2022年7月6日 更新
井岡一翔 試合結果一覧!ファイトマネーは?世界3階級制覇に叔父・井岡弘樹も感涙
井岡一翔 試合結果一覧!ファイトマネーは?強敵との連戦により練り上げられた3階級制覇!
井岡一翔の試合結果一覧と、ファイトマネーをご紹介したいと思います。井岡一翔の戦績は、18戦17勝1敗10KO。そして、井岡一翔のファイトマネーは、王座に就いた後は、およそ2500万円と言われています。
しかしこの価格も注目度やスポンサーなどタイトルマッチに伴い変動しますので、一番低い場合のファイトマネーでしょう。井岡一翔は、2009年に大学を中退し、プロへ転向。プロデビュー戦で、いきなりタイ王国フライ級王者とノンタイトル戦を行い、3R26秒KO勝利を収めます。
7月には、日本ミニマム級7位の松本博志と試合を行い、2R2分59秒TKO勝利を収め、日本ミニマム級8位にランクイン。12月には大阪府立体育会館第一競技場で、大阪帝拳所属のWBA世界ライトフライ級9位・WBC世界ライトフライ級12位國重隆と闘い、3-0で辛くも判定勝ちを収め、WBA・WBCともに、ライトフライ級14位にランクされました。
2010年は、2戦2勝1TKOで迎えた10月に、日本ライトフライ級王者が返上したタイトルをかけ、日本ライトフライ級1位の瀬川正義と対戦。10Rの死闘の末勝利し、井岡一翔が王座を手に入れました。しかし世界王座挑戦へ専念するため、12月には同王座を返上。
2011年2月11日にWBC世界ミニマム級王者のオーレイドン・シスサマーチャイに挑戦し、5Rに井岡一翔の左ボディーブローが王者を捉え、5R1分7秒で勝利したのです。2014年に井上尚弥に更新されるまで、国内最速記録の7戦目で世界王者になると共に、井岡一翔は、平成生まれ初の世界王者になりました。
同年8月にWBC世界ミニマム級初防衛戦を行い、初防衛の緊張からか立ち上がりは挑戦者に捲くられるものの、中盤から自分に流れを引き寄せ、的確に相手を捉え圧倒。判定勝ちながらも初防衛に成功しました。12月には2度目の防衛戦を行い、井岡一翔得意の左でダウンを奪うとあっと言う間に試合終了。1R1分38秒という日本開催の世界王座防衛戦最速記録を打ち立てます。
2012年6月にはWBA世界ミニマム級王者八重樫東と統一戦を行い、判定勝ちを収め3度目の王座防衛とWBA王座獲得に成功。日本人初のWBC・WBA世界王座統一を果たします。この勝利によって、トレーナーである井岡一翔の父・一法も、ガッツ石松や友利正、井岡一翔の叔父・井岡弘樹など世界チャンピオンを育てた名トレーナーであるエディ・タウンゼントを讃える為に創設された、エディ・タウンゼント賞を受賞しています。
2012年にはライトフライ級へ転向、ローマン・ゴンザレスのスーパー王座認定に伴い空位となった王座を、WBA世界ライトフライ級5位のホセ・ロドリゲスと戦い、6R2分50秒TKO勝利を収め、日本人選手最短のプロ11戦目で2階級制覇を達成しました。実は、この対戦の前にWBAから勝者はスーパー王者であるローマン・ゴンサレスと戦うように通達を受けており、入札も行われようとしていました。
しかし、期間が短いことなどを理由に、井岡一翔陣営の要望で延期になってしまうという、少し後味の悪い結果となってしまいます。この後3度の防衛戦を勝利し、2014年2月にローマン・ゴンサレスと戦うことなく、フライ級に転向するべく王座を返上。そして2014年5月、IBF世界フライ級王者アムナット・ルエンロンと対戦し、世界最速での3階級制覇に挑戦します。
しかし、この王者はクリンチを上手く挟み相手の勢いを分断するのが得意な王者で、その巧みな試合運びに終始苦しめられ、井岡一翔のボクシングをさせてもらえないまま判定負けを喫してしまいました。
しかし、9月には再起戦を行い、見事に勝利。徐々にランキングを上げていき、2015年4月大阪府立体育会館にてWBA世界フライ級王者ファン・カルロス・レベコに挑戦し、2-0の判定勝ちを収めた井岡一翔は、悲願の3階級制覇を果たしました。
井岡一翔 世界3階級制覇に叔父・井岡弘樹も感涙!叔父の呪縛を甥の井岡一翔が解いた!
井岡一翔が2015年4月22日に王者を下し3階級制覇を成し遂げた時、同じくボクサーであり、叔父である井岡弘樹は「ありがとう。22年振りに解けたんだから感謝しかない。ありがとう」と声を掛け感涙。喜びも一入の様子でした。
叔父・井岡弘樹は、日本人3人目の世界王座2階級制覇を達成したものの、1993年にデビッド・グリマンに、1995年にはセーン・ソー・プルンに、1997年にホセ・ボニージャに阻まれ3階級制覇という夢を残したまま1998年にノンタイトル戦での敗北を機に引退したことが呪縛となっていたのです。
甥に夢を託す形で懸命にサポートし、見事に、自らの代わりに夢を果たしてくれた甥・井岡一翔への感謝は人一倍大きいものだったことでしょう。
井岡一翔 身長、体重、弟や父は?彼女、結婚は?
井岡一翔 身長、体重、弟や父は?信条と理念の元に!
そんな井岡一翔の身長は165.5cm、井岡一翔の体重は試合前後で変動しますが、だいたい55kgです。井岡一翔には弟が2人おり、次男が勇さん、三男が弘大さんというお名前。次男の勇さんは、結婚して子供もいるとのことです。
井岡一翔の父、元プロボクサーであり井岡弘樹の兄である井岡一法は、井岡一翔を育て上げた現代の名トレーナーの一人。エディ・タウンゼント賞を受賞するほどのトレーナーです。またプロモーターとしても井岡一翔の戦略的な面をになっている井岡ジムの会長でもあります。
その井岡ボクシングジムでは、青少年の心身育成をテーマとして指導しており、基本的な日々の挨拶、切磋琢磨することで生まれる一体感を育むジム運営に努めているのだそうです。
井岡一翔が、アマチュア時代に負けて泣いたことに対して、泣くなら勝って泣け!と叱咤激励したエピソードもあり、井岡一翔の逞しさは、この父であり、名トレーナーでもある井岡一法の信条によって生まれたのだと思いました。
井岡一翔 彼女、結婚は?新しい彼女は確定情報ではない!?
気になる井岡一翔の彼女は、歌手でタレントの谷村奈南と言われています。谷村奈南のツイッターに井岡一翔がたびたび登場していることがその理由。井岡一翔は、2013年に在日韓国人4世の富豪モデルタレントのソンミとの交際が報じられましたが、井岡一翔曰くその年かその次の年には別れてしまったそうです。
しかし、元彼女のソンミとは今も仲良くしていると語っています。今ノリにノッている井岡一翔であれば、公私の「私」の部分を支えてくれる家庭を持つのも良いことかもしれません。井岡一翔の結婚がいきなり報道されることがあるかもしれませんね。
井岡一翔の今後は!? 遥か高みの4階級制覇に挑む!?
2015年9月27日、ディオンアリーナ大阪で、WBAフライ級10位のロベルト・ドミンゴ・ソーサと初防衛戦を行う井岡一翔。その公開練習を9月1日に行った際に、前日朝に左太ももに痛みを感じたため、スパーリングはなくなり、シャドーボクシングなどをする姿を見せました。
井岡一翔の才能を見ていると、遥か高みにある4階級制覇も望みたくなります。日本人ボクサーでは、今まで3階級制覇が最高。4階級制覇したことのある王者は、常識という壁を「石の拳」で壊して制覇した伝説の王者、ロベルト・デュラン。また、素早いフットワークとディフェンスでいなし、的確に相手をリングに沈めたパーネル“スイートピー”ウィテカーなどが挙げられます。
さらに、史上初無敗のまま5階級制覇を成し遂げた現代最強のボクサーであるフロイド・メイウェザー・ジュニアや、甘いマスクの裏でインもアウトも完ぺきにこなし、多彩なコンビネーションで魅せるコンプリートファイター“ゴールデン・ボーイ”、6階級を制覇したオスカー・デ・ラ・ホーヤ……と上には上がまだまだいます。
井岡一翔は、このオスカー・デ・ラ・ホーヤを理想としており、幼少期からそのスタイルを見続け、攻防一体型の「超攻撃型」を目指しているそうです。そうなると、やはり目指すは……と言いたくなってしまいますよね。たしかに、ファイトスタイルも、多彩なコンビネーションパターンや、打ち終わりのポジショニングなどを研究したディフェンス、駆け引きに対する冷静さはオスカー・デ・ラ・ホーヤに似てはいるものの、井岡一翔らしいボクシングもできつつあります。
オスカー・デ・ラ・ホーヤだって無敗の王者ではありません。6敗しています。王座陥落も経験しています。いつかオスカー・デ・ラ・ホーヤスタイルではなく、井岡一翔スタイルが完成した時、井岡一翔がどの高みにいるのかが、今から楽しみです。
井岡一翔は26歳。オスカー・デ・ラ・ホーヤは31歳で6階級制覇を達成しています。円熟味を増して達人になるか、年齢とともに衰えを見せるのか。まだ5年もありますので、これからの井岡一翔の成長を楽しみに見続けたいですね!