2022年2月21日 更新
岩崎宏美が元夫から子供を奪還するまで苦闘17年!現在の夫は?
岩崎宏美、元夫が子供の養育権はく奪!子供たちとはイベントなどで交流!
岩崎宏美は、2015年でデビュー40周年を迎えた歌手。1988年、商社マンと結婚したときに、芸名を夫の益田姓にあわせて「益田宏美」に改名しました。その後、1989年に長男を、1992年には次男を出産した岩崎宏美。その後、夫婦仲は冷え切り、1995年に協議離婚が成立します。その後、元夫の再婚に伴い、子供たちの養育権をはく奪された岩崎宏美は、元夫の提訴も検討しました。
しかし、「公判中は子供に一切面会させない」と通告され、提訴は断念します。最愛の子供たちを手放さざるを得なかったため、心療内科に通うまでに苦闘したそうです。その後、芸名を旧姓に戻し、岩崎宏美として歌手活動を本格的に再開しました。「子供との面会権を使って、子供とはその後も2カ月に1回のペースで会うようにしている」と、NHKの番組で述べていました。2013年には2人の子供たちが成年に達し、自身のコンサートイベントなどでも交流を深めている岩崎宏美は、事実上の「奪還」を17年がかりで果たしたといえるでしょう。
岩崎宏美、現在の夫はミュージカル俳優の今拓哉!7年半の同棲を経てゴールイン!
岩崎宏美の現在の夫は、10歳年下で、ミュージカル俳優の今拓哉(こんたくや)です。2009年4月30日、岩崎宏美と今拓哉の直筆署名入りFAXがマスコミ各社に送られ、前日29日の婚姻届を提出し、入籍したことが明らかになりました。岩崎宏美のお相手の今拓哉は、長身で甘いマスク、大声量の歌、力強い芝居、そしてダンスまで演じてのける実力派。劇団四季出身で、退団後の現在は、東宝ミュージカルを中心に活躍しています。
岩崎宏美との出会いは、ミュージカル「レ・ミゼラブル」の1998年公演での共演がきっかけでした。2001年秋に声帯ポリープの手術を受け、2人の子供と別れた寂しさもあった岩崎宏美にとって、今拓哉だけが心の支えだったのだとか。それから交際が深まって、夫婦同然の同棲生活となり、2002年には、週刊誌でも岩崎宏美と今拓哉の同棲が報道されます。年下の今拓哉から学ぶことが多いとは語っていた岩崎宏美ですが、報道時点では、結婚については具体的に考えていませんでした。
そんな岩崎宏美と今拓哉は、7年半の同棲を経て、お互いの40歳と50歳という節目の歳に「これからの人生も共に歩いていこう」と、ゴールインを決意します。お互いを「コンちゃん」「ヒロミさん」と呼び合う岩崎宏美と今拓哉は、これからの結婚生活について次のようにコメントしています。「笑顔と相手を思いやる気持ちを忘れずに、愛犬3人との5人家族、一歩一歩、一日一日を大切に、私たちならではの幸せを感じながら、手を携えて過ごして行こうと思っています」。
岩崎宏美の妹・岩崎良美とコロッケの確執とは?!バセドー病、橋本病を衝撃告白
岩崎宏美、コロッケものまねで『シンデレラ・ハネムーン』封印!「お姉ちゃんはそんな顔してないから!」と岩崎良美激怒!
岩崎宏美といえば、ものまねタレント・コロッケの定番ネタとしても有名。コロッケが『シンデレラ・ハネムーン』(1978年)をものまねのレパートリーに取り入れた時期は、「コロッケのものまねの歌」としての知名度が勝り、岩崎宏美のコンサートでイントロが流れると、客席からくすくすと笑い声が聞こえてくることもあったといいます。そのこともあり、『シンデレラ・ハネムーン』を、「あの歌はコロッケさんにあげたので」と、一時期封印したこともあった岩崎宏美。
その影響からでしょうか、コロッケがかつて六本木で飲食店を経営していた際、店の看板が破壊される騒動が起ったとき、ネタにされた岩崎宏美と野口五郎が破壊の犯人だという噂が六本木界隈で流れたことも。とはいえ、当の岩崎宏美は『「そんなに顎を上げてないでしょ」とか突っ込みながら、自分でも笑いましたよ』と、基本的に寛容な態度でしたが、不快感を露骨にあらわにしたのは、妹の岩崎良美の方でした。
コロッケによると、テレビ局の玄関先でものまねの練習をしていたところを岩崎良美に見つかり、「お姉ちゃんはそんな顔してないから!」と激怒されたそうです。その事実が「岩崎良美とコロッケの確執」と、世間に広まったようです。
現在では、「一時期『岩崎宏美』を休憩していたあいだにも、若い世代に名前をつなげてくれた恩人」とコロッケに感謝し、「アーティストとしてもすばらしい方」と語る岩崎宏美。コロッケと2人で共演するほど良好な関係です。
岩崎宏美、バセドー病、橋本病を告白!「上手に付き合っていきたい」と気丈に語る!
岩崎宏美が、2015年4月のフジテレビ系情報番組の取材に対し、甲状腺の病気であるバセドー病・橋本病を患っていることを告白しました。体調の変化に気づいたのは2001年のこと。ダイエットもしていないのに体重が減り始めた岩崎宏美は、体調を疑い始めます。やがて、更年期に近いような症状で、汗が出たり、心臓がバクバクしたり、めまいや耳鳴りなどに悩まされることに。
検査を受けたところ、甲状腺ホルモンの異常によるバセドー病、橋本病であるとの診断結果が出てしまいました。バセドー病は、体重減少や激しい動悸、息切れや倦怠感などの症状がでます。そして、橋本病(慢性甲状腺炎)は、甲状腺が腫大したり甲状腺機能に異常が起こったりする病気。主な症状は、倦怠感、気力低下、体の冷え、顔のむくみ、皮膚の乾燥などがあげられます。
岩崎宏美は、「息切れしたり、手が震えたり……マイクを持って手が震えても、この人は緊張していると思われるのに、さらに膝が笑う状態だったので、すごく不安でした」という中でステージに立ち続けてきたことを告白。現在は処方された薬を服用しながら、「持病の一つと思って、上手に付き合っていきたい」と気丈に話しています。
岩崎宏美が恩師・阿久悠に思いをはせる! 1人の歌手に60曲?
岩崎宏美は、昨年、デビュー40周年を迎えましたが、今も変わらず、恩師として慕い続けているのが作詞家・作家として活躍した故・阿久悠です。阿久悠は、岩崎宏美のデビュー曲『二重唱(デュエット)』から『シンデレラ・ハネムーン』まで14曲連続、アルバム収録曲を含めると、全部で60曲もの作詞を手掛けています。約3000曲とされる阿久悠の作品中、1人の歌手に60曲の作詞を手掛けた例は、おそらく自分だけではないかと思いをはせる岩崎宏美。
岩崎宏美がいつも不思議に思っていたのは、自分の思いが、阿久悠の作詞に見事に反映されていたこと。中でも1977年9月発売のシングル『思秋期』の歌詞は、半年前に高校を卒業した時の情景が思い出され、感極まるあまり、レコーディングに日数がかかったほどだったそうです。
謎が解けたのは、NHKラジオ番組での特集でのことでした。ゲストの阿久悠にスタジオで質問したら、「僕は学生時代、友人のラブレターの代筆をよくやったんだ。名前だけ聞いて、もちろん顔も知らないし、プロフィールも聞かない。想像力だけで書いていたんだよ」との答えが。
それは、阿久悠が天国に旅立つ3カ月ほど前のことでした。天国に旅立った時に、阿久悠から「よく頑張ったね」と迎えてもらえるよう、これからも一生懸命歌っていきたいと語る岩崎宏美。現在、デビュー40周年記念コンサートツアー「岩崎宏美 40周年感謝祭 光の軌跡」が継続中で、ツアーを収録したDVD & ブルーレイもリリースしています。岩崎宏美には、新人時代から高く評価されてきた歌唱力で、今後も息長く活躍してほしいものです。