和氣慎吾がボクシング引退危機に陥ったワケ!世界戦への道のり
和氣慎吾がボクシング引退危機に陥ったワケとは?世界戦中継絡みで民放2局の争奪戦が背景に?
和氣慎吾(わけしんご)は、プロボクサーでOPBF東洋太平洋スーパーバンタム級王者。リーゼントで決めたヘアスタイルが異彩を放つ、個性派ボクサーです。1987年7月21日生まれの29歳の和氣慎吾の出身地は、岡山県岡山市。古口ボクシングジム所属で、憧れの選手は辰吉丈一郎です。
2006年10月にプロデビューして以後の通算成績は、27戦で 20勝(12KO)5敗 2分となっています。和氣慎吾には、一時期ボクシング引退寸前の危機に陥ったことがありました。和氣慎吾に引退まで覚悟させる一大危機が訪れたのは2014年のこと。12月のジミー・パイパとの東洋太平洋王座防衛戦が決定していた和氣慎吾のもとへ、WBO/WBA統一王者ギジェルモ・リゴンドーとの世界戦というビッグマッチが持ち込まれます。
古口哲会長としては、和氣慎吾の了承を受けて、東洋太平洋王座防衛戦をキャンセルし、世界戦を受けるつもりでした。しかし、当初は世界戦が内定したものの、一転して和氣慎吾が直々に世界戦を断った上、古口哲会長に説明もなく連絡不通になってしまいました。さらには、和氣慎吾がジムへも顔を出さない状況となってしまいます。時間が経って、ようやくジムに姿を見せ、謝罪した和氣慎吾。
しかし、会談に臨んだ古口哲会長は、自分の一存で世界戦を断ったことや、ジムに出てこず練習を休んだ点を問題視し、王座返上と、試合を組まないことを示唆する通告を行いました。これは、事実上、和氣慎吾に現役引退を示唆する通告です。事の重大さを認識した和氣慎吾は、自分の判断の甘さを認めて謝罪し、古口哲会長も受け入れたため、引退の危機をひとまず脱します。
その後、OPBF東洋太平洋フェザー級王者である天笠尚が世界戦への挑戦者代役に選ばれて事態は収束に向かったのです。この和氣慎吾の引退危機騒動の背後には、東洋太平洋王座戦の中継担当がフジテレビで、世界戦の中継はTBSが担当していたことがありました。年末格闘技の試合中継が絡み、民放2局が、目玉となる和氣慎吾の争奪戦を演じていたことが背景にありました。
恩義を感じているフジテレビの顔を立てるために、東洋太平洋王座戦を優先した和氣慎吾は、1人の人間として立派だともいえますが、独断でことを運んでしまったことは、いかにも無分別な行為。その代償は大きく、引退直前の危機を招いた上、本来出場するはずだった東洋太平洋王座戦までキャンセルされる結果に。しかし、和氣慎吾は、迷惑を掛けた古口哲会長との信頼関係を取り戻し、再びリングにその雄姿を見せることになりました。
和氣慎吾が世界戦を目指すまでの道のり!5連続KOで王座防衛!
和氣慎吾は、中学1年の時からボクシングを始めました。岡山商科大学附属高在学中にはボクシングでインターハイに出場し、世界チャンピオン鬼塚勝也を育てた古口ジムの古口哲会長に見いだされた和氣慎吾は、紆余曲折を経て18歳で上京。2006年10月のデビュー戦では、1回24秒KOで初陣を飾ります。
その後、決して順調に勝ちを重ねたわけではありませんが、2013年3月に、OPBF東洋太平洋スーパーバンタム級を奪取した和氣慎吾。王者小國以載との対戦で、10ラウンド終了後に、小國陣営が棄権表示したため、王座奪取に成功します。それを皮切りに、2015年2月のOPBF東洋太平洋スーパーバンタム級10位のジミー・パイパ戦に至るまで、5連続KOでの王座防衛に成功。同年6月には、IBF世界スーパーバンタム級挑戦者決定戦で、マイク・タワッチャイに判定勝ち。
和氣慎吾は、チャンピオンであるカール・フランプトンへの挑戦権を手にします。カール・フランプトンの王座返上に伴い、IBF世界スーパーバンタム級2位のジョナサン・グスマンとの王座決定戦が組まれましたが、TKO負けにより無念の涙を呑んだことは記憶に新しいところでしょう。
和氣慎吾の中学、高校時代がワル過ぎる!熱愛彼女・藤本久美との結婚は?
和氣慎吾の中学から高校時代はワル過ぎ!古口ボクシングジム入りするまで
和氣慎吾は、中学、高校時代、手のつけられない不良として鳴らしていたそうです。どれくらいワルだったのか気になりますね。中学時代には、すでにヤンキーとして地元で名が轟いていた和氣慎吾。中学1年でボクシングを始めた動機からして、「喧嘩に負けるのが嫌」だったから。中学2年にして番長になり、まさに「喧嘩上等」の日々に明け暮れていました。
しかし、和氣慎吾は、ヤンキー仲間とワル過ぎる毎日を送る一方で、ボクシングへは一途に取り組んでいます。「喧嘩に勝ちたい」ために始めたボクシングが次第に面白くなってきて、その魅力に取りつかれ始めたのです。明けても暮れても、度を過ぎた喧嘩、喧嘩の毎日に、高校進学も危ぶまれた和氣慎吾ですが、通っていたジムの会長の奔走で、何とか岡山商科大学付属高の入学に漕ぎつけます。
しかし、これで行いが改まるどころか、相変わらず喧嘩三昧。ヤンキー仲間が逮捕されるなど、和氣慎吾のワルぶりにはブレーキがかかりません。インターハイに出場を果たし、ボクサーとしての非凡さも見せてはいますが、遂に高校3年で鑑別所送りとなり、高校退学してしまいます。和氣慎吾が不良になった原因は、「家族とのふれあいに飢えていた」からだとか。父親は仕事を掛け持ちし、母親はパート勤務という状況で、家族間で交わす会話もごく少なかったようです。
そんな中、息子のワルぶりは日を追って加速していくばかり。両親ともに、どう接していいのか当惑していたとうのが本当のところでした。しかし、父親からの「お前の試合を見るのが生きがい」との真心のこもった言葉に、和氣慎吾は、心を揺さぶられます。
ワルぶっていても、心は純情だった和氣慎吾が、鑑別所から両親に宛てた手紙には、「今度、僕が世界チャンピオンになるまでは泣かせません」という誓いの言葉が。出所後は、その誓いを実現するため、スカウトされた古口ボクシングジム入りに単身上京することになりました。
和氣慎吾と藤本久美は熱愛彼女ではない?!固い絆で結ばれた友人関係か?
和氣慎吾の熱愛彼女として名前が挙がっているのが、タレントの藤本久美。「ヤンキーアイドル」として活動している藤本久美ですが、地下格闘技のイメージガールも務めており、時には、自らも格闘技のリングに上がることもあるようです。藤本久美は、レディース特攻服のモデルも務めていますが、これが実に決まっています。
実は、その生い立ちには、かなり複雑な事情を抱えているらしい藤本久美。和氣慎吾とは、雑誌の共演がきっかけで交流を深めたといい、SNSには、ツーショット写真もアップされています。和氣慎吾自身も喧嘩の毎日で、両親との触れ合いに飢えていたようですから、共感を覚えたのでしょうか。交流に発展するのも当然の成り行きだったといえるでしょう。
藤本久美は、ブログに、「彼」と題した記事をアップしていて、「彼」が試合に敗れたことに涙しながらも、「必ず彼の夢が実現します」と信じています。名前こそ明記されていませんが、「彼」とは和氣慎吾を指していることはいうまでもありません。今のところは、熱愛関係と言えるほど本格的な交際かどうか確認できませんが、和氣慎吾と藤本久美が、固い絆で結ばれているのは間違いなさそうです。
和氣慎吾が世界戦で「リーゼントが崩れる中盤までにブッ倒す」とKO宣言!TKO負けにも再起誓う!
和氣慎吾は、7月20日に、IBF世界スーパーバンタム級2位のジョナサン・グスマンとのIBF世界スーパーバンタム級王座決定戦に臨みました。21戦全てKO勝ちを誇るジョナサン・グスマンのハードパンチを前に、たびたびダウンを喫し終始劣勢だった和氣慎吾。終盤まで、粘りで持ちこたえましたが、11回にレフェリーストップがかかり、無念のTKO負けを喫しました。翌21日に28歳の誕生日を迎えた和氣慎吾にとって、とてつもなく重い敗戦です。
試合に先立って、記者会見に臨んだ和気慎吾が着用していたタキシードは、当日セコンドを務める片岡鶴太郎からのプレゼントの一品でした。近づいてきた一戦を前に、「世界に出る時がついに来た」と高ぶる気持ちを抑えきれなかった様子の和氣慎吾。相手となるジョナサン・グスマンの感想を聞かれて、「ハードパンチなのは間違いないが、スピードは僕が勝っているし、圧倒的に勝つ自信がある」と、自信を交えて分析して見せました。
当日は、TBS系列での全国生中継とあって、「リーゼントが崩れる中盤までにブッ倒す」とKO宣言も。しかし、TKO負けを喫した試合後、病院での検査によれば、右頬骨の亀裂骨折と、右眼窩(がんか)底骨折が疑われる重傷を負っていることが判明しました。
ブログにも、試合直後の顔がアップされていましたが、右目がものすごく腫れ上がっており、目を覆いたくなるような凄絶なもの。和氣慎吾が受けたダメージが、どれだけ大きかったかが見て取れます。7月24日付のブログでは、1週間程度の入院を明かした和氣慎吾ですが、「俺は身体が動く限り、世界チャンピオンになることを諦めません」と、早くも再起を誓っています。世界チャンピオンの目標がある限り、和氣慎吾の挑戦は、まだ続きそうです。