渡辺一平は超大食いの細マッチョ!平泳ぎで挑んだリオオリンピックは?
渡辺一平はポスト北島と期待される競泳選手!超大食いで身長2m超えが目標!?
渡辺一平は、日本競泳男子200m平泳ぎの次世代スターとして注目される選手。同種目のレジェンドたる北島康介の引退後は、小関也朱篤(こせきやすひろ)と共に、”ポスト北島”として期待を集めています。これまでの平泳ぎ競技は、技術研究に余念がなく、水の抵抗の少ない小柄な日本人のお家芸とされてきた経緯もあり、身長178cmの北島康介は、その最たる例でした。
しかし、身長188cmの小関也朱篤が登場したことで、歴史が変わりつつあるようです。渡辺一平に至っては、競泳界の怪物マイケル・フェルプスと同じ、身長193cmもあります。両親は大柄なほうではないにもかかわらず、中学2年からの1年間で、170cmから181cmという成長期のピークを迎えるも、その後も順調に背が伸び続けたという渡辺一平。
実は、かなりの大食漢であることが知られており、ある時は、回転寿司44皿、200mlパックの牛乳を22本を平らげたこともあるそうです。それにもかかわらず、体重は76kgと軽量級。本人は、身長2m超えを目指しているといいます。
渡辺一平は平泳ぎ200m、リオオリンピックでは惜敗喫するも成長が目覚ましい!
渡辺一平は、リオオリンピック代表選考会を兼ねた、2016年4月8日の日本選手権・男子200m平泳ぎ決勝で、派遣標準記録を2位で突破し、オリンピック初出場の切符を手にしました。この時の渡辺一平の記録は、1着で代表権を得た小関也朱篤の2分8秒14を1秒半ほど下回るもの。
しかし、2人のトップ争いは、同じ決勝を5位で終え、オリンピック出場権を逃した北島康介に引退を決意させるほどにハイレベルでした。早稲田大学入学直後に開催された同大会では全く振るわず、5位に沈んだ渡辺一平が、1年で、ここまでの成長を遂げたことには勢いを感じざるを得ません。それから1カ月後に開催されたジャパンオープンで、小関也朱篤を破って優勝し、準備万端で迎えたリオオリンピック。8月9日に行われた準決勝では、全体の1位となる2分7秒22のオリンピック新記録をマークし、渡辺一平はいよいよ世界の頂点へと挑みます。
しかし、日本選手のワンツーフィニッシュも期待された決勝では、小関也朱篤が5位、渡辺一平は6位と、メダルには遠く及びませんでした。国際大会の経験が少ない19歳の渡辺一平にとって、”ポスト北島”と呼ばれて挑んだオリンピックの大舞台の重圧は、計り知れないものがあったようです。
渡辺一平は大分県出身!中高時代の活躍にポスト北島の片鱗あり!
渡辺一平は大分県津久見市出身の田舎っ子!北島康介への憧れで水泳の道へ
渡辺一平は、1997年3月18日生まれで、大分県津久見市出身です。津久見市は、豊後水道を望む良港を有し、セメント工業や漁業が盛んではありますが、人口2万人にも満たない小都市。渡辺一平の素朴さが残る日焼け顔は、田舎町で元気に過ごした少年時代を想像させます。
そんな渡辺一平が水泳を始めるきっかけになったのは、北島康介が、アテネに続き、2大会連続となる平泳ぎ2冠を達成した北京オリンピックでした。この時、津久見市立津久見小学校2年生だった渡辺一平は、「水泳ってかっこいい!」と衝撃を受け、水泳を習い始めたそうです。以来、北島康介の泳ぎを理想に掲げ、津久見市立第一中学校に進学すると、めきめきと頭角を現し始めました。
渡辺一平は中高時代に才能を開花!天才たちの影でポスト北島たる片鱗を覗かせていた!
渡辺一平は、14歳でオリンピック金メダリストとなった岩崎恭子をはじめ、早熟な選手に比べて、天才たる話題性に欠ける気がします。しかし、中学時代には、片田舎の無名選手だったにもかかわらず、大学生を除く18歳以下を対象とした全国水泳競技大会、JOCジュニアオリンピックカップに出場した記録も残っているそうです。
そして2012年、スポーツが盛んな大分県立佐伯鶴城高校に進学すると、渡辺一平の才能が一気に開花。2年次には、初めて日本代表に選出された南京ユースオリンピックの平泳ぎ200mで金メダルを、翌年には、ジュニアオリンピックで平泳ぎ100m・200mの2冠を達成してしまいます。
その頃の日本競泳界は、渡辺一平より年上の山口観弘(やまぐちあきひろ)や小関也朱篤らが、絶対王者・北島康介と凌ぎを削る存在として注目を浴びていました。その影で、ポスト北島”の片鱗を現し始めていた渡辺一平の存在は、まだ多くの人には知られていませんでした。
渡辺一平が腹痛を押して世界記録達成!ポスト北島から新たなレジェンドとなり得る可能性
渡辺一平が惜敗を喫したリオオリンピックから、わずか半年。2017年1月29日に行われた「KOUSUKE KITAJIMA CUP2017」の男子平泳ぎ200mで、渡辺一平は、2分6秒67の世界記録を樹立しました。今回の記録は、2012年から山口観弘が保持していた記録を大きく上回るものであるばかりか、前人未到の6秒台。まだリオオリンピック後の調整段階であり、かつ気温が低い時期の記録更新は、競泳界全体を見ても珍しい話です。
さらに驚くことに、この数日前に成人式で帰郷した頃から、渡辺一平は体調不良を訴えており、レース当日も下痢による腹痛に悩まされていたといいます。本人も首をかしげているそうですが、まぐれで世界記録が出るとは思えません。リオオリンピック前からの成長スピードを考えると、「5秒台も出るのでは?」という専門家の意見も、あながち希望的観測とは言えない気がします。
これまでの”日本のお家芸”たる平泳ぎ競技は、日本人競泳選手の限られたポテンシャルを最大限に引き出す技術が進歩の拠り所でした。渡辺一平のような大柄な選手が向いているとされたのは、水の抵抗が枷となる平泳ぎよりも、自由形などのパワー型種目です。しかし、渡辺一平の天然フィンとも言うべき30cmの大足と、平均より4cm近くも長い指が掻く水量は、日本の平泳ぎの常識を変えつつあります。
それに加え、身長193cmから繰り出されるパワーと、大食いで蓄えたエネルギー。そこに日本が培ってきた緻密な技術が乗ったことで、日本のお家芸は、新たな境地に踏み込んだと言えそうです。世界記録樹立で、名実ともに”ポスト北島”に相応しい選手となった渡辺一平。2020年の東京オリンピックを迎えるころには、新たな伝説となっている可能性を十分に秘めています。