野口英世は黄熱病や梅毒の研究で功績を遺した細菌学者!左手は治っていた?

細菌学者として活躍した医師であり、黄熱病・梅毒の研究で知られる野口英世。その黄熱病の研究中に自身が罹患し、51歳でこの世を去った悲劇は、あまりに有名な話です。

野口英世は高等小学校を卒業してすぐに上京し、済生学舎(現日本医科大学)に入学しました。その後、西洋医学の知識を問われ、合格すれば医師免許も与えられる医術開業試験に合格。医師として活躍するとともに、研究も精力的に続けています。

細菌学はもちろんのこと、黄熱病・梅毒の研究に関する数々の論文を発表。ノーベル生理学ならびに医学賞の授賞候補に、なんと三度も名前が挙がりましたが、その最中、研究していた黄熱病に罹患し、死去してしまいます。

野口英世について、改めてその背景を振り返っていきましょう。

野口英世といえば黄熱病!細菌学に名を残した功績多数!

主に細菌学の研究をしていたことで、その名が知られている野口英世。医学を志す者ではなくとも、誰しもが名前を聞いたことがあるでしょう。その研究姿勢は、膨大な実験データを元にした、いわゆる実践派と呼べるものでした。

考えられる実験パターンをすべて完璧に実行するとともに、かつ誰もが驚くほどのスピードと緻密さをもって行われました。この特別な研究姿勢により、当時の米医学界では野口英世を指して「実験マシーン」「日本人は睡眠をとらない」などという言葉で揶揄する声もあったのだとか。

主に挙げられる栄典は、正五位・勲二等旭日重光章。そして学位は医学博士、理学博士など。これだけでも錚々たるものですが、加えて付与された称号は、パリ大学名誉医学博士、ブラウン大学名誉理学博士、エクアドル共和国陸軍名誉軍医監・名誉大佐、イェール大学名誉理学博士、サン・マルコス大学名誉教授・名誉医学博士などなど、挙げればキリがないほどです。

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野口英世は手が不自由だった!?幼少期に大やけど

野口英世といえば、現在の千円札紙幣に肖像画が描かれていることでも有名です。歴代の偉人が紙幣の肖像画として選ばれることは周知の事実ですが、そんな野口英世には、なんとも涙を誘う逸話があるのです。

野口英世は幼少期、いわゆる幼名として清作(せいさく)という名前をつけられていました。その清作がまだ年端もいかない頃、自宅にあった囲炉裏の中に落ち込んでしまう事件が発生。ひどい火傷をその手に負ってしまったのです。

左手の指が焼けつき、落ちた衝撃そのままに、握っていたこぶしがくっついて固まってしまいました。この日を境に、治療法のないままくっついた左手で生きていくことを余儀なくされた清作。しかし、清作はそれをハンデともせず、コツコツと勉学に励み続けました。成績が落ちた理由や言い訳を手のせいにしない、環境などの外部要因のせいにしない清作の人柄が滲み出るようなエピソードですね。

その結果、学内で1番の成績をとった清作は、当時の教師から支援を受けて進学することも叶います。その流れから、固まってしまった手を元に戻す治療をするために、費用の援助を受けることもできました。家庭事情から満足に病院に通うこともできていなかった彼にとっては、これ以上ありがたい話はなかったでしょう。このことがなければ、野口英世の手は治らないまま、歴史的な功績を残すことも叶わなかったかもしれません。

無事に手術を受けることができ、不自由さから解放された清作は、それまで勤めていた順天堂(現順天堂大学医学部)の上司に頼み込み、「日本の細菌学の父」と称される北里柴三郎が所長を務めていた伝染病研究所(現東京大学医科学研究所)で働き始めます。

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語学が堪能だった清作は、主に通訳や外国の論文をまとめる図書係として重宝されたようです。伝染病研究所に勤めた後、野口英世はアメリカへ留学していますが、北里柴三郎は現地の知人に紹介状を書くなど、留学先で不自由がないよう便宜を図ったとされています。

また、野口清作から野口英世と名を改めたのは、伝染病研究所で働いていた頃でした。その理由は、知人の勧めで読んだ小説に登場する野々口精作が借金を繰り返すなど自堕落な生活をする人物として描かれており、当時の清作自身の不摂生な暮らしぶりから、作品のモデルなのではないかと思われることを避けるためだったといいます。

野口英世の名言にみる人間性

「正直であることが最高の手段だ」

「過去を変えることはできないし、変えようとも思わない。人生で変えることができるのは、自分と未来だけだ」

現代にも通じる、生きる指標となるような名言を多数残した野口英世。その数々は、「野口英世記念館」でも見ることができます。公益財団法人・野口英世記念会が運営する記念館で、福島県に現存していますので、興味のある方はぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。同記念館では各種イベントも豊富に行われており、野口英世の母・シカが書いた手紙の内容や、野口英世自身がが描いたという妻の肖像画なども展示されています。

野口英世に限らず、歴史に名を遺した偉人は、どうしてもその背景が実感をもってわかりづいらいものです。しかし、彼らが遺した文献や絵画などを改めて見ることで、歴史の本などだけでなく実在した人物として、より身近に感じられるのではないでしょうか。

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