江川卓の高校時代、全盛期の怪物伝説エピソード!「空白の一日事件」驚愕の真実とは?

江川卓の高校時代、全盛期の怪物伝説エピソードが鳥肌もの!

江川卓 高校時代、全盛期の怪物伝説 第45回選抜での圧巻の投球

昭和の怪物、江川卓。剛球投手としてのエピソードは山ほどですが、中でも作新学院高校時代に出場した1973年第45回選抜大会は、別名「江川の大会」といわれたほどでした。初戦は、優勝候補の北陽高に4安打19奪三振完封と圧勝。相手打者が初めて速球にバットを当てただけで、5万8千人の超満員のスタンドから大きな拍手が巻き起こったほど、江川卓の剛球の威力は鳥肌ものだったといえます。

続く小倉、今治西も三振ラッシュでねじ伏せ、迎えた準決勝は広島の雄・広島商業と対戦。この一戦は、1点が左右するとまで下馬評でいわれたとおりの緊迫した戦いになりました。広島商業は、名将迫田穆成監督の指揮のもと「江川を打てなくても作新を倒す」方針を徹底。打者はみなホームベースギリギリに覆いかぶさり待球、数少ない得点チャンスでバント、盗塁といった戦術を駆使しました。

チームの一員で、のちに広島カープで活躍した達川光男は、「かなわんと思った。(球が)当たったら死ぬ思うた。あとにも先にもあの時の江川が一番速かった」と回顧。しかし、広島商業総力挙げての作戦が功を奏し、8回裏2死ランナー2塁の場面で、ランナーの盗塁がキャッチャーの悪送球を誘って生還、これが決勝点となりました。

広島商業打線は江川卓を打てませんでしたが、方針通りに作新学院を倒したのです。このようにチーム一丸で攻略作戦を編み出さなければならないくらい、当時の江川卓の怪物ぶりは際立ったものでした。

余談ですが、試合前に迫田監督から「おい、何か適当に(江川に)あいさつして来い。そのかわり、帰り際にはちょっと広島弁で脅して来い」と命令され仰天した達川光男。監督命令には逆らえず、打席に立った江川卓に「こんにちは……。おどりゃあ(お前)覚えとけよ!」というのがやっとだったそうです。これが、有名になった達川光男お得意の「ささやき戦術」の始まりだったとか。

江川卓 鳥肌ものの全盛期エピソード!「力と力」の勝負志向 落合、掛布らも称える凄さ

江川卓は、法政大進学後もエースとして活躍し、通算47勝をマーク。東京六大学リーグ最多48勝まであと1勝と迫りましたが、他の投手に登板機会を譲ったため、結局2位どまり。この記録に執着しない江川卓のスタンスが、逆に彼の凄さを際立たせています。プロ入り後も、浮き上がるストレートとカーブ、精密なコントロールのコンビネーションで、打者を圧倒。並外れたスタミナで、江川卓は、終盤の9回でも150kmを連発することもしばしば。

下降線をたどりつつあった1984年オールスター第3戦ですら、パリーグの猛者から8連続奪三振を記録し、対戦打者のひとりだった落合博満に「なぜこれほどの投手が打たれるのかわからない」と述懐させるほどでした。江川卓は「力と力」の勝負を志向し、ライバルだった掛布雅之も「嘘のないストレートを投げてくるが、まるで自分のスイングに対する答えのようだった」と称えています。

1985年には、日本本塁打記録更新に迫るランディ・バースに対して、臆する同僚投手をよそに真っ向勝負を挑んだ江川卓。その姿勢は、一貫して変わりませんでした。引退を決意したとされる1987年9月広島戦での小早川毅彦に喫したサヨナラホームランも、インハイのストレート。江川卓は、最後まで「力と力」を貫いたのです。

巨人時代の成績は?「空白の一日事件」驚愕の真実とは?

江川卓 巨人入り後の成績は徐々に下降線 ピークは高校~大学時代

江川卓のプロでの通算成績は、9年間で266試合登板、1857回1/3を投げて135勝72敗3セーブで防御率3.02、奪三振1366を記録しています。西本聖とともに巨人投手陣のエースとして君臨し、1980年は16勝、1981年には20勝で2年連続最多勝利のタイトルを獲得しています。

また、1980年から3年連続200個前後の奪三振を記録し、最多奪三振も3年連続獲得しました。しかし、大学2年時に肩を痛めた影響もあり、プロ入り後は徐々に下降線をたどっています。その時点で、あの落合博満に「江川が一番すごかった」といわせたほどですから、高校~大学までといわれた江川卓のピーク時はいったいどれほどの成績だったのでしょう。江川卓、高校時代の甲子園通算成績は、6試合に登板して4勝2敗、投球回数59回1/3、奪三振92(1試合平均15.3、9回奪三振率14.0)、自責点3、防御率0.46。

甲子園通算80奪三振以上の投手の中で、奪三振率14.0は歴代でもトップの記録です。1973年第45回選抜大会に限定すると、4試合で33投球回を投げて奪三振は60奪三振。1試合平均15奪三振という際立った「ドクターK」ぶりです。法政大進学後に記録した通算47勝、奪三振443はともに東京六大学リーグ2位、17完封はリーグ記録。歴史に「たら」、「れば」は禁物ですが、もし、江川卓が高校卒業と同時にプロ野球入りしていたら、どれくらいの成績を残したのでしょうか。

1973年秋に、ドラフト会議で阪急ブレーブス(現オリックスバファローズ)の1位指名を受けたときに、素直に入団していれば……。プロ野球の歴史も、阪急球団史も違ったものになっていたはずです。

江川卓 「空白の一日事件」の真実 巨人ドラフトボイコットで落合指名逃す

1978年11月21日午前に、巨人軍は、当時、作新学院職員だった江川卓と入団契約を締結したことを発表しました。ドラフト会議を翌22日に控えたこの発表は、野球界のみならず社会的にも大きな騒動となりました。この事件は「空白の一日」事件、あるいは「江川問題」、「江川事件」ともいわれます。これは、当時の野球協約上は、ドラフト会議の前日が盲点だった点、また、当時作新学院職員という江川卓の身分が「ドラフト対象外」と解釈できた点から、獲得を熱望する巨人軍が江川卓との契約を強行したものです。

セントラルリーグ会長鈴木龍二はこの契約を無効とみなします。しかし、反発した巨人はドラフト会議をボイコット。当日のドラフト会議では、阪神タイガースが江川卓との交渉権を獲得するのですが、巨人側はセントラルリーグ脱退をちらつかせるなど不穏な空気が漂います。

結局、金子鋭コミッショナーの「強い要望」により、阪神が江川卓を入団させ、巨人との間で電撃的な交換トレードでいったんは収束に。このトレード成立は翌1979年1月末で、江川卓の交換相手となったのは、当時巨人のエース格だった小林繁。宮崎キャンプ行きのため、羽田空港に向かう途中、小林繁には非情のトレード通告がなされました。

通告を受諾した小林繁は「請われて阪神に行くのだから、同情はいらない」と語り、トレード先の阪神でもエース格として力投、世間の喝采を浴びました。これに対し、入団を強行した巨人と江川卓には世間の非難が集中。「江川る」という流行語が生まれたほどです。

この後も、ドタバタは尾を引き、加担した形となったコミッショナーや阪神も指弾の対象となり、コミッショナーは責任を取って辞任。球界のみならず、国会でも問題視されるなど、江川卓の「空白の一日事件」の影響は大きなものでした。なお、主人公である江川卓が晴れてマウンドを踏むのは6月2日。相手は因縁の阪神でしたが、終盤に打ち込まれて敗戦投手となっています。

余談ですが、巨人はドラフト会議ボイコットで、江川卓の次の指名選手として予定だった落合博満(当時は社会人東芝府中)の指名を逃し、落合はロッテオリオンズ3位指名でプロ入りします。落合博満が晴れて巨人入りするのは1993年オフ、15年の歳月が流れていました。それは、江川卓がユニフォームを脱いでから6年後のことです。

江川卓 原監督「退任」の後任候補に浮上

現在、今シーズンのリーグ優勝を逃した巨人・原辰徳監督の去就問題がとりざたされています。復帰した2006年からまる10年を数える原監督ですが、球団からの続投要請は今のところなく、その可能性も低いとみられます。今シーズンが2年契約の最終年、契約満了をもって、「原監督勇退」というのが球団のシナリオでしょうか。

一部選手の野球賭博報道で、監督の責任問題も問われていることもあり、以前から「今シーズンで退任したい」との意向を原監督が周囲に漏らしているという報道がみられます。ここを区切りにフレッシュな後任監督で人心一新といきたいところですが、その有力候補である松井秀喜は、監督就任に消極的。ならばと次善策で巨人が用意する人材は誰か?

巨人監督、それは巨人の顔としてふさわしい知名度、実績を持つOBに絞られます。そこで浮上したのが江川卓。指導者の経験はありませんが、実績と知名度はいまだ衰えていません。系列テレビ局でも評論活動が非常に長く、状況把握も十分とみられます。現役時代にライバルとして名勝負を演じた掛布雅之も、正式なコーチ登録ではありませんが、指導者として活動しているのも江川卓への刺激となっていることは想像できます。

球団サイドも明言こそしていませんが、江川卓の入閣をほのめかす発言がみられ、「江川卓監督誕生」への追い風は吹きつつあるようです。肝心の江川卓は、公言こそしていませんが、巨人監督への意欲は失っていないとみられます。あとは、クライマックスシリーズの行方と、推定年俸3億円とされる原監督と遜色ない条件、手足となるコーチ陣の人選などの水面下でのやりとりが注目ポイントとなるでしょう。

それにしても、「江川監督」誕生のあかつきには、どのようなスタイルを志向するのでしょうか。江川卓は、柔軟な思考の持ち主。おそらく、自らの野球観を選手に強いることはせず、選手個々の持ち味を十二分に引き出すことを心掛けることでしょう。球界全体を広く見渡す視野も持っており、楽しみです。

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