ムッシュかまやつ(かまやつひろし)と森山良子は親戚?父も有名音楽家だった!
ムッシュかまやつ(かまやつひろし)は、従妹とその息子、自分の息子もミュージシャン?!
ムッシュかまやつ(かまやつひろし)は、音楽好きの人なら、若い人でも意外と知っているかもしれません。子泣き爺のような風貌に、「おかっぱ」のヘアスタイルがトレードマークのその人こそ、ムッシュかまやつです。人気グループサウンズ「ザ・スパイダース」の元メンバーで、今もなお、数多くのミュージシャンにリスペクトされているムッシュかまやつは、1939年生まれの77歳。
従妹に、日本フォーク界の草分け、森山良子がいることでも知られています。従って、森山良子の息子である森山直太朗は、ムッシュかまやつの甥です。ちなみに、ムッシュかまやつの息子は、TAROかまやつといいます。音楽が続けたいばかりに、フジテレビの社員を辞めてミュージシャンになったそうで、もう50歳近くだそうです。
ムッシュかまやつ(かまやつひろし)の父親は日本ジャズ界の草分けディープ・釜萢
ムッシュかまやつ(かまやつひろし)の父親は、日本ジャズ界の草分け的存在である、ジャズシンガーのティーブ・釜萢(かまやつ)です。こうした環境から、かまやつひろしは、戦後間もない頃からアメリカの音楽に親しみ、青山学院高等部時代には、早くもカントリー&ウェスタン歌手としてデビューしています。
「ワゴンマスター」「サンダーバード」「キャノンボール」など、さまざまなバンドメンバーとなり、日本のロックの曙、「日劇ウェスタンカーニバル」にも参加。そして1961年、現田辺エージェンシー社長である田邊昭知らと、ザ・スパイダースを結成すると、一躍人気者となります。
ムッシュかまやつは、「あの時君は若かった」「いつまでもどこまでも」「バン・バン・バン」「ノー・ノー・ボーイ」「フリフリ」「なんとなくなんとなく」など、ザ・スパイダースの数々のヒット曲を作曲しており、バンドの音楽的支柱でもありました。
ムッシュかまやつ(かまやつひろし)「我が良き友よ」モデルはあの人!カツラ疑惑は本当?
ムッシュかまやつ(かまやつひろし)と吉田拓郎は大の仲良しで「我が良き友よ」が大ヒット!
ムッシュかまやつ(かまやつひろし)は、フォークの神様・吉田拓郎と親交が深いことで有名です。ともに南沙織のファンであったことから、1974年、彼女の愛称「シンシア」をそのまま曲にし、デュエット曲としてヒットさせてもいます。そして翌1975年、吉田拓郎作詞作曲で、ムッシュかまやつが歌った「我が良き友よ」が、オリコンシングル年間チャートで9位を記録、爆発的なヒットとなりました。
懐古趣味的な、バンカラ学生の生き様を歌ったこの歌は、吉田拓郎の大学時代の同級生がモデルだったそうです。フォークというよりは、極めて演歌的な曲でしたが、60年、70年安保闘争に敗れ、サラリーマンとなったオジサンたちの心情にいたくマッチしたのが、ヒットの原因と考えられます。ちなみに、「我が良き友よ」のレコードのB面は、ムッシュかまやつ作詞作曲の「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」でしたが、発売当初の評判は散々でした。
しかし、1990年代初頭のアシッド・ジャズブームで再評価されたのは、さすが、ムッシュかまやつ。時代を一回り以上先取りしていたということでしょう。
ムッシュかまやつ(かまやつひろし)のおかっぱロングヘアーはキャラクターとしての必須アイテム
ムッシュかまやつといえば、もう1つ。かねてから囁かれ続けてきているかつら疑惑があります。かなり若い時分からかつらだった、かつらを取るとスキンヘッドらしい、堺正章同席の場でかつらが外れてしまったことがあったなど、ムッシュかまやつのかつら疑惑にまつわる話は数々あります。
しかし、これはもはや暗黙の了解という域ではないでしょうか。茶髪おかっぱのロングヘアーというのは、ムッシュかまやつのキャラクターに欠かせないアイテムといえます。最近よくかぶっている黒いキャップは、ムッシュかまやつ本人もお気に入りのエルメスのニット帽だそうです。
ムッシュかまやつ(かまやつひろし)よ、肝臓がんにも負けずに永遠なれ!
ムッシュかまやつ(かまやつひろし)は、しばらく話題がありませんでしたが、肝臓がん治療のために、都内の病院に入院していることが、先日分かりました。事務所の発表によると、2016年5月、病院の検査で、肝臓がんが見つかったそうです。
その後、通院治療を続けていましたが、8月23日に脱水症状を起こしたことから、そのまま緊急入院に。ムッシュかまやつ本人も、「絶対復活するから心配しないでください。それまでいろいろご迷惑おかけします!」と、力強いコメントを発表している通り、ぜひとも現役復帰を果たしてほしいものです。
ムッシュかまやつは、後輩である吉田拓郎や松任谷由美から、小山田圭吾、カヒミ・カリイに至るまで、老若男女、各時代のトップミュージシャンと親交がある、現役ミュージシャンのレジェンド的存在となっています。昭和のグループサウンズを知るオジサンたちにとって、ザ・スパイダースは別格でした。その高い音楽性とこなれたステージングは、グループサウンズというよりは、まさに「バンド」と呼ぶべき存在だったのです。
ザ・スパイダースというと、ボーカルの堺正章と井上順ばかりに目が行きますが、ギターの井上孝之、キーボードの大野克夫は、その後の映画やドラマ音楽においてもなくてはならない存在となっています。これら個性派メンバーをまとめ上げたのが、現田辺エージェンシー社長田邊昭知であり、当時、もっともポップで最先端の音楽を作り上げた音楽プロデューサーが、ムッシュかまやつだったといえます。