荻野目慶子が結婚した夫は医師!河合義隆自殺事件とは?

荻野目慶子が結婚した夫は医師!河合義隆自殺事件とは?

荻野目慶子が結婚した夫は医師! 5年間のお付き合い、同棲を経てゴールイン!

荻野目慶子は、1979年に15歳で舞台オーディションに合格し、芸能界入りしました。以来、映画、テレビ、舞台にと、51歳になる現在まで活躍している、息の長いベテラン女優です。

恋多き女性といわれていた荻野目慶子が結婚したというニュースが流れたのは、2013年の初頭。荻野目慶子の夫となった男性は、複数のクリニックを経営する、2歳年上のイケメン医師で、知人の紹介により、5年前から付き合い始め、同棲を経て、2012年の大晦日に入籍したそうです。結婚した夫はバツイチですが、荻野目慶子は当時48歳で初婚。過去に2回の不倫騒動を起こした「魔性の女」のイメージが強烈だっただけに、荻野目慶子が初婚ということに驚いた人も多かったのではないでしょうか。
外食が多い夫のため、荻野目慶子は、お弁当を手作りしたり、料理学校に通ったりと、なかなかマメマメしい新妻ぶりを発揮しているそうです。

荻野目慶子の不倫相手、河合義隆自殺事件は壮絶!「別れるぐらいなら死にたい」

荻野目慶子の最初の不倫相手は、映画監督の河合義隆。演技指導をきっかけに関係が始まったのは、1985年ごろ、荻野目慶子が20歳の時といわれています。荻野目慶子と河合義隆には、17歳という歳の差がありました。妻子ある身でありながら、荻野目慶子に溺れた河合義隆は、彼女のマンションに入り浸るように。2人の関係は5年ほど続きましたが、河合義隆の妻との間では修羅場が展開されていたそうです。ある時、女優として評価され、精力的に仕事をこなしていた荻野目慶子は、河合義隆に別れを切り出したといいます。

そして1990年……事件は起こりました。地方ロケから帰ってきた荻野目慶子が発見したのは、キッチンとリビングの間のドアに、マフラーで首を吊っている河合義隆の変わり果てた姿。警察の事情聴取に、荻野目慶子は、河合義隆が「別れるぐらいなら死にたい」と言っていたと、涙ながらに語ったそうです。

荻野目慶子と深作欣二の関係も壮絶だった!現在は何してるの?

荻野目慶子と深作欣二の関係も壮絶だった! 命より荻野目慶子との関係を選んだ男!

荻野目慶子の不倫相手は、2度目も映画監督でした。お相手は、河合義隆のスキャンダルから1年後、荻野目慶子の本格復帰となった映画『いつかギラギラする日』を監督した深作欣二です。深作欣二は荻野目慶子より35歳年上。この交際は、深作欣二から半ば強引に迫られて始まったらしく、荻野目慶子にとっては本意ではなかったのかも知れません。しかし2人の関係は、何と10年近くに及びました。

そんな中、1996年に、深作欣二は前立腺がんを発病し、闘病生活に入ります。壮絶だったのは、副作用による男性機能の低下を懸念し、治療に有効とされるホルモン剤投与を拒んだことです。そのため、世間では、「深作欣二は荻野目慶子との肉体関係を、命より優先させた」と囁かれました。荻野目慶子と深作欣二は、病院でも逢い引きを重ねていたのだとか。そして2003年、前立腺がんの脊髄転移により、深作欣二は亡くなりました。

荻野目慶子は、河合義隆、深作欣二との不倫のいきさつを、2002年に出版した自伝『女優の夜』に綴っています。

荻野目慶子は何しているの?結婚後も舞台やドラマに出演、女優として活動中!

荻野目慶子は女優としての全盛期、テレビドラマや映画に引っ張りだこでした。しかしその後、不倫というスキャンダルに長期にわたって翻弄された結果、芸能界の表舞台から引っ込んでしまった感があります。しかし、2人の不倫相手の死を乗り越えた荻野目慶子は、ずっと女優としての活動を続けてきていました。

近年では、2013年公開の映画『つやのよる ある愛に関わった、女たちの物語』で、愛人役として印象に残る演技を披露。とりわけ、小泉今日子とのワインの掛け合いバトルは話題になりました。結婚後の2013年1月には、舞台『阿修羅のごとく』に、2014年には舞台『殺風景』にも出演しています。その他、テレビ朝日系の『科捜研の女〜年末スペシャル』、テレビ東京の『怪奇恋愛作戦』などテレビドラマにもゲスト出演。主役をはる作品は少なくなったものの、ベテラン女優の名にふさわしい活躍を見せています。

荻野目慶子の圧倒的な魔性性!今後の活躍は?

荻野目慶子は、デビュー後間もない1980年、わずか16歳で報知映画賞新人賞を受賞。翌年には、同じ映画『海潮音』のヒロイン役で、ヨコハマ映画祭最優秀新人賞も獲得し、才能ある新人として、鮮烈なデビューを飾りました。「撮影が延びて、高校の入学式に出られなかった」という、人気ぶりを示す当時の思い出話を、2015年10月のスポーツ報知のインタビュー記事『バック・トゥ・ザ報知映画賞』で語っています。

若かったこともあり、おとなしそうな顔立ちから、デビューしてしばらくは清純派だった荻野目慶子。しかし成人した彼女の色気は、妻子ある男たちを次々に虜にし、「魔性の美女」の名を与えられることに。死ぬまで彼女から離れられなかった2人の男性の存在が、荻野目慶子の魔性性をさらに際立たせました。以後、愛人や悪女といった役が多くなっていったのもうなずけます。

けれども、人生の伴侶を得て「結婚」という幸せを手にした荻野目慶子。彼女自身、「今後は主婦役も似合うといわれたい」と語るように、私生活での充実が演技の幅を広げ、女優業にも良い影響を与えることは間違いありません。

20〜30代の長い間、愛人という日陰の身の上だった荻野目慶子が、妻となり、ようやく日の当たる場所に立った今。女優としての才能をますます開花させ、今後も活躍することを期待したいですね。

関連記事

ページ上部へ戻る