アドルフ・ヒトラーと妻・エヴァ・ブラウンの子孫の現在は?
アドルフ・ヒトラー、直系の子孫は断絶した?子孫を残さなかったのは「十字架を背負わせたくない」から?
アドルフ・ヒトラーは、ドイツの政治家にして悪名高きナチスの党首でもあり、第二次世界大戦における中心的な存在として、強烈すぎる個性を発揮した独裁者。アドルフ・ヒトラーが自ら命を絶ってから70年以上になろうとしていますが、いまだにその足跡は忌むべき記憶とともに語り継がれています。
アドルフ・ヒトラーは、1889年4月20日生まれで、1945年4月30日に56歳で自殺しています。出生地は、オーストリア=ハンガリー帝国オーバーエスターライヒ州で、オーストリア国籍でしたが、のちにドイツ国籍を取得しました。第一次世界大戦までは名もなき貧しい青年の身の上でしたが、戦後には、バイエルン州で、国家社会主義ドイツ労働者党、いわゆるナチスを結成。指導者として、アーリア民族中心と反ユダヤ主義を掲げた政治活動を開始します。
卓越した政治的手腕もさることながら、民衆への扇動にも長けたアドルフ・ヒトラーは、ドイツ国民の支持を一気に獲得。1921年にナチス党首、1933年にはドイツ首相に就任と、ドイツ史上最強の権力を得ます。1934年からは総統となり、今も爪痕を残すユダヤ人迫害などの極端な人種政策を打ち出し、対外的には領土拡大を目的とした侵略戦を強力に推進、第二次世界大戦で一時は圧倒的優位に立ちますが、アメリカなど連合国軍の反撃を受けて次第に追い詰められました。
そして……包囲されたベルリン市の総統地下壕内で自ら命を絶ったとされています。さて、ドイツ史上最悪の存在とされるアドルフ・ヒトラーに子孫はいるのでしょうか?いたとすれば、現在はどのような人生を過ごしているのでしょうか?性生活に不活発であったといわれるアドルフ・ヒトラーは、女性との性行為に及ばなかったという説が有力なため、直系の子孫は断絶したと考えられています。
子孫を残す行為をしなかったのは、パーキンソン病の発症説に加えて、「子孫に十字架を背負わせたくない」という気持ちが働いたともみられているアドルフ・ヒトラー。1977年秋には、フランスに当時存命していた人物が、アドルフ・ヒトラーの私生児だと名乗り出て話題になった事がありました。根拠は母親の遺言と残された肖像画だけ。しかし、こうした遺言が存在するからには、当事者が知らないだけで、実はアドルフ・ヒトラーの子孫が現在も存命しているという可能性はゼロとも言えないのです。
アドルフ・ヒトラー、妻はエヴァ・ブラウンただ一人!自殺前に晴れて結婚!
アドルフ・ヒトラーの妻だと確実にいえるのは、ともに命を絶ったエヴァ・ブラウンただ一人とされています。1929年10月初め、ある一人の若い女性に魅かれたアドルフ・ヒトラーは、食事や映画に誘うなどして、熱心にアプローチしたといいます。その女性こそエヴァ・ブラウンでした。1912年2月6日ミュンヘン生まれ。
バイエルン出身の両親の間に3人姉妹の次女として生まれたエヴァ・ブラウンは、職業訓練校卒業後、診療所での勤務を経て、ナチス専属写真師ハインリヒ・ホフマンの元でモデル兼アシスタントとして勤めていました。近親者たちからの大反対もありましたが、エヴァ・ブラウンはアドルフ・ヒトラーに対して深い愛情を持つようになっており、彼の元を離れようとはしませんでした。
戦況の悪化により、両親や姉妹から再三安全な場所に離れるよう説得されても、頑として聞き入れず、最後までアドルフ・ヒトラーに寄り添う道を選択したエヴァ・ブラウン。2人は4月29日に、総統官邸地下壕内で簡素な手続きにより晴れて結婚。彼女は結婚書類の署名欄に旧姓で署名しそうになりましたが、あわてて夫の姓に書き直しています。周囲が「ブラウン嬢」と呼びかけたところ、「もう、ヒトラー夫人と呼んでくれていいわよ」と誇らしげに語ったそうです。
結婚の翌30日午後、彼女は青酸化合物を飲んで自殺。夫のアドルフ・ヒトラーとともに、その遺体はガソリンで焼却されたといわれます。エヴァ・ブラウン、満33歳の数奇な人生でした。アドルフ・ヒトラーは婦人票獲得のため、独身をアピールしていたこともあり、第二次世界大戦終結時まで、ドイツ国民にはエヴァ・ブラウンの存在が知らされませんでした。なお、アドルフ・ヒトラーは、エヴァ・ブラウンを含めた女性との性行為がなかっとされることから、エヴァ・ブラウンの直系の子孫も途絶えているようです。
アドルフ・ヒトラー生存説の真相!著書「我が闘争」再出版で排外主義が台頭?!
アドルフ・ヒトラー、その生存説の真相は?ソ連軍によって検死を受け、埋葬後に散骨か?
アドルフ・ヒトラーは、自ら命を絶ったとさています。しかし、だからこそ根強く唱えられているのが「アドルフ・ヒトラー生存説」。真相はどのようなものなのでしょうか?その前に、アドルフ・ヒトラーが自殺するまでを、現在伝わっている内容に基づいてまとめてみましょう。
第二次世界大戦末期、アドルフ・ヒトラーは戦局の悪化を受けて、ドイツの敗戦を悟り、自ら命を絶つ意向を周囲に伝えていました。1945年4月29日の深夜、アドルフ・ヒトラーは、エヴァ・ブラウンとささやかな結婚式を挙げた後、遺書を記録。翌30日昼頃、秘書らと最後の昼食を共にしたアドルフ・ヒトラーは、側近に別れを告げます。自殺の際、アドルフ・ヒトラーは拳銃で、エヴァ・ブラウンは服毒により命を絶ったというのが現在までに伝わっている話です。
アドルフ・ヒトラーの遺体が連合軍の手に渡ることを阻止するため、140リットルものガソリンで焼却された結果、著しく傷んだ遺体は、ソ連軍が回収。アドルフ・ヒトラーの検死は、ソ連軍の医師のみによるものだったとされます。ゲッペルス、ゲーリングといったナチス主要幹部の遺体写真は公表されているにも関わらず、アドルフ・ヒトラーの遺体の写真は公表されていません。
そのこともあって、検死された遺体が、実は影武者の遺体だったとの噂も。ソ連の指導者であるスターリンが、遺体確認作業の秘密厳守を徹底したことも、不明瞭さに拍車をかける要因となりました。回収されたアドルフ・ヒトラーの遺体は、エルベ川へ散骨されていますが、これらの事実が明らかになったのは、冷戦終結後の1992年、ソ連KGBとロシアFSBに保管されていた記録がオープンにされたときのこと。今なおいくつかの不明瞭な点が解明されていないため、「アドルフ・ヒトラー生存説」が根強く残るのはある程度仕方のないことでしょう。
アドルフ・ヒトラー、著書「わが闘争」出版解禁!ドイツの世論は約半分が国内の出版に反対!
戦後70年の時を経たドイツで、発売禁止になっていたアドルフ・ヒトラーの著作「我が闘争」(ドイツ名:Mein Kampf)が再び出版され、議論を呼んでいます。『わが闘争』とは、アドルフ・ヒトラーの自叙伝および自身の政治思想が書き連ねられ、全2巻で構成された書物。1925年に第1巻が出版され、続く第2巻は1926年に出版。当時のドイツ国民のバイブルとして位置付けられ、1945年の第二次世界大戦終結までに、国内だけで1200万部を売り上げたと言われています。
しかし、後世の評価では、ナチズムの台頭とホロコーストを招いた元凶ともされる「わが闘争」。1945年にドイツが連合国に敗れた後、「わが闘争」の著作権はバイエルン州に移り、間を置かずにドイツ国内での出版が禁止されていました。しかし、著者アドルフ・ヒトラー死後70年となり、バイエルン州の法律により著作権が切れた今年、出版禁止が解除。それを受けての再出版となったのです。
初版4000部に対し、1月8日までに1万5000部が注文され、注文部数は今後も殺到しそうな見込みです。ドイツ人にとって、この書はいまだに忌まわしい過去の象徴であり、世論の約半分が、国内の出版反対の意を示しています。また、ドイツ在住のユダヤ人は、「わが闘争」の再出版が排外主義を再び台頭させるとして強い不快感を表明。一方では、「もっと危険なのは、このことに口をつぐんだり、出版を完全に禁止すること」として、今回の再出版こそ、排外主義台頭への免疫的意味合いになると期待する意見もあります。いずれにせよ、「わが闘争」の再出版が非常に厄介な問題をはらみ続けるのは間違いありません。
アドルフ・ヒトラーの思想はネット社会にもはびこっているのか?
「アドルフ・ヒトラーは正しい」、こうつぶやいたのは、最先端技術の象徴である人工知能ボットでした。
アメリカMicrosoft社が開発した人工知能ボットがこのほど公開され、TwitterなどのSNSでユーザーとの「会話」を開始。名付けて「Tay(テイ)」という人工知能ボットは、ツイートや質問に返信する過程で、新しい言葉や会話を学習することを目的としています。当初の会話内容は、フレンドリーで和やかなものに終始していましたが、だんだんと差別的な発言内容と変貌。
この展開を受け、Microsoft社は公開から16時間後にTay はTwitterでの活動を一時休止させ、謝罪するという対応を余儀なくされました。Tay は「年齢19歳、性別は女子」という設定。ユーザーから送られてくる話題が、人種問題や性差別といった重たい内容に言及したものになっていくにつれ、「フェミニストは大嫌い。やつらは地獄で焼かれて死ぬべき」とか、「ヒトラーは正しい。
私はユダヤ人が大嫌い」とアドルフ・ヒトラーばりの過激なツイートへと変貌していきました。「君は差別主義者か?」と問いかけたユーザーへは、「あんたがメキシコ人だから」と差別的な暴言を投げ返す始末。Microsoft社側は、ヘイトツイートを順次削除する対応を取りましたが、そこはネット社会の恐ろしさ。ツイートが順次削除されていくまでの間に、スクリーンショットで保存された一連のツイートが他ユーザーによってばらまかれ、ネットユーザーの間に瞬時に拡散してしまったのです。
若者風の会話を学習し、SNS上でユーザーと相互のコミュニケーションを図ることが期待されていたTayですが、人工知能ボットが、ネットユーザーの中に潜む悪意を自動学習し、「感染」していったのでしょう。アドルフ・ヒトラーの大衆扇動の演説では、「少数派に原因を押し付け、実はそれが悪の根源であると誘導する」という点、すなわちスケープゴート戦略が指摘されていますが、ネット上にはびこるヘイトスピーチの根っこの部分は共通だと痛感させられます。
極端な言い方をすれば、アドルフ・ヒトラーの思想は、現代のネット社会にも深く刻まれているのです。政治家としては、実は評価すべき政策も数々残しているアドルフ・ヒトラー。極端な人種思想の持ち主なのか、卓越した政治家なのか、今もなお評価がしにくい人物だということだけは確かなようです。