小林克也は超ベテランDJ!英語教材「アメリ缶」とは?

小林克也は超ベテランDJ!2度もガンを克服していた

小林克也は超ベテランDJ!長寿番組「ベストヒットUSA」で喜寿スペシャル

小林克也(こばやしかつや)は、「キングDJ」や「ミスター音楽」とも呼ばれる、日本を代表する超ベテランDJです。1941年生まれの小林克也は、喜寿を迎えた今でも、多くの仕事を精力的にこなしています。中でも、1981年4月にスタートし、何回か中断した時期はあったものの、現在も続いている「ベストヒットUSA」のVJ(司会)は、小林克也の代表的な仕事と言えるでしょう。

「ベストヒットUSA」が始まった1980年代は、テレビに映るのは松田聖子や中森明菜や小泉今日子といったアイドルばかりという歌謡曲全盛の時代でした。そのため、ロックやポップスを求める日本の洋楽ファンにとって、「ベストヒットUSA」は待望の番組だったと言えます。

アメリカのヒットチャートを紹介するほか、1970年代の音楽や、ポール・マッカートニーやビリー・ジョエル、プリンスなどのスーパースターを特集。ビートルズやマドンナ、マイケル・ジャクソンの半生を描くストーリーを、小林克也が読み上げる「大いなる伝説 The Legend」も彼ならではの企画でした。

抜群の発音の英語や、独特の喋り、思わず聴き惚れてしまう深みのあるあの声……「ベストヒットUSA」に、小林克也のトークは欠かせません。2018年3月28日には、小林克也喜寿スペシャルが放送され、声も喋りも健在であることを示しました。

小林克也が2度もガンを克服していた!英語教材の「アメリ缶」とは?

小林克也が2度もガンを克服していた!生放送は体にいい?

小林克也は、2006年に初期のガンが見つかり、早期発見・早期治療となったものの、胃を半分切除しています。2012年には、前立腺ガンになりました。その時、小林克也が最初に考えたのは、治療しながら生放送ができるだろうかという心配だったと言います。ラジオはほとんどが生放送なので、本番中に急に体調不良になっても、途中で中断することができないためです。

実際は、治療に伴い数週間の休みを経て、2つのガンを克服した小林克也は、「ナマ(生放送)は適度な緊張感があってとっても体にいいんですよ」と語っています。収録よりも生放送のほうが得意だと言い、「ナマは何とかなる」と笑う小林克也は、さすがベテランと言えるでしょう。

小林克也の「アメリ缶」とは?出身地福山ふるさと大使の第1号

小林克也の「アメリ缶」はナチュラルな発音を覚えられる英語教材!

小林克也は、すぐに使える英語の日常会話が覚えられると謳う「アメリ缶」という英語教材を販売していたことがあります。正式名は「小林克也のおしゃべりアメリ缶」で、大きな缶を開けると、中に英語のCDとテキストが入っているというものです。CDでは、もちろん、小林克也のナチュラルな発音で英語を聴くことができます。ポイントは、英語初心者にも聴き取れるよう、ゆっくり発音されたバージョンが収録されていることです。

また、テキストには、「Good morning,Sir.May I see」という英文のすぐ後に「おはようございます。搭乗券を拝見いたします」と日本語が書かれているので、意味が分からないせいで挫折することもありません。何よりも魅力的なのは、小林克也の軽快な口調。「アメリ缶」を聞くとテンションが上がると好評でした。

小林克也は中学時代から英語と音楽に夢中!出身地福山ふるさと大使の第1号

ナレーターやタレント、俳優、歌手と多彩な顔を持っているほか、広島県福山市出身の小林克也は、福山ふるさと大使の第1号でもあります。

小学校3年生の時に英語に興味を持った小林克也は、6年生の終わり頃から本格的に英語のレッスンを始めました。幸い、親戚に英語の得意な人がいたことから、ナチュラルな発音を徹底的に教わります。中学生になると、英語のほかに、音楽とラジオにも夢中になった小林克也。今思えば、広島県福山市にいた少年時代に、英語と音楽とラジオという現在の小林克也の基盤が構築されたとも言えるでしょう。

その後、広島大学附属福山高等学校にトップの成績で合格した小林克也は、さらに英語に熱中していきます。名門・慶応義塾大学に進学すると、大学在学中に、運輸省の通訳案内業国家試験に合格。外国人相手の観光ガイドのアルバイトをして、実践で英語力を身につけていきました。

さらに、外国人相手のナイトクラブで司会を務めるなど、英語と音楽とトークという現在の仕事に直結する実力を、海外へ行かないまま培っていきます。そして1970年、「バブリング・ポップス」のラジオDJとして、念願の電波デビューを果たしました。

小林克也&ザ・ナンバーワン・バンドが25年ぶりにアルバム「鯛~最後の晩餐」を発売!

小林克也は、1982年に、小林克也&ザ・ナンバーワン・バンドを結成しました。これまでに、アルバム11枚、シングル7曲を発売し、ライブも行う本格的なバンドで、メンバーは、ボーカルの小林克也のほかに、佐藤輝夫、琢磨仁、斎藤誠、成田昭彦、深町栄がいます。

ラジオディレクターをしていた佐藤輝夫がギタリストでもあったことから、小林克也と「バンドやんない」という話になり、グループ結成に至りました。こうして誕生した、小林克也作詞で佐藤輝夫作曲によるデビュー曲「うわさのハワイ・トゥ・カム」は、広島弁交じりの英語詞というアイデアが功を奏し、「日本語のラップのはしり」と今なお高く評価される名曲に。小林克也と親交が深い桑田佳祐が、「ラップの起源は『うわさのハワイ・トゥ・カム』」と語っているほどです。

そんなザ・ナンバーワン・バンドが、2018年3月に、実に25年ぶりとなるアルバムを発売しました。タイトルは「鯛~最後の晩餐」。小林克也が前立腺ガンになった翌2013年から制作を開始し、2018年1月にようやく完成した作品で、音楽通の間で「古今東西の洋楽のエッセンスを取り込んだ」と高い評価を得ています。

2018年3月27日、小林克也の誕生日には、34年ぶりにザ・ナンバーワン・バンドのワンマンツアーも開催されました。東京を皮切りに、広島、名古屋と駆け抜け、ラストのさいたまスーパーアリーナのステージでも、喜寿を迎えた77歳の小林克也が、エネルギッシュに躍動する姿を披露しています。

インタビューで「鯛~最後の晩餐」のことを聞かれ、喋りが止まらなくなるボルテージの高さこそ小林克也の魅力です。アーティストに定年はありません。小林克也は喜寿を過ぎてもなお走り続けます。

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