中島裕之が契約更改で大幅減!プロ野球選手になりたいと思えた一番の理由は?嫁は美人モデル!?

中島裕之が野球を続けたきっかけは?県立高校時代の成績がすごい!


中島裕之のプロフィール
◆生年月日:1982年7月31日
◆出身:兵庫県
◆身長・体重:180cm・90kg
◆出身校:兵庫県立伊丹北高校
◆ポジション:内野手
◆所属チーム:読売ジャイアンツ

中島裕之のプロ入りは報徳受験失敗のおかげ?

中島裕之(なかじまひろゆき)は、読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手。赤ちゃんの頃から柔らかいゴムボールを持たされて育ったといいますが、これは将来プロ野球選手になることを期待してのものではなく、肩に障害が出るのを防ぐことが目的でした。

出生時、中島裕之は母体内に右肩が引っかかったことなどにより大変な難産だったようです。無事生まれたものの、医師から右肩に障害が残ってしまう可能性を指摘されたという中島裕之は、ゴムボールを持つことが肩のリハビリにつながったのでしょう。

しかし、結果的に物心がつかないほど小さな頃からボールに慣れ親しんだことがきっかけとなったのか、野球少年となった中島裕之は小学生にして全国大会に出場するほどの実力を身に着けます。中学時代はシニアリーグに所属し、高校進学を迎える頃には県外の野球強豪校からもスカウトの声がかかったのだとか。

どの高校へ進むか複数の選択肢がある中、中島裕之は地元兵庫県の強豪・報徳学園を受験するも失敗。数名のプロ野球選出を輩出しているものの、高校野球界では無名の県立高校へ入学します。その後も野球を続け、1年からレギュラー入りした中島裕之ですが、「練習が厳しい報徳に入っていたら、きっと野球を続けていなかった」と明かしていたことが、地元紙の取材記事で紹介されています。

報徳学園は春夏通算36度の甲子園出場を誇り、3度の優勝経験もある強豪校。毎年甲子園出場を目指して厳しい練習メニューが課されます。中島裕之はシニアリーグの厳しい練習に嫌気がさしていたといい、甲子園とは縁がない高校へ進学したことが結果として幸いしたようです。

中島裕之の高校時代の打撃成績がスゴすぎる!

自由な環境に身を置けたことで本来持つ野球の実力が発揮された中島裕之は、1年からレギュラーとして活躍。県大会にも3年間を通じて出場しています。プロ入り後はライオンズで内野手として活躍しましたが、高校時代は1年でライト、3年の時には小学生時代も務めていた投手として出場しました。

そんな中島裕之の高校時代において、特筆すべきは打撃成績です。県大会での母校の成績はベスト16が最高だったものの、個人の成績では通算43本塁打を記録し、この長打力に注目した西武ライオンズが2000年11月のドラフトで5位に指名。推定契約金4000万円、推定年俸600万円でプロの門を叩くこととなったのです。

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中島裕之の嫁はファッションモデルの相沢紗世!馴れ初めは?

中島裕之がモデルの相沢紗世と結婚!美しぎる嫁と話題に

中島裕之の嫁は、モデルの相沢紗世です。2人の結婚が明らかになったのは2015年10月。9月に第一子となる女の子が生まれてから入籍したため、当時は「生まれちゃった婚だ」と騒がれました。

入籍や出産の発表が後になったのは、中島裕之がアメリカ大リーグ・アスレチックから日本球界に戻った後、オリックスバファローズで怪我や成績不振に苦しんでいた大変な時期に妊娠が分かったため。相沢紗世も理解を示し、アメリカから戻った中島裕之を食事面などで支えていたようです。

中島裕之、嫁との馴れ初めは?出会ったのは雑誌の対談だった!

中島裕之と相沢紗世は2011年1月、雑誌「BAILA(バイラ)」で相沢紗世が担当していた対談企画で知り合いました。一目惚れした中島裕之はストレートにデートを申し込み、その年のシーズン開幕を迎える前に初デートが実現。食べ物の好みやスポーツの話題で意気投合した2人は、5月頃から交際をスタートしました。

中島裕之がメジャー挑戦のためライオンズを離れて2013年から2年間アメリカに渡っていた間、2人はメールや電話のやりとりで交際を継続。相沢紗世は仕事の合間を縫ってアメリカへ行き、料理を作るなどして慣れない環境で奮闘する中島裕之をサポートしたのだそう。約4年間の交際を実らせて結婚した2人の間には、2018年2月に第二子となる長男が誕生しています。

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中島裕之のNPB復帰後の成績は?

中島裕之は2012年12月、総額650万ドルプラス出来高の2年契約でアメリカ大リーグ・アスレチックスに移籍。2014年11月に日本球界への復帰を表明すると、渡米前に所属していたライオンズに加え、オリックス、タイガースも獲得に名乗りを上げ、争奪戦となります。

2014年12月、中島裕之は3年最大12億円という年俸を提示したオリックス・バファローズへの入団を発表。2015年シーズンは一軍で開幕を迎えて4番に座ったものの、4月中旬に右太ももの肉離れ、一軍復帰直後の5月下旬にはぎっくり腰で登録を抹消されるなど怪我に泣き、打率も低迷します。2016年シーズンも怪我やスランプに悩まされますが、2017年にはリーグ7位の打率をマークして復調の兆しを見せました。

2018年は前年を上回る打率.289をマークしたものの、打撃不振や故障での戦線離脱が続いた中島裕之は、シーズン通算77試合の出場に留まります。この年のオフに行われた契約更改交渉で、球団は前年の3億5000万円から2億円以上減額となる年俸を提示。中島裕之はこの条件を飲まず、退団を申し入れました。

自由契約となった後、同年11月22日に年俸1億5000万の単年契約で読売ジャイアンツと契約した中島裕之は、正式発表前から記者に「今はやったるで!という気持ちで燃えたぎっています」と意気込みを見せます。2009年3月に行われた「2009 ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)」に日本代表として出場した中島裕之は打率.364の活躍で日本の2連覇に貢献。この大会で日本代表の指揮を執ったのは、ジャイアンツの原辰徳監督でした。中島裕之のフライング発言は、同月13日に秋季キャンプ中の宮崎で取材に応じた原辰徳監督が「何より私と相性がいいと私が勝手に思っている。野球選手として質の高さ、勝負強さがある」と高く評価するコメントを聞き、嬉しさのあまり出てしまったのでしょう。

中島裕之がジャイアンツで再起をかける!

ジャイアンツで迎える2019年シーズン、中島裕之は一軍で開幕を迎えますが5月末には打撃不振で二軍に降格。6月半ばに復帰し、代打で移籍後初ホームランを記録したものの、43試合出場で打率.148、1本塁打5打点という成績でシーズンを終えました。不甲斐ない結果となった中島裕之は、2019年12月19日に行われた2020年シーズンの契約更改で、史上3番目の大幅ダウンとなる87%減の推定2000万円を球団から提示され、これに合意。来シーズンに再起をかけます。

2020年シーズンはオープン戦から気を吐き、12球団トップの4本塁打を記録。打率も.351と上々の成績で開幕スタメン入りし、タイガースとの開幕3連戦では9打数3安打、打点1と好調を維持しています。2020年7月に38歳を迎える中島裕之ですが、日本には少ない攻撃型の遊撃手としてベストナインを4回、ゴールデングラブ賞を3回受賞。2008年から2年連続で最多出塁率のタイトルを獲得した実績もあります。度重なる怪我でなかなかよい結果を残せずにいましたが、まだまだこのままでは終われないとラストチャンスのつもりで臨むシーズンの活躍に注目が集まります。

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