中田喜子は結婚は失敗でもプロ級DIYでエンジョイライフ!?

中田喜子が結婚していた元夫や子供!若い頃が可愛すぎると話題に!

中田喜子の離婚した元夫は?子供は?

中田喜子は、1953年11月22日生まれの女優です。19歳の時に「お祭り銀次捕物帳」でデビューし、現在まで数多くの作品に出演してきました。現在63歳になる中田喜子ですが、その姿は変わらぬ美しさを保っています。

中田喜子は、25歳の時に、12歳年上で、広告制作会社「日本サン・フィルム」の社長である山崎英一と結婚しました。2人の間に子供はおらず、夫婦水入らずの穏やかな生活を送っていたかのように見えた中田喜子。しかし28年の結婚生活は、夫・山崎英一の「浮気」が原因で、熟年離婚という終わりを迎えてしまいました。たった1度の夫の裏切りをどうしても許せなかったという中田喜子は、それだけ、夫を純粋に想っていたのでしょう。

女優として第一線で活躍する中田喜子は、元夫と離婚する際、慰謝料はもらわず、共同名義だった一軒家を、夫から買い取る形をとりました。しかし、その家には住まず、現在はマンション暮らしをしているそうです。

中田喜子の可愛すぎる若い頃!美しさを保つ秘訣とは?

中田喜子がデビューしたのは19歳のときでした。現在の美しさからも十分想像がつきますが、目鼻立ちの整った可憐な容姿は、デビュー当時、雑誌の表紙はもちろん、グラビアにも引っ張りだこ。その可愛さから、CMにも多数出演していました。最近では、元力士の舞の海と一緒に出演している、“グルグルグルグルグルコサミン”と耳に残るフレーズでお馴染みの「世田谷自然食品グルコサミン」のCMも印象的です。

今も昔も変わらない中田喜子の美貌の秘訣は、どこにあるのでしょうか。もともとの素材が抜群に良いのはもちろんのこと、女優として日々のケアも怠っていない中田喜子。お風呂に浸かりながら「あ行」から「わ行」まで口を大きく開けて発声する顔の筋肉トレーニングを毎日欠かさないそうです。やはり、「美魔女への道は1日にしてならず」ということでしょう。

中田喜子のDIYの実力が凄かった!学歴やプロフィールは?

中田喜子の趣味はDIY!?家具まで作る実力が凄い!

中田喜子は、自身のブログ「中田喜子Diary」で、DIY好きを公表しています。DIYとは、英語のDo It Yourselfの略で、「自分でできることは自分でやろう」という理念に基づくもの。日本では、日曜大工と同じようなイメージで捉えられることが多いかもしれません。とはいえ、中田喜子の場合は、20代の頃から家具作りなどを始めていたという本格派。趣味が高じて、「女優・中田喜子のDIY 手作り模様替え工房」という本まで出版しています。

「いつか古い家を一軒まるごとDIYしたい」と言っていたところ、実際にリフォームを依頼された中田喜子が、和室をおしゃれな洋室に変えたことも。女優でありながら、ペンキ塗りから、壁紙の張り替え、椅子の布の張り替えなど何でもDIYできる実力を誇ります。

中田喜子の気になる学歴やプロフィールは?実家は〇〇発祥の名店だった

中田喜子は世田谷区出身で、実家は、築地にある増田屋というお店です。さつま揚げなどの練り物を品ぞろえの中心とする増田屋は、ごぼう巻発祥の店とも言われている老舗。5人姉妹の末っ子として生まれた中田喜子ですが、四女は元宝ジェンヌの京かおると言いますから、美貌の家系なのかもしれません。

麹町学園女子高等学校を卒業した中田喜子は、19歳で芸能界デビュー。1980年頃からは、NHKの人気バラエティ番組「連想ゲーム」にレギュラー出演し、紅組キャプテンとして番組を盛り上げました。1993年に、舞台「御いのち」で菊田一夫演劇賞を受賞して以後、正統派女優としての地位を確立しています。

そんな中田喜子の代表作といえば、TBSで放送されている「渡る世間は鬼ばかり」で演じ続けてきた岡倉家の三女の文子でしょう。また、1995年に放映されたNHK朝の連続テレビ小説「春よ、来い」で、安田成美の突然の降板を受けて、急きょ主役を務めたことでも話題をなりました。

中田喜子は「成金」だった?「渡る世間は鬼ばかり」文子役でファンが離れた??

中田喜子は、週刊アサヒ芸能の連載企画「天才テリー伊藤対談」の中で、実家での暮らしぶりや、20年以上続いた人気ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」についての秘話を明かしています。実家が築地にある中田喜子。同じ築地に玉子焼き店を営んでいる家に育ったテリー伊藤が、自身の庶民的な生活を踏まえて、5人の娘を育てた中田喜子の両親を、「大変だったのでは?」と問いました。

それに答えた中田喜子は、「成金なんです」と意外な回答。実は、祖父が発明したさつま揚げ機が売れに売れて、裕福な生活をしていたそうです。中田喜子は、3階建ての家にお手伝いさんもいたという暮らしぶりで、歌舞伎や宝塚をよく観に行ったという少女時代を送りました。その影響もあり、高校を卒業すると、すぐに日活撮影所でテレビ部の俳優養成所に所属するようになったと言います。

「渡る世間は鬼ばかり」の文子役については、家事や育児を放棄し、アル中になるなどと個性の強い役柄を「正直イヤじゃなかったの?」と質問されていますが、「全然イヤじゃないです。大きな節目となった役ですから」と答えています。とはいっても、文子の役柄が中田喜子自身のイメージとなってしまったことで、ファンが離れていったこともあったとか。

これを聞いたテリー伊藤は、「それは役者冥利に尽きる話だよ」と、中田喜子を称賛。長寿ホームドラマの人気は、俳優たちの相当な覚悟によって支えられていることがうかがえる興味深いエピソードです。ファンからの反発を集めたのも、中田喜子のたしかな演技力ならではのことでしょう。年齢を重ね、円熟味を増していくこれからの活躍がますます楽しみですね。

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