています。出会いのきっかけは友人の紹介で、当時、広告会社のOLだった嫁に、矢野浩二が一目惚れ。その後2年で結婚に至ったそうです。
2010年9月14日、矢野浩二と嫁との間に、長女・心月が生まれました。矢野浩二は子供を中国籍にしたことを明かしており、「中国女性は日本女性の良妻賢母さもあり、たまに見せるわがままな部分があって可愛らしい」との理由で、教育も中国で受けさせると語っています。
矢野浩二が日本ドラマ、ジャッキー・チェン共演と絶好調!国に翻弄された苦節とは?
矢野浩二が、本格的に日本へと活動の拠点を移したのは2016年2月から。早々に、テレビ朝日ドラマ「警視庁・捜査一課長」への出演が決まりました。矢野浩二にとって、”いつか日本ドラマへの出演したい”という長年の夢が、連ドラという形で叶ったのです。昨年は、同じく長年の夢であったジャッキー・チェンとの映画共演もし、2016年末に公開予定。今、矢野浩二には、幸運の波がまとめて押し寄せているようでもあります。
矢野浩二には、中国に渡ってからも数々の苦節がありました。中国のバラエティ番組「天天向上」の司会業では絶大な人気を誇ったものの、ジョークが大日本帝国的発言と厳しく批判されたり、2011年の尖閣諸島問題の時には出演見合わせになったりもしています。中国作品の日本兵役を演じることへのわだかまりがあったのと同じく、矢野浩二は、常に国家間の隔たりに翻弄されることも少なくありません。
しかし、抗日作品の日本兵役への抵抗感に悩んでいた矢野浩二に、「もうこんな役をやらなくていい。やりたい役を追求していけ」と背中を押してくれたのは、中国人監督でした。まさに、芸術はグローバルな言語であり、国家や人種を超えたもの。矢野浩二には、中国を経験した分、懐の深い演技で、両国を繋ぐ新たな地位を築いてくれることを期待します。