布袋寅泰 HOTEIのギターが世界に鳴り響く!

多くのミュージシャンがギターの方が大きく見える中、その身長187cmと言われる高さと細いスタイルがギターと融合して見え、ギターと一緒では無い方が違和感のあるミュージシャンが居ます。2015年4月16日、海外のロックレーベル「Sponefam Records」(スパインファームレコード)と日本を代表するギタリストが契約を結んだと発表されました。またそれと同時にアメリカで、パンク・ロックのカリスマと言われる歌手のイギーポップをゲストボーカルに迎えた曲「How the Cookie Crumbles」を、ヨーロッパ先行で今年の6月15日に配信される事も決まりました。その海外チャートに立ち向かう侍ギタリストとは。

布袋寅奏 HOTEIのギターが世界に鳴り響く!

布袋寅奏 ついに世界へと音を鳴らす日が来た!

布袋寅奏は2012年夏頃に世界での活動を視野に入れて、イギリスに移住しました。そして3年の月日がたった今、ようやく大きなチャンスが巡ってきたのです。「頼もしいチームと共に、いよいよ世界への挑戦が始まる。僕を信じ支えてくれる全ての人の為に、骨太のロックを届けたい。そして必ずこのチャンスを結果に繋げたい」と公式にて布袋寅奏はコメントを発表、またレーベルの副社長や部長も「HOTEIと世界を視野に入れた仕事が出来ることは、活力が湧き、刺激的です」とコメントを寄せていました。ついに世界の音楽へ旅に出た布袋寅奏。進む道は険しいかもしれませんが、ギタリストとしての腕と、ミュージシャンとしての経験と知識は、きっと良い旅にしてくれると思います。

布袋寅奏 「スリル」使用した江頭2:50の御蔭!?ソロでも広く知られるように

めちゃイケなどで芸人の江頭2:50が登場する際に流れる、激しいイントロの曲は布袋寅奏の「スリル」という、布袋寅奏のソロになって10枚目のシングルです。発売されたのは1995年と言うことで今から丁度20年前ですね。週間チャートで当時1位を獲得した曲で、江頭2:50を自分のライブに招待して「スリルはエガちゃんの御蔭で売れたもんね」と話したと伝わっています。しかしその一方で、ネット上では迷惑に思っている節があったり、2010年のブログでは江頭2:50との仲を聞かれたそうで、スリルは大好きな曲だから、こんな風に言われると悲しいと綴ったりと微妙な心境のようです。確かに江頭2:50の芸風を見ると、ロックに全てを掛けている布袋寅奏としては、喜べないのでしょう。それに2010年になっても、1995年に出した曲をお笑いで使用していることに関して話題にされるのは、妙な気分になるのは解る気がします。ただ、曲は聞いてもらって初めて価値を得るといっても過言ではないので、ソロ布袋寅奏を世に広めた江頭2:50の功績は認めているからこそ、当時のライブに招待したのだと思います。

布袋寅奏  BOOWY、ソロ活動から海外へ

布袋寅奏 氷室京介らと「BOOWY」結成、その後ギター一本でソロへ転向

布袋寅奏は1962年の2月1日に群馬県高崎市にて、韓国人で貿易商の父と、ロシアと日本のハーフの母の間に生まれました。家庭の事情が複雑で、籍は入れておらず、父は一年のうち大半を国外で過ごしていた為、母子家庭同然だったようです。妹はかつてガラパゴスというグループのボーカルを務めていた狩野環。以前ダウンタウンの番組に出た際に、姪が生まれてその娘が可愛くて仕方ないと語っていたのを覚えています。家庭環境は複雑なようですが、家族仲は良好のようですね。布袋寅奏が高校3年の時に両親は別離しています。しかしその際父親の借金を全て母親が背負わされてしまい、厳しい時代があったようです。幼いころは裕福であったようで、最初にピアノを習い、14歳からギターを始めたそうです。高校直前に布袋寅奏はあっさりと学校を自分の意思で退学。A-ROCKと言う大会に出場し、アイデア賞を受賞。17歳で上京します。その頃同郷の氷室京介も上京しており、氷室京介から誘われBOOWYにギタリストとして参加し、デビューします。当時は珍しかった逆立てたヘアスタイルなど斬新なビジュアルと、氷室京介のボーカル、布袋寅奏のギターなど、いくつかの魅力と流行とが重なり、BOOWYはミリオンセラーを5thアルバム6thアルバムと続けて記録します。こうして当時のバンドの中でもトップの実力を持つバントに成長したBOOWYですが、1987年突然の解散宣言。これにはいくつも説があり、憶測に対して解散後にメンバーが答えることはあっても、本当の所は語られる事はありませんでした。BOOWY解散後、音楽を辞めようとしたことさえあったという布袋寅奏。最終的には「自分は天国に行くまでギターを弾き続ける」と決意し、左肩に宙を羽ばたく鳥とHEAVENというタトゥーを入れたそうです。そこから現在までソロで一線を張り続けています。私生活では1986年に歌手の山下久美子と結婚するも、1997年に離婚。1999年に歌手の今井美樹と再婚し、一人娘が誕生しています。2007年に芥川賞作家でパンクロック歌手の町田康と、音楽の話で盛り上がったものの、言い合いになり、布袋寅奏が町田康を暴行してしまうという事件が起きます。町田康本人が千葉県君津署に被害届を出し書類送検され、30万円の罰金命令を簡易裁判所から受けてしまいました。そのことについて布袋寅奏は、自分が全面的に悪いと非を認めています。その後反省した布袋寅奏は音楽活動を続けつつも、純粋なボランティアとしての側面もあるでしょうが、件のファンに対する申し訳ない気持ちの表れとして、2011年に起きた東日本大震災で被災した宮城県に訪れたと思われます。そうして2012年夏にロンドンへ移住、2015年やっと世界への挑戦権を手に入れることが出来ました。

布袋寅奏 長年付き合ってきた布袋寅奏モデル「TE-HT Main」と共にイギリス挑戦へ!

ギターが好き、ロックが好き、布袋寅奏が好き、という方ならすぐにパッと出てくるぐらい代名詞になっている布袋寅奏の魂の半身といってもいい「TE-HT Main」テレキャスター型をベースに、ヘッド、ネック、ピックアップやボリューム、トーンなど全てを黒に塗り上げた後、外ふちを白で形を表すようにギター全体を走り、ボディには直線のみを使用した幾何学模様(正方形や多角形などを組み合わせた模様)を白い線で手書きのようにボディに引かれているのが特徴です。2010年に一般販売されるまで、それは布袋寅奏しか持ち得なかったモデルでした。BOOWY時代に大手ギターメーカー「FERNANDES」と布袋寅奏が共同開発したモデルで、このモデルの原形は、布袋寅奏がBOWY時代初期に自から手書きで白地に黒いラインをペイントしたものを使用していました。当時それしか無かったと語る布袋寅奏。今やその布袋寅奏に憧れているギタリストが多いとはその時、誰が想像出来たでしょうか。英国で挑戦するために移住したといっても過言ではなく、実際今回海外レーベルとの契約にまで至ったのは、布袋寅奏のギターが世界レベルだと証明されたと言って良いでしょう。布袋スタイルを貫いて、イギリスのチャートの常連になれるよう期待しましょう。

布袋寅奏の出身地 群馬県高崎市について

布袋寅奏の出身地、群馬県高崎市の観光スポット「少林山達磨寺」

正徳2年(西暦1700年代)に立てられた御寺で、明治14年に起きた火災によって古文書の大半が失われてしまったそうで、創建についての詳細が不明だそうです。こちらでは御寺で紹介している説をご紹介します。延宝八年に鼻高町に訪れた一了居士という行者の方が訪れ、達磨大師の像を彫って祀ったのが始まりとされています。少林山達磨寺には以前ドイツ人のブルーノ・タウトという方が妻を連れて1934年に滞在しており、その出来事を知った助監督時代の黒沢明が、「達磨寺のドイツ人」という題名で脚本化したことでも知られています。ブルーノ・タウトが滞在中、好奇の目を向けても優しさを忘れない日本人を愛おしいと思い、また住民も言葉が通じないながらも交流を深めたそうです。著書を通して海外にその当時の日本を伝えた功績は大きいと言われています。また1937年にこの世を去ると、妻のエリカはタウトの遺志である「出来得るなら、私の骨は少林山に埋めてほしい」を果たすべく、遺骨ではなくデスマスクを少林山に納めました。今でも達磨寺にはブルーノ・タウト夫妻が滞在していた洗心亭が残っていますので、訪れた際はご覧になってください。その当時の雰囲気が漂っていますので。また、このお寺でもう一つ有名なことが、毎年1月6日と7日に開催される七草大祭だるま市です。上毛かるたには縁起だるまの少林山、とありこの少林山達磨寺が福ダルマ発祥の地です。この祭りの際は、参拝客の行く道の脇に沢山の達磨さんが並んでいます。是非高崎市に御正月行かれた際は、その光景をご覧になり、一つ購入してみては如何でしょうか。

布袋寅奏の出身地、群馬県高崎市名物「高崎パスタ」

高崎市は人口当たりのパスタ店が全国的にも多いそうで、これには群馬県が全国有数の小麦の産地というのが関係しています。小麦を使った「粉物」料理は地元高崎の人たちにとってはとてもなじみ深いものであり、近年ではパスタの街として新聞やテレビで取り上げられるそうです。また毎年11月頃に市内で「キングオブパスタ」を決める大会が開催され、出場店舗が地元の食材で作った自慢のメニューを出し、来場者の投票によって決まるそうです。是非高崎を訪れた際はパスタ店に立ち寄ってみては如何でしょうか。またパスタ好きなら11月頃の「キングオブパスタ」を見る為に観光へ行かれては如何でしょうか。
2015年6月15日にヨーロッパ先行で配信される「How the Cookie Crumbles」が世界のチャートを賑わすこと期待して、そして名実ともに世界のギタリストであることを証明してくれる日を待っていたいと思います。

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