中島亜梨沙は元宝塚歌劇団・娘役!経験を活かし女優活動に尽力中

元宝塚歌劇団・月組の娘役をしていた中島亜梨沙(なかじまありさ)。北海道札幌市の出身、1982年12月22日生まれで、2019年現在は36歳。宝塚退団後は、女優・タレントとして活躍しています。

中島亜梨沙の宝塚時代の芸名は羽桜しずく、愛称は本名の「ありさ」でした。宝塚退団後に所属した芸能事務所はアクラでしたが、2018年11月にキューブへ移籍しています。

2005年5月から上演された星組の新人公演「長崎しぐれ坂」で柳麗役、同年10月に上演された「龍星」では、主人公の記憶の母役を演じています。その後、2006年8月には「愛するには短すぎる」で、ヒロインの少女時代役に抜擢されました。

2007年3月から上演された「シークレット・ハンター」においては、念願の新人公演初ヒロインに抜擢。2008年に月組へ移ってからは、同年3月から上演の新人公演「ME AND MY GIRL」においてヒロインを演じ、8月からも博多座で同演目のヒロインサリー役を演じるなど、数々の舞台で活躍していました。

宝塚歌劇団・星組、月組の娘役として活躍

中島亜梨沙は、久富淑子バレエ研究所でバレエを学びました。同研究所の出身者には、イギリスの王立バレエ団として知られるロイヤル・バレエ団のプリンシパルを務め、現在はKバレエカンパニーを主宰する世界的なバレエダンサー・熊川哲也もいます。

宝塚歌劇団の全国公演「風と共に去りぬ」を観て華やかな舞台に憧れを持った中島亜梨沙は、2001年に宝塚音楽学校へ入学。2003年に第89期生として宝塚歌劇団へ入団し、同年4月から5月まで宝塚大劇場で上演された月組公演「花の宝塚風土記/シニョール・ドン・ファン」で初舞台を踏みました。

星組での活躍を経て、2008年2月に月組へ替わり、新人公演や本公演でヒロインとして舞台に立った中島亜梨沙は、2009年10月から12月まで東京宝塚劇場で上演された「ラストプレイ/Heat on Beat!」への出演をもって、宝塚歌劇団を退団します。

その後カナダへの留学を経て、2011年に芸名を宝塚時代の「羽桜しずく」から「中島亜梨沙」に改名し、心機一転再スタートを切りました。

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中島亜梨沙の宝塚受験は思い出作りだった!?

中島亜梨沙は3歳の頃からピアノを習っていました。また、高校時代は吹奏楽部でフルートを担当し、2年間声楽を学ぶなど、子供の頃から音楽に対する造詣が深まる環境にあったようです。

そんな中島亜梨沙ですが、実は宝塚の入学試験は受けたものの合格するとは夢にも思っていなかったのだとか。進学する大学も決まっていたため、他の大勢の受験者のように意気込んで臨むということはなく、「思い出になれば」という気持ちだったといいます。

宝塚歌劇団の舞台に立つには、宝塚音楽学校への入学が必須です。狭き門として知られる試験に合格するため、受験者は子供の頃から様々な能力を磨き上げて受験当日を迎えますが、この入学試験には、受験者の間で常識ともいわれる決まりがあります。そのひとつが髪型で、お団子ヘアにまとめてくるのが当然とされていますが、思い出にする気持ちしかなかった中島亜梨沙はこの決まりを知らず、他の受験者全員がお団子にしている中でただ一人、髪を下していたうえに服装もデニムにスニーカーという出で立ちで試験会場に現れ、他の受験生や上級生を驚かせたのだそう。

気負わず自然体で受験できたのが良かったとも考えられますが、思い出作りのつもりで宝塚音楽学校の試験に受かってしまう彼女の持って生まれた資質に驚かされます。

結婚は?ウェディングドレス姿の真相

現在独身の中島亜梨沙ですがが、実は結婚しているのではないかと物議を醸したことがあります。事の発端は、京都の結婚式場「The SODOH」のウェディングCM用に撮った純白のウェディングドレス姿の写真でした。

結婚願望の有無など、彼女の恋愛観についてはベールに包まれた部分が多いようですが、インタビューで「芝居がすごく好き、つらいけれど楽しくもある」と語っていることから、今はまだ仕事に集中したい気持ちが強いのかもしれません。

宝塚での経験を活かし、今後もさらに演技の幅を広げていくであろう中島亜梨沙。多彩な才能を各方面に発揮して、さらに活躍してほしいですね。

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