都はるみが結婚した元夫・朝月広臣、内縁の夫・中村一好も亡くなっていた…

都はるみが結婚した元夫・朝月広臣、内縁の夫・中村一好も亡くなっていた…

都はるみの内縁の夫・中村一好は自殺していた!

都はるみ、「あんこ椿は恋の花」「北の宿から」…数々のヒット曲を持つ演歌歌手です。昭和の演歌女王という名に恥じない、華々しい活躍を見せてきた都はるみですが、その栄光の裏では不倫、内縁の夫・中村一好との死別、元夫の死去といった苦難を味わっています。

特に、プロデューサーとして歌手・都はるみを支え、プライベートでは内縁の夫としてともに歩んできた中村一好が自宅で首をつり、自ら命を絶ったことがかなりの痛手を与えました。遺書等もなく、直前まで元気にしていただけにショックは大きかったでしょう。

都はるみの内縁の夫、元夫も!次々に亡くなる…

都はるみは、人気が上り調子だった1979年、作曲家で歌手の朝月広臣と結婚。1982年に離婚してしまいますが、その後プロデューサーとして活躍していた中村一好と交際をスタートし、同棲もはじめます。中村一好は結婚していたため、2人間は不倫関係。中村一好が離婚することができなかったため、内縁関係のまま、20年以上2人は支えあいます。しかし、2008年に中村一好が突然の自殺。翌年には元夫・朝月広臣も病死。自らを支えてくれたパートーナ―を相次いで亡くした都はるみ。失意は深かったはずですが、気丈に歌手活動を続けています。

都はるみ、病気とコンサート活動中止に引退危機?紅白エピソード

都はるみ、病気とコンサート活動中止に引退危機?

都はるみはデビューいらい、ほぼ毎年のように全国をまわるコンサートツアーを続けてきました。2105年11月にも有楽町の東京国際フォーラムで、全国ツアーの最終公演を開催。しかし、そのコンサートの終盤、「来年、コンサートを休ませてもらいます。一生懸命、充電します」と突然のコンサート活動休止宣言をしたのです。

人気絶頂の1984年に芸能界を引退し、1990年に復帰してから25年。2013年には、急性喉頭炎と急性気管支炎で入院も経験しています。現在、病気を患っているという報道はありませんが、都はるみも67歳。「心身ともにひと休みしたいのでは」と関係者はコメントしています。

都はるみ、感動の紅白エピソード!流行語「私に1分間時間をください」とは?

都はるみは、人気絶頂の1984年に「普通のおばさんになりたい」と、36歳で引退を宣言。その年の紅白歌合戦を、ラストステージに選びました。引退の花道として、紅白の大トリを務めた都はるみ。会場の拍手は鳴りやまず、アンコールの声も上がりました。司会の鈴木健二アナウンサーは、この事態に「私に1分間時間をください。今、交渉してみます。(中略)はるみさん、あなたが燃え尽きたのはよく分かる。ね。だけどもこういう状態です。1曲歌う気力がありますか? お願いします、お願いします。」とコメント。こうして、紅白では異例のアンコールが行われ、「私に1分間時間をください」は流行語になりました。

都はるみが走り続けた歌手人生がすごすぎる!

都はるみは、1948年、京都府に生まれました。芸能が好きだった母の影響で、6歳から日本舞踊とバレエを習いはじめ、6歳からは母から浪曲と民謡の手ほどきを受けるようになります。幼い頃から母に芸のイロハを仕込まれてきた都はるみは、洛陽女子高等学校に在学中「歌手になります!」と学校長に宣言、中退します。

そしてその言葉通り、1984年、16歳で『困るのことヨ』で歌手デビュー。その年、『アンコ椿は恋の花』をヒットさせ、日本レコード大賞の新人賞を受賞しました。学校長への宣言通り、歌手として大きな成功をおさめることができた都はるみ。歌手になるべくして生まれてきた才能の持ち主だったといえます。

『アンコ椿は恋の花』に代表される、都はるみ独特の力強いこぶし回しや振れ幅の広いダイナミックなビブラートは、一度聴いたら忘れられないもの。都はるみはこの歌唱法を母のアドバイスを参考に編み出し、それが彼女のトレードマークとなります。実際、日本レコード大賞で『アンコ椿は恋の花』を歌う姿に相澤秀禎は強烈に惹きつけられ、是非ともマネージメントしたいと思ったといいます。その後、長年のラブコールの末、1973年、都はるみは相澤秀禎のサンミュージックに所属することになります。

1976年、「あなた変わりはないですか」の歌いだしが有名な「北の宿から」が大ヒット。日本レコード大賞・FNS歌謡祭最優秀グランプリといったビッグタイトルを総なめします。当時、日本レコード大賞で大賞と新人賞、最優秀歌唱賞の三つの賞をすべて受賞したのは都はるみが初めて。そのことでもいかにすごい歌手だったかが伺えるでしょう。

そして、1984年に突然の引退宣言。1990年に完全復帰をはたし、その後は歌一筋に走り続けていきます。
しかし、内縁の夫との死別、長年支え続けてきたマネージャーの病死と、都はるみを数々の不幸がおそいます。年齢的にも67歳と体力的に厳しくなってきたはずです。コンサート活動休止宣言もそういった事情をあるのでしょう。

しかし、昭和の演歌女王の歌を聴きたい人はたくさんいるはず。1人で20曲以上を歌う単独コンサートという形は難しくとも、今後も歌手活動を続けてほしいものです。

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