2022年2月17日 更新
渡辺裕之の嫁は原日出子!結婚後も変わらぬアツアツぶりとは?
渡辺裕之の妻は女優の原日出子!今も変わらぬ若々しさで「ベストプラチナエイジスト」受賞!
渡辺裕之は、1955年12月9日茨城県水戸市に生まれ、リポビタンDのCMや、昼ドラ「愛の嵐」の主演で知られる俳優です。1994年に、女優の原日出子と結婚。原日出子には離婚歴があり、最初の結婚で長女を出産していたので、子連れ結婚でした。
その後、渡辺裕之は、原日出子との間に、1男1女をもうけるも、原日出子の長女を我が子のように育てたそうです。現在、長女は結婚し、子供も授かっているようなので、渡辺裕之は「お祖父ちゃん」ということになりますね。すでに孫にも恵まれている渡辺裕之は、2016年の「ベストプラチナエイジスト」に選ばれています。
「ベストプラチナエイジスト」とは、60歳以上の世代であるプラチナエイジの夢や目標となるにふさわしい人々を表彰する賞。60歳になった渡辺裕之は、「お祖父ちゃん」とは思えないほどのスタイルを保ち、「ベストプラチナエイジスト」の名にふさわしいアクティブな生活を送っています。
渡辺裕之は嫁の原日出子といまだにアツアツって本当なの?瞬間冷凍婚のススメとは?
渡辺裕之と原日出子の結婚生活は、早22年となりますが、いまだにアツアツの関係だとか。毎日お尻を触わるほか、熱いキスやハグは当たり前。「ずっと仲良く円満な夫婦でいたいですから」という渡辺裕之は、まるで欧米人のような感覚の持ち主のようです。渡辺裕之と同年代や、それ以下の世代でも、なかなか難しいと思われるレベルのスキンシップができるとは、恥ずかしいやら羨ましいやら……。
そんな原日出子とアツアツな関係を続ける秘訣を聞かれた渡辺裕之は、「(素材を)瞬間に冷凍したほうが長持ちするし、新鮮らしいですね。だから、だらだらつき合わないで、お互いあまり知り合う前にぱっと結婚するほうがいいのかもね」とコメント。「冷凍食品の日」に行われたイベントで、開催趣旨をうまく絡めながら、「瞬間冷凍婚」のすばらしさをアピールしていました。
渡辺裕之の自宅や実家は?長男がなかなかのイケメンだった!
渡辺裕之の気になる自宅は?茨城の実家が震災被害を受けていた?
渡辺裕之が、横浜に構えている自宅が大豪邸だと話題になっています。渡辺裕之の自宅には、巨大なジャグジーがあり、ワインセラーには、家族の生まれた年のワインを貯蔵。さらに、カラオケルームに加えて、トレーニングルームもあるとか。クリスマスになると、イルミネーションを飾り付けるのが恒例行事だという渡辺裕之は、命綱を付けてセッティングするといいます。
命綱とは穏やかではありませんが、近所に住む方々にも、季節の風物詩として、楽しみにされているのかもしれませんね。茨城県水戸市出身の渡辺裕之は、横浜に構えた豪邸のほかに、茨城には実家もありましたが、東日本大震災で、建物の3分の1が倒壊する被害を受けました。
震災後は、「復興アクション」に参加し、茨城県産の農産物の風評被害を払拭するため、茨城産の野菜などを使ってバーベキューをするなど、食の安全をアピールする復興活動に積極的に取り組んでいます。
渡辺裕之の長男がイケメン俳優に!ドラマ「幽かな彼女」に出演していた!
渡辺裕之の長男は、1996年生まれなので、今年で20歳になりますが、実は、2012年に芸能界デビューしています。写真を見ると、父親である渡辺裕之と、母親である原日出子のいいところをうまく受け継いだ、なかなかのイケメンです。彼の名前は、渡辺貴裕。現在、本名で芸能活動をしており、2013年に放送されたドラマ「幽かな彼女」に出演しました。渡辺貴裕は、親の七光りといわれるのが嫌で、父親の渡辺裕之には内緒でオーディションを受けたといいます。
2014年公開の映画「物置のピアノ」にも出演。この映画は、東日本大震災により避難生活を送る女子高生の心を映したストーリーです。渡辺貴裕は、主人公と同じ吹奏楽部員を演じました。茨城の実家が被災した渡辺裕之が、復興支援活動などをしている姿は、長男の渡辺貴裕も見ていたはず。映画「物置のピアノ」に出演すると決まったときには、祖父母の家の記憶が頭に浮かんだかもしれませんね。
渡辺裕之がフジテレビ昼ドラ終了で「実家がなくなるみたい」と吐露!体重維持の秘訣はゴミ拾いならぬ夢拾い?
渡辺裕之は、1980年に、コカ・コーラのCMで芸能活動を開始。「ファイト~ 一発!」の掛け声で有名なリポビタンDのCMで披露した肉体美も話題となり、一躍人気を博しました。続いて、グランドロマンとも呼ばれた「愛の嵐」「花の嵐」「夏の嵐」の「嵐」3部作ドラマに主演した渡辺裕之は、俳優としての確固たる地位を確立していきます。
渡辺裕之の出世作となった昼ドラ「愛の嵐」は、「学校の昼休みに家に帰って『愛の嵐』シリーズを見て、5時間目に遅刻した生徒がいた」というエピソードが残っているほど、過激な展開が話題になったドラマでした。
しかし、「嵐」3部作も放映された、1964年からの歴史を誇ったフジテレビの昼ドラ枠も、2016年3月で終了に。半世紀にもわたり、主婦の楽しみでもあったフジテレビの昼ドラ枠。終了することについて、「愛の嵐」に俳優生命をかけていたという渡辺裕之は、「古巣なので、実家がなくなるみたい」と、淋しい思いを語り、思い入れの深さをうかがわせました。
渡辺裕之は、30年前当時には珍しく、役作りのために体を鍛えて演技に入るタイプだったといいます。とはいえ、30年前といえば、体をマッチョに鍛えること自体が、下に見られる風潮だったとか。それでも、薪割りのシーンの前には、胸筋を張らせるために筋トレをして備えたといった具合に、決して手を抜くことなく役作りに励んだ結果が、「嵐」3部作のヒットにつながったのでしょう。
今でも体づくりに手を抜くことのない渡辺裕之は、プライベートにおいても、毎日ジョギングを欠かさず、5kmは走っているそうです。しかも「夢拾い」と称し、ゴミ拾いをしながらのジョギングです。その結果、デビュー当時から30年間、まったく変わらない体重を維持しているという渡辺裕之。柔軟に発想するだけでなく、それを実現する行動力を備えていることも、還暦を迎えてもなお、渡辺裕之が輝き続けている理由なのでしょう。