寺尾玄のバルミューダ設立前の意外な経歴!著書を通して伝えたいこととは?

寺尾玄のバルミューダ設立前の意外な経歴!著書を通して伝えたいこととは?

寺尾玄のバルミューダ設立前の意外な経歴!

寺尾玄(てらおげん)は、家電業界の風雲児と呼ばれている、プロダクトメーカー・バルミューダ株式会社の社長です。バルミューダとは、焼きたてのパンの香りと食感を再現するトースターや、自然な風を起こす扇風機など、独創的な発想で生み出された商品が飛ぶように売れている注目企業。とはいえ、寺尾玄は、家電業界で長らく活躍していたわけではありません。

バルミューダを立ち上げる前は、なんとロックミュージシャンでした。高校2年生になる時に、文系か理系かという選択を迫られた寺尾玄は、そこで自分の将来が決まってしまうことを嫌って高校中退。ヨーロッパに渡って、放浪の旅を1年間していました。

帰国後は、独学でギターを学び、プロのシンガーソングライターとして活動するかたわら、「Beach Fighters」というロックバンドを結成。残念ながら、メジャーデビューには至らずにグループは解散してしまい、その後、ものづくりの道を目指します。

寺尾玄が著書を通して伝えたいこととは?

音楽の道が閉ざされた寺尾玄は、自分にとっての次なる「ロックなもの」を探し求めた結果、ものづくりに挑戦しようと思い立ちました。とはいえ、経験ゼロの彼が最初に思い描くのは、手順や工程などは考慮しないアウトプットのイメージ。作りたいものを実現するための技術は、独学と、飛び込んだ工場で実践を重ねることで身に付けました。

こうして誕生したパソコン用の冷却台「X-base」に手応えを感じた寺尾玄は、2003年に、有限会社バルミューダデザインを設立。順調に業績を上げ、2017年4月には、自叙伝的な内容の「行こう、どこにもなかった方法で」という本を出版します。寺尾玄がこの本を書いたのは、4人の高校生が会社を訪れたことがキッカケでした。

「将来起業したい」と語る高校生に、短時間では全てを語りきれなかったことから、これまで自分が歩んできた道を本にして伝えたいと思うようになりました。「この本を読んだことで起業する人が増えることを願っている」と、寺尾玄が語るのには理由があります。それは、起業者が増えることが日本経済の活性化につながると考えているそうです。

寺尾玄の両親の教育方針とは?結婚している?

寺尾玄の両親の教育方針とは?小学生の時から海外でホームステイを経験させていた

寺尾玄の父は洋ランの栽培農家を営み、母はフラワーコーディネーターをしていました。母は毎年、まだ小学生の寺尾玄と3歳年下の弟を海外に連れていき、1カ月くらいのホームステイを経験させていたそうです。小学生に毎年ホームステイを経験させるとは、なかなかできないことでしょう。

幼いころから、両親に「人と同じことをしていたらだめだ」と言われて育ったという寺尾玄ですが、両親もまた型にはまらない人たちだったようです。しかし、寺尾玄が小学5年生の時に両親が離婚。子供たちは、父が引き取りました。洋ランの栽培農家をやめた父は、いくつかの仕事を経て、現在は陶芸家になっているそう。

母とは、離婚後も年に1度くらいのペースで会っていましたが、寺尾玄が中学2年生の時に、44歳という若さで亡くなっています。仕事でアメリカに行った母は、そのまま半年間大学の聴講生として現地に滞在し、帰国する途中にハワイでシュノーケリングをしていて溺死しました。寺尾玄は、母の突然の死によって、「人生はいつ終わるかわからないから、思ったことはやらないとだめだ」という思いがますます強まったと明かしています。

寺尾玄は結婚している?妻や子供は?

寺尾玄は、雑誌のインタビューなどで、妻や子供の存在について少しだけ語っています。それによると、結婚していて、子供は2人いるようです。ものづくりの道に進むことを決意するきっかけとなった1つは、当時交際していた妻の家にあったオランダのデザイン誌だったとか。

それが、寺尾玄が28歳の頃のことです。2003年3月、30歳の時に、バルミューダ株式会社の前身となった有限会社バルミューダデザインを設立していますので、結婚もその頃でしょうか? 2011年のブログでは、「上の子は小学校に入学、下の子は幼稚園に入園」と書いていた寺尾玄。Twitterでは「子供らの歓声が……」などと呟くこともあるので、子煩悩なのかもしれません。

寺尾玄がNIKEの創設者フィル・ナイトに共感!やりたいことをやって世の中の役に立つ!

今でこそ家電業界の風雲児と呼ばれ注目されている寺尾玄ですが、会社を立ち上げてからずっと順風満帆だったわけではありません。ここまで来る間には、倒産の危機もありました。2003年に有限会社バルミューダデザインを設立した当初は、ノートパソコンの冷却台など、デスク周りのアイテムを多く取り扱っていました。

経営が傾き始めたのは、リーマンショックが起こった後でした。それでも「会社はまだ生きている」とポジティブに考えた寺尾玄は、なんと高級家電を扱うほうへと大胆に方向転換。これにより経営危機を乗り越えました。そんな寺尾玄が「共感できる」と言っているのが、NIKEの創設者フィル・ナイトです。

「SHOE DOG」という彼の自叙伝を読んだ寺尾玄は、感動のあまり、「もうナイキしか履かねぇ!」とTwitterで呟きました。どうやら、「SHOE DOG」には、共感できる考え方だけではなく、自身の実体験に重なる部分も多々あった様子です。

寺尾玄は、バルミューダの経営はロックバンドと同じだと言います。「やりたい」という思いひとつから始めたものづくりの会社は、自分が歌いたい曲を作るのと同じこと。売れるものを考えるのではなく、「こんなものがあったらいいな」と思って作る製品こそがバルミューダのラインナップです。一般的な製品よりもそれぞれかなりお高めですが、使うことで得られる「最高の経験」に視点を置いているからこそ、多くの人が体験してみたいと思って買うと言います。

寺尾玄にとって一番重要なことは、「ものづくりで何がしたいのか」ということ。その思いが伝わることで世の中が変わっていき、人の豊かさにもつながると力強く語っています。豊かさとは、物質的なものだけではありません。心の豊かさも意味するという考え方もまた、NIKEのフィル・ナイトと共通しているところだそうです。「世の中の役に立つものを作りたい」という信念から生み出される寺尾玄率いるバルミューダの家電。彼の哲学を知れば知るほど、使ってみたくなります。

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