秋川リサと娘・麻里也のアトピー性皮膚炎との戦い!結婚した夫は誰?

秋川リサと娘・麻里也のアトピー性皮膚炎との戦い!結婚した夫は誰?

秋川リサが娘・麻里也のアトピー性皮膚炎で「一緒に死にたい」

秋川リサといえば、ハーフモデルの元祖といわれ、今はすでに60代とはいえ、華やかさは変わらない美人タレントです。デビュー当時は、抜群のスタイルで、主にモデルとして活躍していました。そんな秋川リサですが、娘・麻里也のアトピー性皮膚炎に悩まされ、「一緒に死にたい」とまで思ったことがあったそうです。

全身に膿のにじむ湿疹が現れ、強い痒みに苦しむ娘を前にするのがつらく、仕事に逃げたこともあったという秋川リサ。娘が入院したことをきっかけに、治療へ向き合うようになりました。当時、娘の麻里也は、大半の食物でアレルギーをおこすため、食餌制限がかなり必要な状態。秋川リサが、医師とともに、少しずつアレルゲンとなる食物に慣れさせる治療に取り組んだことで、娘の麻里也のアトピー性皮膚炎は、だんだんと改善に向かいました。

秋川リサのモデルデビューした娘・麻里也の父親にして結婚した夫とは誰?

秋川リサを苦しめた娘・麻里也のアトピー性皮膚炎は、食餌療法を中心とした懸命な治療の結果、すっかり改善。大学生となった現在は、母と同じモデルとして、芸能界デビューも果たしました。東京ガールズコレクションにも出演するなど、娘・麻里也のキャリアは、順調な滑りだしです。そんな麻里也の父親にあたる、秋川リサの夫が気になりますが、実はすでに離婚しています。

秋川リサは、実はバツ2。最初は21歳で結婚した秋川リサは、すぐに離婚してしまいました。その後、32歳で写真家の立木三朗と2度目の結婚をし、34歳で息子の聖也、35歳で娘の麻里也を出産しています。しかし、その後はまたしても離婚。秋川リサは、2度の結婚と離婚をへて、シングルマザーとして子供を育てあげました。

秋川リサが語る認知症の母の壮絶介護!著書「母の日記」とは?

秋川リサが経験した認知症の母の壮絶すぎる介護生活!

秋川リサは、現在、母娘ともども芸能界で活躍し、順調そうに見えますが、プライベートでは、認知症の実母の介護という壮絶な体験をしていました。母に認知症の症状が現れはじめたのは、2009年の夏。同居していた秋川リサの母親が、「通帳がない」といって家探しをしたり、家の中で新聞紙を燃やしたりと、困惑するような行為を始めます。2010年には、すっかり介護が必要な状態に。

秋川リサは、徘徊する母をいつでも探しに行けるように、夜も外出できる服装で寝ていたといいます。母が排泄物で汚した家を掃除する日々の中でも、親孝行になればと思っていた秋川リサでしたが、ある日、実母が衝撃的な本音をつづった日記を発見。その想いを打ち砕かれてしまいました。そこには「娘なんか生まなければよかった」と、秋川リサに対する憎しみがつづられていたのです。

秋川リサの著書「母の日記」とは?母の日記につづられた罵詈雑言がすごい!

秋川リサの母が書いた日記は、大学ノート7冊にわたり、「大っ嫌い」「生活の面倒を見てるからって、偉そうに」「娘なんて産まなきゃよかった。一人で生きているほうがよっぽどよかった」と、秋川リサへの罵詈雑言が並んでいました。秋川リサは、自分がどんなに献身的に介護をしても、母は感謝なんてしていないという想いに苦しみます。

しかし、自分を育ててくれた母を心底憎むこともできず、2011年に、母が介護施設に入居するまで、精神的にも肉体的にも壮絶な介護生活は続きました。そんな介護生活のすべてを、秋川リサは、著書「母の日記」で、包み隠さずに告白。現代の核家族社会で、家族だけでは負いきれない介護の現実を、自身の体験から抉り出し、話題の本となりました。

秋川リサのハーフモデルとしての成功とそれをねたんだ母!?

秋川リサは、特別養護老人ホームに母が入所してから、平穏な生活を取り戻しました。今は、月に1、2度面会に行っているそうです。認知症は進行して要介護4になった母に、秋川リサは、「私の顔も分からなくなりましたが、ニコニコしている顔を見るのは初めてかも」と、その様子を話しています。

ただでさえ、大変な介護の上、秋川リサの場合は、母と娘の関係にしこりがあったことで、さらに精神的に追い込まれてしまったのは仕方のないことなのでしょう。秋川リサが、母との間にしこりを抱えてしまうことになったのには、その生い立ちに理由がありました。

1952年、日本人の母と、ドイツ系アメリカ人の父との間に生まれた秋川リサ。しかし、秋川リサの父親はアメリカ軍人で、じきに帰国してしまいます。母は、シングルマザーとして、苦労して秋川リサを育てたようです。女一人で子供を育てる苦労は並大抵ではありません。そんな想いを、母は、幼い秋川リサにぶつけることがあったようです。
実際、秋川リサが介護中に見つけた母の日記を読んだ時、自分に向けて書かれた「娘なんて産まなきゃよかった。一人で生きているほうがよっぽどよかった」といった罵詈雑言に対して、「私にとって初めて聞く言葉ではない。小さい頃から言われ続けてきた言葉でした」と語っています。

そんな母との生活の中、秋川リサは、15歳でテイジンのモデルとしてデビュー。以降は、秋川リサが家計を支えていくことになります。資生堂の専属モデルや、『anan』のレギュラーモデル、サントリーやマツダといった大企業のCMモデル、ニューヨークコレクションやパリコレクションでもモデルを務めた秋川リサは、モデルとしてどんどんステップアップしていきました。

当時、秋川リサの母は、娘の成功を喜んでいたといいます。一緒に海外旅行もし、秋川リサも、少しは感謝してもらえているのだと思っていたそうです。しかし、娘の成功を喜ぶ一方で、母親は娘の人生を羨み、自身は娘を生んだせいで人生を棒に振ったという忸怩たる想いがあったのかもしれません。

長年くすぶっていたそんな想いが、あの「日記」にぶつけられていたのでしょう。しかし、それを偶然目にしてしまった秋川リサは、たまったものではありません。日々懸命に介護をしながらも、母に対する苛立ちを抑えることができず、いつしか笑顔で接することができなくなってしまいました。

母が介護施設に入居したことで、距離を置いて接することが可能になった今現在、秋川リサは、タレントとしての仕事をするかたわら、母の入居する介護施設とは別の施設で、非常勤職員として働いているそうです。それは、母の介護を通じ、老いて衰えている人に対して優しくできないのは、「自分に優しさがないからなのか?それとも母だからできなかったのか?」という葛藤を抱えたことがきっかけでした。

しかし、介護の仕事を経験することで、「私、そんなに悪い人じゃないなって思いました」と、母の介護をきっかけに抱えた葛藤は氷解していったと語る秋川リサ。「施設の介護職員さん、看護師さんもみんな『仕事だからできる』っておっしゃる。介護のプロでも『自分の母親は絶対面倒をみたくない』っていう方もおられました」というコメントからも、秋川リサの気持ちの変化がうかがえます。

「親は施設に入れずに最後まで自分で介護するのが一番」という風潮がいまだに根強い中、秋川リサの経験は、高齢化社会の現在で避けて通ることのできない1つの問題を示唆しているといえます。秋川リサの著書「母の日記」は、親子関係に問題を抱えている人にとって、おおいに参考になるのではないでしょうか。

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