内場勝則と未知やすえ、吉本新喜劇カップルのエピソード!夫婦仲や子供は?

2019年4月23日 更新

内場勝則と未知やすえ、吉本新喜劇カップルのエピソード!夫婦仲や子供は?

内場勝則と未知やすえは吉本新喜劇カップル!結婚馴れ初めや夫婦仲が気になる!

内場勝則と未知やすえは、夫婦で、吉本新喜劇の中心人物として活躍中です。2人の恋の始まりは、内場勝則が吉本新喜劇座長に就任する7年前の1992年。吉本新喜劇では、内場勝則の1年先輩にあたる未知やすえは、当時の座員の間では、ちょっとしたマドンナ的な存在でした。

「ストローで脳みそチューチュー吸うたろけえ!」というチンピラ顔負けのキレ芸と、後の体重増加から「白ブタ」などと呼ばれる芸風からは想像しにくいかもしれませんが、内輪では、キレイどころという位置づけだったとか。その未知やすえが、自分が入院した際に見舞いに来てくれて、「大丈夫?」と声をかけてくれたことから、内場勝則は、感動のあまり泣いてしまいました。

これをきっかけに2人は結婚することに。内場勝則にとっては願ってもない展開だったはずでしたが、釣った魚に餌をやらないとは、まさにこのこと。酒に酔えば、未知やすえを「ヤンヤン」と呼んで甘えるなど可愛い一面はあるものの、普段は読書にふけるばかりで、夫婦の会話を楽しもうとすることは全くないそうです。

内場勝則と未知やすえに107日間の別居冷戦!阪神淡路大震災と子供の誕生で離婚危機を回避

内場勝則と未知やすえは、実は、結婚直後に離婚危機に直面していました。いざ結婚してみると、内場勝則は、言葉数も少なく、大酒を飲むばかりで、何を考えているのか分からない男でした。理想とのギャップに苦しんだ未知やすえは、精神的に追い詰められて家を飛び出し、実家に帰ってしまいます。

当然、劇場では顔を合わせる機会が幾度となくあった2人ですが、内場勝則は、まるで未知やすえの家出がなかったことのように平然としていたそうです。ついに離婚を決意した未知やすえは、別居期間も107日目となった夜に、私物を運び出すべく家に戻り、内場勝則が帰宅していなかったため、ベッドで仮眠をとることにしました。

すると、帰宅した内場勝則が布団に入って来て、何事もなかったかのように未知やすえの横で眠り始めたといいます。夫の不可解な行動に驚いたのも束の間、そこに阪神淡路大震災の激震が。未知やすえは、「大丈夫か!?」と身を呈して守ってくれた内場勝則に惚れ直し、離婚を思いとどまったそうです。

寡黙なだけで、実はホットな男だった内場勝則。現在、高校生くらいになっていると思われる1人娘の早香が生まれてからは、亭主関白気味だった言動にも変化が見られ、家事も分担するなど、家庭不和の危機を完全に脱することとなりました。

内場勝則はダウンタウンと同期だった!吉本新喜劇のテッパンギャグは?

内場勝則とダウンタウンはNSC1期生で超仲良し!東西のお笑い界をけん引する黄金世代

内場勝則は、1982年に、吉本興業のお笑い芸人養成所NSCに、1期生として入学しています。NSC1期生というと、トミーズや、ハイヒールらがいますが、今日の日本のお笑い界をけん引し続けるダウンタウンの2人も、内場勝則とは同期芸人にあたります。ダウンタウンは、先に漫才コンビ「やすえ・やすよ」としてデビューしていた未知やすえとは、1963年生まれの同級生でもあります。そのため、内場勝則夫妻とダウンタウンは、今でも食事をするなど、親密な交流を続けているそうです。

独自の漫才で時代の寵児となったダウンタウンだけではなく、東京では認識の薄い内場勝則もまた、関西お笑い界では超重鎮。吉本新喜劇にいた東野幸治や今田耕司らが、ダウンタウンと共に東京進出した後、落ち目かと思われた吉本新喜劇を再生させ、新時代に導いた功労者のうちの1人です。NSC1期生たる彼らが、お笑い文化を転換させ、現在の形を作り上げたと言っても過言ではありません。

内場勝則の吉本新喜劇のテッパンギャグ!シンプルだからこそ分かる職人芸

内場勝則は、ものすごく驚いた時に、「イィィィ~~~!」と大声を絞り出しながら、一歩前へ踏み出すギャグが、吉本新喜劇ではテッパンです。これだけでは、何が面白いのかサッパリ分からないかもしれませんが、「イィィィ~~~!」に入るまでの丁寧な仕込みがあればこそ、確実に笑いを取ることのできる、いわば職人芸とも言うべきスゴ技です。

内場勝則は、同じく座長を務める小藪一豊や辻本茂雄、すっちーのような奇抜なキャラクターではありませんが、とにかく芝居が細やか。吉本新喜劇では、顔や身体の特徴をネタにするキャラクターが大勢いますが、「そんなんできるんですか!」の一言だけで、存在が際立つのですから、内場勝則の力量は明らかでしょう。

普段の内場勝則は、ツッコミ役が主ですが、自身の座長公演以外では、ボケを演じることもあります。1999年に座長に就任するまでは、セカンドバックの持ち方が特徴的な金持ちのお坊ちゃん「アホボン」という持ちキャラもありました。このように、ボケもツッコミも器用にこなしてしまう内場勝則は、かの今田耕司からも、「スーパー座長」と命名されて讃えられています。

内場勝則の吉本新喜劇最年長座長としての存在感!ベテラン勢の相次ぐ他界で託された役割とは

内場勝則が吉本新喜劇で活躍し始めたのは、新喜劇人気が下火になっていた1985年のことでした。1989年に打ち出された再生策「新喜劇やめよっカナ!?キャンペーン」では、新旧世代交代が促され、内場勝則も、リストラ対象に挙げられていたといいます。キャンペーンによって、吉本新喜劇は再興を果たしましたが、残留の意思を示した芸人にとっては、入団したての新人らと同じ扱いをされ、脇に回されるという、非常に苛酷な状況だったようです。

その上、その頃の吉本新喜劇の客寄せ的存在だった、東野幸治と今田耕司が東京進出してしまいました。そうした中、辻本茂雄らと共に、ニューリーダーとして、山田花子や藤井隆という若手を育てつつ、コテコテの笑いを持ち味とする吉本新喜劇の魅力を、新しい形で時代に根付かせてきた内場勝則。

ギャグの手法は極めて古典的ですが、彼のような芸人がいたからこそ、吉本新喜劇が、伝統を守りながら生きながらえることができたと言ってもいいのかもしれません。2016年は、10月に”竜じい”こと井上竜夫、12月に「パチパチパンチ」のギャグで知られた島木譲二といった、吉本新喜劇のベテランテッパン芸人たちが他界しました。

現在の5人の座長の中では、最年長者でもある内場勝則には、深い悲しみと共に、彼らの遺志を引き継ぐ役目が重くのしかかります。とりたてて外見に特徴もなく、身長161cmと小柄ではありますが、内場勝則の職人芸が、これからの吉本新喜劇を育てていく大きな力の源となることは間違いありません

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