太地喜和子、生涯の恋人・三國連太郎との関係!歴代彼氏は?

太地喜和子、生涯の恋人・三國連太郎との関係!歴代彼氏は?

太地喜和子の魔性から逃げ出した、名うてのプレーボーイは三國連太郎

太地喜和子がもし生きていたら、樹木希林と同じ年、72歳になります。太地喜和子は1982年、まだ48歳の若さで亡くなった、昭和の映画・演劇界を駆け抜けた「とびっきり」のいい女でした。彼女と浮名を流した名うての男たちも、その多くが鬼籍に入ってしまいました。

しかし、今でも語り継がれているのは、生涯の恋人とも言わしめた三國連太郎と、18代目中村勘三郎との恋愛です。太地喜和子はデビュー間もない頃、すでに妻子持ちでベテラン俳優であった三國連太郎と不倫関係となり、同棲生活も送っています。しかし、その関係は、わずか半年ばかりで終わりを告げました。なんと三國連太郎が、太地喜和子の元から逃げ出したのです。

10年後に行われた対談で、太地喜和子が三國連太郎に「なぜ逃げ出したのか」と問いかけたところ、三國連太郎は長い沈黙の後、太地喜和子の肉体に溺れていく自分が怖くなり、逃げ出したのだと答えています。ベテラン俳優で名うてのプレーボーイが、少女のような心と成熟した肉体を持った魔性の女・太地喜和子に恐れをなしたということなのでしょうか。

太地喜和子が恋のいろはを教えた相手は、歌舞伎の御曹司中村勘九郎(後の18代目中村勘三郎)

太地喜和子はその後、個性派俳優の秋野太作と結婚しますが、すぐに離婚してしまいます。「私はサービス精神がある限り、見ている人に、この人は帰ったら所帯があると思わせてはいけない」と語ったとおり、太地喜和子はその後、仕事と恋に生きていきます。まだ19歳であった中村勘九郎(後の18代目中村勘三郎)と恋をしたのは太地喜和子が31歳のとき。

恋仲というより、太地喜和子が中村勘三郎に、恋愛や女性の扱い方を手ほどきしたと言えます。その恋はやがて、中村勘三郎が共演した大竹しのぶを好きになったことで自然消滅。そして月日はめぐり、1994年。まだ29歳の宮沢りえが自殺未遂を起こし、39才になった中村勘三郎とのスキャンダルが取り沙汰されることになりました。芸能界というものは、まさに多情多恨、因果な世界と言えます。

太地喜和子、水死事故の真相!当たり役「唐人お吉」とは

太地喜和子は水死事故で伝説に。当たり役、「唐人お吉ものがたり」の因縁

太地喜和子の伝説は、その死をもって確立します。太地喜和子晩年の当たり役は、「唐人お吉ものがたり」のお吉役。江戸時代に実在した伊豆下田の芸者・斉藤きちが幕府の命で、アメリカの総領事の世話役に無理やり差し出され、戻った後は人々の好奇の目と蔑みの中で、酒色に溺れ、自ら命を絶った実話を芝居にしたものでした。

太地喜和子は1992年、芝居の舞台となった伊豆公演の最中、若い男性劇団員二人を伴い飲みに行った帰り、車で桟橋から海に転落。劇団員二人は自力で脱出しましたが、太地喜和子は溺死してしまいます。まさに、酒に溺れ人生を儚んだお吉が、最後に入水自殺したように、太地喜和子は、伊豆の海で死んだことで、伝説の女優となったのです。

太地喜和子は、聖少女か魔性の女か

太地喜和子は酒豪でならし、その奔放な暮らしぶりとは裏腹に、本当はとてもピュアで繊細な心を持った女性だったのかもしれません。決して美人でもなく、スタイルがよいわけでない。ただ男性を引き付ける天性の魔性が、太地喜和子という一女性を不幸にし、一俳優として、伝説の女優とさせたのでしょう。コクトーの小説に、アンファン‐テリブル(魔性の子供)という題名の小説があります。彼女が聖少女か、魔性の女であったかは、もはや定かでありません。

太地喜和子に、「愛した人は三國連太郎だけ」と言わしめた女優という業魔

太地喜和子はかつて、「愛した人は三國連太郎だけ」と公言していたようです。これは一女性として真実であり、かつベテラン女優のリップサービスとしても完璧な一言と言えます。太地喜和子は晩年、映画や舞台、日常生活を問わず、自らのイメージそのままを演じ続けていたようです。

その派手な男性関係や、豪快な飲みっぷりが、さまざまなスキャンダルとなって芸能マスコミを賑わし、「魔性の女」としての太地喜和子のイメージを否が応にも高めていきました。しかし本人は、そんな生き方に少しずつ疲れていたのではないでしょうか。大下英二による「太地喜和子伝説」によると、彼女の友人・ピアニストの佐藤陽子は、太地喜和子の死後、彼氏の一人でもあった勝新太郎の楽屋を訪ね、こう語りあったそうです。「もし喜和子が生に執着していたら、必死の思いで浮かび上がろうとしたはずなのに、なぜか一瞬諦めてしまったのね。その隙をついて、死神が彼女をあの世にさらっていってしまったのかしら」。

しばらく沈黙していた勝新太郎は、「それを『魔が入った』っていうんだな……」と静かに答え、三味線でひと弾きするしぐさを見せたと、伝記の最後を結んでいます。太地喜和子は、女優という業魔に生かされ、また死んでいったのかもしれません。

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