2017年7月11日 更新
美保純が「5時に夢中!」でフェロモン全開!結婚してる?
美保純が「5時に夢中!」でフェロモン全開!目指すはフェロモンばばあ界のセンター?
美保純は、1960年生まれで56歳になる個性派女優です。2013年、NHKの連続テレビ小説「あまちゃん」の、何度も駆け落ちしては地元に舞い戻ってくる海女の役で、広く一般にもその存在が再認識されるようになりました。とはいえ、なんといっても、美保純の今のイメージを定着させたのは、2009年より出演し始め、現在では、水曜日のレギュラーコメンテーター枠を獲得した東京メトロポリタンテレビの生情報番組「5時に夢中!」出演と、そこで繰り出す発言の数々でしょう。
今では、「5時に夢中!」で、歯に衣着せぬコメンテーターとして活躍している美保純。同じくコメンテーターとして出演していた作家の中村うさぎと揉める前は、HKB48(閉経B)を結成して、フェロモンばばあ界のセンターを目指しているとも語っていました。
美保純はいまだ独身で小悪魔フェロモン全開!
美保純は、50代とは思えない、老け知らずの美しさとは真逆の、おかまのように野太い声から発せられる五十女の鋭い本音と、明け透けなエロ発言のギャップで、デビュー当時と変わらぬ人気を誇っています。そんな美保純は、いまだ独身。結婚という制度などに縛られることなく、その時々の恋愛に全力投球することが、美保純の若さとフェロモンを保つ秘訣であり、小悪魔的な魅力の秘密なのかもしれません。
美保純の過去はポルノ女優だった!静岡のディスコクイーンが歩んだ道!
美保純は日活ロマンポルノ出身の中でも異色の女優
美保純は、日活ロマンポルノ出身女優の中でも異色の存在です。美保純は、静岡出身のイケイケディスコクイーン時代にスカウトされ、その度胸のよさを買われて、日活ロマンポルノに出演。またたく間に人気者となって、ブルーリボン新人賞を受賞するや、すぐにロマンポルノの世界から抜け出し、映画やドラマで活躍します。ポルノ女優という言葉も今では死語で、ポルノ映画自体も、定義があいまいです。
ポルノ映画とは、法的に規定されている成人映画、つまり「18歳未満の者の鑑賞には不適当」とされる性描写を含んだ映画を意味します。現在のアダルトビデオと、明らかに一線を画すのは、映画の中での性行為は、あくまで擬態、演技であること。映画全盛時代、大手映画会社は、決して手を出さないジャンルでしたが、映画界が斜陽になってきた1960年代後半、大手映画会社も、成人映画路線に舵を切ると、東映が初めて、東映ポルノと命名した成人映画を制作します。
石原裕次郎や吉永小百合を輩出したあの日活は、経営状況が一番深刻だったことから、成人映画制作主体の会社になり、1971年から1988年まで、実に20年近く日活ロマンポルノが制作されていました。初期は、肝心の女優も集まらず、大手以外の制作会社による成人映画、いわゆるピンク映画界から、白川和子、橘雪子、宮下順子などが引き抜かれて出演します。
また、新劇やアングラ演劇、大学の自主映画界などからも、「有名になりたい」「ギャラがもっとほしい」など様々な理由で、絵沢萌子、伊佐山ひろ子、風祭ゆき、岡本麗、室井滋など、ユニークな女優が集まってきました。その多くの女優は、演技力を買われ、一般の映画やドラマへと進出していったのです。
美保純の芸能界における非女優的生き方
美保純の日活ロマンポルノデビュー時期は1981年と、日活ロマンポルノ史の中では後期にあたり、その存在がすでに世に認められ、ロマンポルノの女優たちが半ばアイドル化していた頃でした。静岡の不良娘で、ディスコクイーンだった美保純は、ただ東京に行きたいという一心から東京に出てきて、その若さと可愛さだけでスカウトされました。そして、思い切って裸になる覚悟を決め、日活ロマンポルノに出演したのです。
つまり、美保純には、最初から、女優としての志向や資質など全くありませんでした。美保純は、ただ目の前の与えられた仕事を必死にこなしていっただけです。逆説的ではありますが、美保純は、女優として葛藤する余裕など全くなかったからこそ、これまでやってこられたのかもしれません。
美保純のぶっちゃけ昔話はリアルすぎる!
美保純は、ノーテンキな不良のおねーちゃんでありながら、したたかなリアリストで、地頭がよい女性です。だからこそ、デビュー当時に所属した、グラビアアイドルや、裸になる女性を提供するプロダクションでもやっていけたのでしょう。その当時は、枕営業的なことを強要されたり、ひどいものになると、プロダクションのマネージャーがタレントに手をかけたりといったことがあったと、美保純本人が暴露しています。
しかし、被害に遭ったアイドルたちから、マネージャーにこんなことをされたと相談された時、「私がそういうマネージャーを全部クビにしていた。売れていたから権限があった」と、豪語してみせた美保純。そういうきっぷの良さや、男前ぶりもまた、美保純の魅力といえましょう。とかく裏表がありがちな女優の世界で、デビュー当時のままのまっすぐな感性で、芸能界での自分の居場所を見つけた美保純は、決して自分のペースを崩すことなく生きてきたように見受けられます。
実は、日活ロマンポルノという、虐げられ、かつハングリーな環境で映画を作っていた若いスタッフたちの中には、今をときめく女優や、後の大監督が数多くいます。それは、たとえポルノ作品であっても、彼らが真剣に映画を撮っていたからに違いありません。そんな一般社会とは全く異なった世界の中で、美保純は、善悪、才能のあるなしを、はっきり見極める目を養ってきたのでしょう。美保純にとって、今最大の弱みは、若いキラキラした男の子だけかもしれません。