海老沼匡と嫁・阿部香菜の結婚馴れ初め!オリンピック誤審騒動とは?
海老沼匡の柔道人生を支えている嫁・阿部香菜との結婚の馴れ初めは?
海老沼匡は、柔道66kg級で活躍している柔道家です。2014年12月に、阿部香菜と結婚ましたが、実は、嫁となった阿部香菜も、世界選手権では5位になった実力のある女子柔道選手でした。海老沼匡と阿部香菜の出会いは、2006年に行われたアジアジュニア選手権です。すぐに意気投合した2人は連絡先を交換し、メールや電話をするようになり、徐々に関係を深めていきました。
そして、柔道家としての限界を感じていた阿部香菜に、海老沼匡からプロポーズ。白いリムジンを用意して、車の中でプロポーズをするという実にロマンチックなものだったそうです。結婚を決めた年に現役を引退して以後、阿部香菜は、第一線で戦い続ける海老沼匡を支え続けてきました。
海老沼匡を襲ったオリンピック誤審騒動とは?
海老沼匡は、2012年に開催されたロンドンオリンピックに出場していたとき、準々決勝で、韓国のチョ・ジュンホ選手と対戦していました。両者互角のまま延長に入りこんだこの試合、とうとう海老沼匡の小内刈りが決まったように見え、一時は喜びに沸いた日本側。
しかし、審判委員の物言いが出て、海老沼匡のポイントは認められず、勝負の行方は判定に持ち込まれました。当初は、判定で青旗が3本上がり、チョ選手の勝利となりましたが、いったん審判たちが集められ戻ってくると、白旗が3本上がり、判定が覆る結果に。全く真逆の判定になったため、海外メディアからは批判の声が殺到しました。
試合後の海老沼匡も、勝者となったものの、「私が負けたと思ったのですが、判定が覆り申し訳ない……」と、なんとも後味の悪い様子。結局、海老沼匡は準決勝で敗れたために銅メダルとなり、誤審騒動で負けたチョ選手も敗者復活戦を勝ち上がって銅メダル。同じ台の上に立つことになりました。
海老沼匡が日本兵と呼ばれるワケ!出身中学、高校は?
海老沼匡のあだ名がすごい!明石家さんまが名付けたのは「日本兵」
海老沼匡は、海外の選手から「サムライ」と呼ばれています。心・技・体とも研ぎ澄まされた柔道を行うため、敬意を込めてこう呼ばれるのです。関係者からは、海老沼匡の妥協しないストイックさから、「修行僧」と呼ばれることもあるのだとか。
さらには、ロンドンオリンピックで何かと話題になり、日本テレビの番組に出演していた際、MCの明石家さんまから「日本兵か」というツッコミを受けた海老沼匡。そのイメージが見事に当てはまっていたために、「日本兵」というあだ名までつくことになりました。サムライ、修行僧、日本兵……あだ名のすべてに、妙に納得してしまうのは、真の柔道家たる海老沼匡のキャラクターゆえですね。
海老沼匡の出身中学・高校はどこ?講道学舎入塾を目指して小学校卒業後に早くも上京
海老沼匡は、1990年2月生まれで、栃木県出身です。しかし、幼稚園の頃から頭角を現していた海老沼匡は、東京都世田谷区にある柔道の私塾「講道学舎」に入るために、小学校卒業後に早くも上京しています。そのため、海老沼匡の通っていた出身中学は、東京の世田谷区にある弦巻中学校で、出身高校は、世田谷学園高校です。
この世田谷学園高校2年生の時に、アジアジュニアで優勝して、嫁となる阿部香菜と知り合ってもいます。2008年に、明治大学へ進学した海老沼匡は、2014年、講道学舎の先輩、吉田秀彦が監督を務める柔道部があるパーク24に就職し現在に至ります。
海老沼匡の金より価値のあるリオオリンピック銅メダル!
海老沼匡は、8月7日に行なわれたリオオリンピック柔道66キロ級で、ロンドンオリンピックに続く銅メダル獲得となりました。海老沼匡は前回大会でも銅メダルだったため、今回は違う色のメダルを獲りに来ていたことでしょう。
寡黙に練習をこなし、人一倍練習をしてきたサムライ海老沼匡は、試合後に一言も漏らしませんでしたが、関係者の話によると、実は今大会中、脇腹から足にかけてがけいれんしていたそうです。自分が思うような試合運びができなかった中での銅メダル獲得は見事と、応援している側は思ってしまいますが、本人の心境は、そう簡単に割り切れるものではないかもしれません。
一方、「僕は負けて強くなる」が口癖だという海老沼匡と共に戦い、支えて続けてきた嫁・阿部香菜は、リオオリンピックの観客席で止まらない涙をぬぐい続けていました。海老沼匡がリオへ出発した日、自宅には1通の手紙が置いてあったそうです。内容は、海老沼匡から妻への感謝の言葉と、全力で闘うという決意でした。練習をすればするほど筋量が増え、年齢と共に代謝が減ってきた海老沼匡は、減量がキツくなり、73kg級に変更する考えもあったそうです。
しかし、ロンドンオリンピックで金が獲れなかった悔しさから、あえて険しい道のりを選び、歩んできた2人。柔道一筋の生活だった海老沼匡は、「少しでも食事が楽しくなるようにという嫁の気遣いのおかげで、また柔道が頑張れる」とさらに稽古に力を注ぎ、嫁・阿部香菜は、柔道に夢中になり過ぎる夫の体力、精神面を全力でサポートする……そこには、2人にしか分からない絆が存在しました。
リオオリンピックでもメダルの色は銅でしたが、嫁・阿部香菜の心の中では、「金よりも価値があるメダル!」だったに違いありません。