2022年6月10日 更新
伊達みきおは伊達政宗の子孫だった?!家系がスゴかった!
伊達みきおは伊達政宗の子孫?!家系をたどってみると……
伊達みきおといえば、お笑いコンビ・サンドイッチマンのツッコミ担当、金髪メガネ。その伊達みきお、なんと、あの独眼竜こと戦国武将・伊達政宗の子孫というではありませんか。
伊達政宗が伊達家17代目当主を務めた時代からさかのぼること200年。室町時代の伊達家9代目当主の弟・大條宗行が分家して誕生した「大條家」が伊達みきおの正確なルーツです。伊達みきおが”伊達政宗の子孫”といっても、直系というわけではありませんが、貴重な血統であることには違いありません。
ただ、9代目当主の名前も”伊達政宗”だったということで、伊達みきおは、こちらの伊達政宗の血をより濃く受け継いでいると言えますね。伊達家から分家し、仙台藩時代は亘理郡坂元城主として4000万石を所領していたという「大條家」。伊達みきおから4代遡った仙台藩の奉行・大條道徳の時に、数々の功労が認められて「伊達」を再び名乗るようになったそうです。
伊達みきおは伊達家初のお笑い芸人!家系図が歴史資料館に展示されている!
伊達みきおのルーツである4mにも及ぶ「大條家」の家系図は、宮城県の山元町民俗歴史資料館に保存されているといいますから、スケールの大きさを感じさせられます。大條家最後の当主・大條道徳が、”伊達宗亮”を名乗るようになってから、伊達みきおの曽祖父、祖父、父、と続きますが、この新・伊達家もなかなかスゴイのです。伊達みきおの曽祖父・亮治は、東京帝国大学法学部(現・東京大学)出身の裁判官。大條道徳が奉行でしたから、その流れかもしれません。
また、祖父・忠亮も、東京帝大法律学部出身。満洲重工業開発勤務を経て、終戦後にあのシベリア抑留を経験し、帰還後は地元銀行に勤務します。伊達みきおの父・政亮は、地元大学を出て、祖父と同じ銀行に勤務。末代の伊達みきおはお笑い芸人……介護用品会社の営業職を辞めて、お笑いの道を志す息子・伊達みきおに、当時の父は「伊達を名乗るな!」とお怒りだったようです。確かに、大條・伊達家や、関連する家系で”お笑い芸人”は初だったに違いありません。
伊達みきおの妻・熊谷麻衣子、子供の現在は?サンドイッチマン結成秘話とは
伊達みきおの妻・熊谷麻衣子、子供の現在!子煩悩エピソードがいい!
伊達みきおは、2009年に、岩手めんこいテレビ出身のフリーアナウンサーである妻・熊谷麻衣子と結婚しました。サンドイッチマンが2007年のM-1グランプリで優勝した時に、「とくダネ!」のリポーターとして、伊達みきおのインタビューを取ったのが妻・熊谷麻衣子。以後、連絡先を交換した伊達みきおと熊谷麻衣子は、2年間の交際を経て結婚。
妻・熊谷麻衣子は現在も「とくダネ!」の不定期リポーターとして活躍中。伊達みきおに甲斐性があるから、大きな仕事をしなくていいのでしょう。2012年1月には待望の第1子(女の子)が誕生しました。子供の名前は非公開ですが、伊達みきおのオフィシャルブログでは、「2時間しか寝てないのに子供に起こされても腹が立たない」「目標は”パパと結婚する”と言わせること」など、可愛らしい画像付きの子煩悩エピソードが見られます。
そんな子供も、現在3歳。「4歳になったら好きな子ができる」と心配していた伊達みきおですが、娘に「パパと結婚する」と言ってもらえることはできたのでしょうか?
伊達みきおと富澤たけしの笑いはラグビー部で鍛えられた?!サンドイッチマン結成秘話
サンドイッチマンの伊達みきおと富澤たけしは、仙台商業高校時代に、ラグビー部で知り合います。しかし、伊達みきおと富澤たけしにとって、そこはラグビーの練習よりも”お笑い訓練”の場だったのかもしれません。当時のラグビー部には、”怖いけど面白い芳賀先輩”を笑わせた順に帰ることができるというルールがありました。
芳賀先輩曰く、ものまねが巧い伊達みきおと、作家タイプの富澤たかしは、当時からいいコンビ。隣の女子校に「トライだ!」と言って突入したり、竹槍を作って、ラグビー練習場の隣の池にいると噂の「人面魚」捕獲に行ったり、とにかくあの手この手で、毎日のように芳賀先輩を笑わせていたんだとか。
高校卒業後、富澤たけしは、他の人物とコンビを組んでお笑いの道を進みますが、ラグビー部での日々が忘れられなかったのでしょう。福祉用品会社で働いていた伊達みきおは、富澤たけしに口説き落とされる形でお笑いへの道へ。1998年には「親不孝」というコンビ名で上京し、後に「サンドウィッチマン」と改名したのです。
伊達みきおはお笑い戦国の天下取りで伊達家の伝説に!!レギュラー8本の大盛況は続く
「伊達の名前を使うな!」と父に突き放されても、「伊達」を名乗り続けた伊達みきお。何としてもお笑いで成功しなければ先人に申し訳が立ちません。しかし、1998年に上京し、2005年には「エンタの神様」でテレビ初出演を決めたものの、サンドイッチマンが大きく飛躍することはありませんでした。家賃68000円の1LDKに、富澤たけしと伊達みきおの2人暮らし続けること10年。
M-1グランプリで、敗者復活からの奇跡的な優勝をもぎ取ったサンドイッチマンは、2015年現在、レギュラー番組8本という盛況ぶりです。伊達政宗が成し遂げることのできなかった”天下取り”を、お笑い界でやってのけた伊達みきお。今後は、新たな伊達家の伝説にとして語り継がれるかもしれません。
また、2011年の東日本大震災では、奇しくも宮城県気仙沼のロケ中に被災したサンドイッチマン。地元が仙台ということで、「東北魂」のロゴTチャリティ、義援金活動、自らが生活物資を運搬するなど、復興支援に大変尽力したことでも知られています。
実はこれらの活動には、「伊達の名前を使うな」と言っていた伊達みきおの父の「仙台出身のお笑い芸人としてやるべきこと」という考えも汲まれていたのです。今では父も、伊達みきおに「伊達」を名乗ることを許しているといいます。
10年間の売れない生活の中、辞めようと思ったことは何度もあったという伊達みきお。多くのぬいぐるみに名前をつけて愛でるという変な趣味もありますが、10年間も折れずに天下取りに挑み続けた伊達みきおには、やっぱり伊達政宗の血を感じざるを得ません。チンピラ風のいでたちも、”伊達心”だったりするのでしょうかね。