市川九團次が坂東竹三郎から養子縁組を解消されたワケ!江戸歌舞伎、上方歌舞伎の両刀遣い役者

市川九團次が坂東竹三郎から養子縁組を解消されたワケ!市川海老蔵が掟破りの弟子入り許可

市川九團次が坂東竹三郎から養子縁組を解消されたワケ!門閥外から実力派歌舞伎役者へ

市川九團次(いちかわくだんじ)の本名は鈴木道行です。千葉県の一般家庭に生まれ育ち、高校時代にミュージカルデビュー。映画やテレビにも出演していたという経歴の持ち主。時代劇に興味を持つようになった市川九團次は、大衆演劇でも活躍していましたが、1998年に、五代目坂東竹三郎の芸養子に。こうして、門閥外から歌舞伎の世界に入ります。

市川九團次が、坂東竹志郎の名で初舞台を踏んだのは、同年9月に大阪松竹座で公演されたスーパー歌舞伎「ヤマトタケル」です。その後も稽古を重ね、2005年には、四代目坂東薪車を襲名し、実力のある歌舞伎俳優として、大阪の舞台を中心に活躍していました。しかし2014年2月、坂東竹三郎との養子縁組が解消され、上京した市川九團次。その後、十一代目市川海老蔵の門弟となり、市川道行として再出発しました。

市川九團次を市川海老蔵が掟破りの弟子入り許可

市川九團次が坂東竹三郎との養子縁組を解消されたのは、秋元道行という芸名で現代劇「サロメ」に出演したことが原因でした。師匠である坂東竹三郎の許可を得ることなく無断で出演したことが逆鱗に触れ、話し合いの末、破門されます。こうして行く先を失った市川九團次を受け入れたのが、歌舞伎役者・坂東薪車の実力と実績を知っていた市川海老蔵でした。

他で破門になった者を弟子入りさせるということは、歌舞伎界においては前代未聞の掟破りともいうべきことです。そのため、当時は大きな話題になりました。

市川九團次はライザップで結果にコミット!「プレバト」で凡人判定?!

市川九團次はライザップで結果にコミット……できそうな気がする!?

自身のブログで、「メタボまっしぐらの体型はもうどうにもならん!」と嘆いていた市川九團次。本当にどうしようもなくなったのか、2017年9月からは、とうとう芸能人のダイエット企画でも有名なライザップに通い始めたようです。これが人生ひとつの転機になれば……というほどの意気込みを見せていましたが、その後はどのような経過をたどったのでしょうか?

歌舞伎の舞台を観に行った方や、ブログをこめまにチェックしている方は、すでに市川九團次のボディの変化に気付いているはず!市川九團次の体つきは驚くほどに引き締まってきています。顔つきもシュッとして、男前にさらに磨きがかかってきました。ライザップには今も通っている様子の市川九團次は、確実に「結果にコミット!」しているようです。

市川九團次の秘めたる才能やいかに?!「プレバト」で凡人判定!

市川九團次は、2016年7月7日に放送された毎日放送のバラエティ番組「プレバト!!」の俳句と生け花のコーナーに出演したことがあります。この時、市川九團次が七夕にちなんで作った俳句は、「七夕(しちせき)に あなたの想い もーいいかい」というものでした。

毒舌で知られる夏井いつき先生の評価はと言うと、「意味が分からないし腹が立つ句」。さらには「直してもつまらない句」とまで言われる始末で、順位は第5位の凡人という判定でした。同時に挑戦した生け花のほうも第4位で、凡人という結果に……。歌舞伎界では非凡とも言うべき才能を発揮している市川九團次ですが、「プレバト」で披露した俳句と生け花の才能はごく普通だったようです。

市川九團次が自主公演でさらなる飛躍!江戸と上方どちらも演じられる歌舞伎役者になりたい!

今では歌舞伎界になくてはならない存在とまで言われている市川九團次。彼には、「役者としてまだまだいろいろなことに挑戦し続けたい」という強い思いがあります。2016年から始めた自主公演「九團次の会」も、そんな思いを形にしたものです。

自主公演とは、本番に自身が演じるだけではなく、チラシ作りや広報、演目を選ぶことまで全てを自分ひとりでやらなければなりません。いつも通りに他の舞台出演をこなしながら自主公演の準備を進めることはかなり大変です。そうした苦労も乗り越え、市川九團次の自主公演「九團次の会」は、2年目を迎えた2017年は、9月に京都で開催されました。

舞踊「翁千歳三番叟」「那須与一扇之的」に加え、講談「源平盛衰記-那須与一名誉扇之的-」などを披露した市川九團次。さらに楽しいトークの時間も設けるなどして、大勢の観客を楽しませています。

市川九團次は関東の出身ですが、歌舞伎役者として名を上げたのは関西ででした。なじみのない上方歌舞伎を演じるために、関西弁をマスターしたり、松竹新喜劇の藤山寛美の舞台を観て勉強したり、人知れず努力をしてきたと言います。そして、2014年に市川海老蔵の門弟となってからは江戸歌舞伎を演じることに。

当然、上方歌舞伎にはなかった演目や、市川宗家のお家芸「歌舞伎十八番」など、新たに覚えなければならないことがたくさんあり、今日までの道のりにはさまざまな苦労があったはずです。江戸と上方の違いを痛感した市川九團次は、まず江戸歌舞伎に慣れることが当初の課題だったと明かしています。

江戸歌舞伎の芝居は、上方に比べると、演目だけではなく演じ方も違い、すっきりしゃっきりという感じとか。それでも、せっかく覚えた関西弁のイントネーションを忘れないようにと関西弁を交えてしゃべるのは、江戸と上方、どちらも演じられる役者になりたいという気持ちが強いからです。

たしかに、両方できれば最強と言えるでしょう。歌舞伎を、日本舞踊や義太夫など全てが一つになったものと解釈している市川九團次のこと、自主公演「九團次の会」では、観客の期待をいい意味で裏切るような形を見せてくれるに違いありません。伝統芸能である歌舞伎を、新しい形で継承していく挑戦者ともいうべき市川九團次にエールを送ります。

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