篠原信一の嫁、娘は?身長、体重は?シドニー五輪での世紀の大誤審、そこから生まれた名言!

2016年1月10日 更新

篠原信一の嫁、娘は?産廃会社の社長さん?

篠原信一 産廃会社を立ち上げたしっかり者の嫁、かわいすぎる娘に頭があがらない!

篠原信一は元柔道オリンピック選手で、シドニー大会100㎏超級銀メダリスト。近年、巨大タレントとして活躍中です。

篠原信一は、天理大学時代の1つ年上の女性、幸世と結婚しているのですが、この嫁がかなりのしっかり者!現役引退後の篠原信一は、全日本柔道の監督、天理大学准教授として同大学柔道部監督を務めていました。

しかし、ロンドン五輪の男子メダル0個という史上最悪の結果と、連盟とのゴタゴタの末、両方を辞任することになりました。しかし、その間、篠原信一がいつ柔道をやめても食べていけるようにと、産業廃棄物の会社を立ち上げたのが篠原信一の嫁でした。

社長を務めながら4人の子供を育て、1人の社員も雇わずにやっているといいますから、まさに肝っ玉嫁。専務である篠原信一は、嫁に「なにも専務」と呼ばれているようです。

さて、その4人の子供のうち、唯一の娘・海帆(高校3年生)に篠原信一はデレデレ。他の兄弟には厳格な父であっても、娘には嫌われたくないため、なにかあれば嫁に注意してもらうといいます。かつてのメダリストも嫁と娘の前では形無しみたいですね。

篠原信一は巨人症だった?!身長、体重は?

篠原信一の身長190㎝、現役時代は体重が135㎏あったといいます。現在は柔道の世界から全く退いているといいますし、体重は減少傾向にあるかもしれません。テレビの画面を通しても、あきらかに何もかもが巨大すぎ。

篠原信一は関西地方で「進撃の巨人」を模した温泉施設スパワールドのCM「進撃のスパプー」で巨人兵を演じていますが、全く違和感がありません!その特有のルックス、たとえばチェ・ホンマンやジャイアント馬場もそうでしたが、篠原信一も同じく末端巨大症、通称「巨人症」と言われるホルモン異常の病気らしいという噂があります。

内臓や身体が部分的に複数個所巨大化し、さまざまな負担のせいで平均寿命が低いといわれているこの病気。中には身長220㎝を超えてしまうこともあるようです。

それに比べれば、190㎝の篠原信一はそこまで巨大化しているとはいえなさそう。一般的にスポーツ選手としては、高身長は有利に働きます。競技に有利な程度まで伸びてから、薬で成長を止めるという治療を行ったのかもしれませんね。

篠原信一、シドニー五輪での世紀の大誤審!そこから生まれた名言!

篠原信一、シドニー五輪でまさかの銀メダル「世紀の大誤審」とは?

シドニー五輪男子柔道100キロ超級決勝では、誰もが篠原信一の金メダルを信じて疑わなかったはずです。篠原信一の「内股すかし」がきれいに決まり、間近にいた副審が「一本」の判定を下した時には本人もガッツポーズが出ましたし、相手選手も負けを確信して肩を落としていたところでした。

ところが、主審ともう1人の副審が何と「相手選手の有効」と判定するという、まさに天地大逆転。当時の監督、コーチの猛抗議の甲斐なく試合は続行され、集中が切れてしまった篠原信一はリードされたポイントを覆すことができず負けてしまったのです。

一段低い表彰台で生気を失った篠原信一を見て、日本中が居ても立ってもいられない気持ちでした。あの試合は審判の誤審によって気力を削がれさえしなければ、篠原信一の金メダルは間違いなかったはず。あの「世紀の大誤審」さえなければ!と。

篠原信一は「世紀の大誤審」に何を思う?名言が男前すぎる

篠原信一は試合終了後、明らかに虚脱していました。あの世紀の大誤審に、言いたい事が山とあったはず。篠原信一が、どれほどこのオリンピックの舞台でメダルを獲得することにすべてをかけ、苦しい練習に耐えてきたことか。

しかし、試合終了後の篠原信一の口から出た言葉は「弱いから負けた。」でした。この名言には日本中が涙したはず。本人曰く、本当に強い選手なら判定が覆ったとしても、すぐに気持ちをもう一回切り替えられたはずで、いつまでも「おれの一本でしょ?」という思いを抱いていた自分が弱かったというのです。

監督やコーチの抗議もその時は全く目に入らず、審判への怒りなど感じなかったという篠原信一が思ったのは、「負けた、終わった」だけでした。己の内にかくも崇高な精神を持っている篠原信一は、たとえ銀メダルに終わったとしても超一流の柔道家であることは間違いありません。

篠原信一 柔道家の顔とは一転 芸能界で異例のブレイク

篠原信一は現役引退した2003年、当時大流行していた年末の総合格闘技番組への出場を期待する声が多くあがっていました。期待が先走りすぎて「篠原参戦・契約金3億円」という誤報もあったようですが、その頃の本人は現役を退いたとはいえ、まだ柔道の世界に身を置いていましたし、恩もあることでしょう。

柔道界にとっても手放したくはなく、「格闘家・篠原信一誕生」とはなりませんでした。近年は、当時のいかにも柔道家のような重い空気をまとった篠原信一ではなく、すっかり「気もよく、ジョークで笑いをとるタレント」として大活躍しています。

選手時代から「嫌です!」と豪快に取材拒否したこともあったそうで、その竹を割ったような性格と豪快さは今も健在。当時の契約金3億円という誤報について度々テレビでたずねられると「ほんまに3億円もらえるんやったらやってましたよ。ガハハハー」とすっかりネタにして笑いをとっているようです。

芸能界という異なる業界に飛び込んでも、大声を張り上げても憎まれない天分で、高い順応性を以て堂々と歩いていく篠原信一。篠原信一が愛される理由は、その人間性への信頼が厚いからではないでしょうか。

もちろん柔道家として我々が知る前から筋の通った男であったことは間違いないでしょうが、すべてはあの「世紀の大誤審」から始まっているのかもしれませんね。

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