樋口黎はレスリング57kg級のミラクルボーイ!偏食ぶりが凄かった!

樋口黎はレスリング57kg級のミラクルボーイ!偏食ぶりが凄かった!

樋口黎はレスリング57kg級でリオオリンピック銀メダル!初出場の大舞台で魅せた職人技がスゴイ

樋口黎(ひぐちれい)が、リオオリンピックのレスリング男子フリースタイル57㎏級で、銀メダルを獲得しました。日本体育大学に在学中の樋口黎は、1996年1月28日生まれの20歳です。2015年の全日本選手権優勝でリオオリンピック予選出場を果たし、2016年のアジア予選で優勝。

危なげなくオリンピック初出場権を獲得した樋口黎でしたが、これまでに世界大会で決勝進出を果たしたことはありませんでした。しかし、樋口黎には、相手の足元に飛び込む「片足タックル」から、流れるようにつかんだ相手の足の関節を固めて横転させる「アンクルホールド」に持ち込む、勝利の定石がありました。リオオリンピック1回戦の相手は、2014年の世界選手権王者で、ロンドンオリンピックでは銅メダルを獲得した、北朝鮮のヤン・ギョンイルでしたが、樋口黎は20歳とは思えない職人技で快勝しています。

次々と強豪を破って迎えた決勝戦では、2015年の世界王者ウラジーミル・キンチェガシビリに判定負けしてしまいました。しかし、結果は銀メダルだったとしても、初出場のオリンピックで、樋口黎が世界王者から先取した3ポイントは、値千金の健闘ぶりです。

樋口黎の偏食を改心させたのは内村航平!?減量苦を克服し急成長!

樋口黎は大の甘党で、日常的に、財布の中身を駄菓子屋巡りに費やしているといいます。特にチョコレート菓子のブラックサンダーがお気に入りで、「あの甘さが脳に快楽物質を出す」と、1日4~5個は食べているそうです。それだけならまだしも、樋口黎は大の野菜嫌いだといいます。

この偏食ぶりが祟って、減量に苦しむこともたびたびあったそうで、2015年6月の全日本選抜選手権では、重量オーバーでマットに上がることができませんでした。そんな樋口黎を改心させたのは、体操界のスーパースター・内村航平。樋口黎は、かねてから、自分と同じく「ブラックサンダー好き」「野菜嫌い」と公言する内村航平に、シンパシーを覚えていたそうです。

しかし、各競技の代表選手が集まる東京都内のトレーニングセンターで、内村航平の超弩級の偏食ぶりを目撃し、「自分はあそこまでの天才ではない」と思い知らされたのだとか。栄養学を学んでからの樋口黎は、ブラックサンダーは1日1~2個に減らし、野菜を食事全体の20%を占めるまで改善し、リオオリンピックに向けて急成長を遂げました。

樋口黎の父はどんな人?西陵中学、霞ヶ浦高校時代の試合成績は?

樋口黎の父はレスリングコーチ!幼少期に通ったレスリングクラブはどこ?

樋口黎の父は、大阪府堺市にある「堺ジュニアレスリングクラブ」でコーチを務めています。競技歴や戦績などは不明ですが、樋口黎がレスリングを始めるきっかけには、間違いなく父の影響があったものと思われます。ところが、樋口黎が4歳から通い始めたクラブは、「吹田市民レスリング教室」でした。理由は分かりませんが、樋口黎の自宅がある茨木市からは、父が勤める堺市のクラブよりも、隣接する吹田市のほうが通いやすかったのではないでしょうか。小学時代の樋口黎は、全国大会で5回の優勝歴を誇る無敵の存在でした。「吹田市民レスリング教室」のコーチの力量もさることながら、コーチとしてのノウハウを持つ父の存在は大きかったはずです。

樋口黎が伸び悩んだ西陵中学時代!レスリングの名門・霞ヶ浦高校時代は6冠王に!

樋口黎は、小学時代を5回の全国優勝で飾りましたが、大阪府茨木市立西陵中学時代は、全国大会に出場するも、3年連続3位という結果に終わっています。父は、かつての勢いを失くした樋口黎の伸び悩みを心配したといいます。そんな樋口黎に「日本一になる才能」を認め、スカウトをかけたのは、茨城県の私立霞ヶ浦高校・レスリング部の監督でした。霞ヶ浦高校レスリング部は、インターハイ23回、全国高校選抜大会では20回の優勝を誇る、名門中の名門校です。

「日本一にしてあげる」といわれ、大阪茨木市から単身、茨城県にやってきた樋口黎は、高校1年生の時には実績を上げることができず、苦しみました。しかし、2年目以降は、国体・インターハイ2連覇、全国高校選手権優勝など6冠を達成し、見事に”無敵の樋口黎”を復活させています。

樋口黎がリオオリンピックでの収穫は金への確信!偏食再発とイケメン人気ぶりが心配

樋口黎の西陵中学時代の戦績は、3年連続全国大会3位ですが、これを”伸び悩み”と捉えたことに、非凡さを覚えます。樋口黎の世代は、レスリング史上最強の世代と言われており、その中での高校時代の6冠達成は、驚異の離れ業です。「1位じゃないとダメだ」と、自分に言い聞かせてやってきた樋口黎にとって、初出場といえども、リオオリンピックでの銀メダルは悔しいものでした。

内容としては互角だったにもかかわらず、残り41秒で同点に追い付かれ、そのまま判定負け。日本側は、相手選手が樋口黎の指を握って時間稼ぎをしたと訴えましたが、結果が覆ることはありませんでした。しかし、樋口黎にとって、世界の大舞台で自分のスタイルを崩すことなく戦うことができたことは、大きな収穫。得意技への自信は、金メダルを狙える確信へと変わったはずです。

4年後の東京オリンピックでの金メダルは、かなりの確率で実現しそうですが、そこに立ちはだかるのは、減量の壁。今後は、57kg級ではなく、コーチと相談の上で61㎏級に転向する可能性も示唆しています。樋口黎が、オリンピックを終えて一番に望んだのは、なんと「偏食解禁」でした。メダル獲得後のインタビューでも、大相撲で優勝した力士に贈られる”ビッグマカロン”を所望しています。

そんな可愛らしい顔も持つ樋口黎は、イケメンぶりもあいまって人気が集まっているようで、ネットには樋口黎らしき人物が出演しているという、いかがわしいビデオまで……。本人のTwitterまで騒がしくなっているようですが、4年後の金メダルに向けて、精神面への影響だけはないように願いたいものです。

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