武藤敬司のオモシロ名言集!膝の怪我悪化で車椅子生活に!?

武藤敬司のオモシロ名言集!膝の怪我悪化で車椅子生活に

武藤敬司のオモシロ名言、迷言、珍エピソード!橋本真也にも劣らぬ天然!?

武藤敬司は、新日本プロレス時代には「闘魂三銃士」として、また全日本プロレス退団後、WRESTLE-1(レッスル・ワン)を設立してからは「闘う社長」として、30年以上にわたり現役を続ける日本レスラー界のレジェンドです。
闘魂三銃士として人気を博したのは、武藤敬司・橋本真也・蝶野正洋の3人。その人柄について、橋本真也の変人っぷりは万人の知るところではありますが、武藤敬司もまた、橋本真也に負けず劣らずの天然キャラとして知られています。

1980年代後半、新日本プロレスが大量離脱に見舞われた際、若手の期待株だった武藤敬司と橋本真也が道場から姿を消しました。周りが「武藤と橋本もか!」と色めきだったところ、実は2人で夜のお店に出掛けていただけだったとか。
発言でも、その天然っぷりが顔を出す武藤敬司。ザ・グレート・サスケとの対戦を控えた意気込みとして「サスケのブサイクな顔を見たい。一度も見たことがないけど」と、マスクマンに対して身も蓋もないコメント。

最近では、新日本プロレスの解説席に座った際、現在の新日本プロレスのエース・棚橋弘至が、武藤敬司も得意技として使っていたドラゴンスクリューを決めたのを見て、「テレビをご覧の皆さん、あれ俺の技だよ!」と、いきなりのオレアピールを開始。現在一線級のレスラー相手にもまだまだ負けてない、という意気込みこそが、武藤敬司がいまだに現役を続けられる原動力になっているのかも知れません。

武藤敬司、膝の怪我はムーンサルトの代償。悪化で車椅子生活に!?

武藤敬司の体は、長年のレスラー生活によって満身創痍。特にひどいのが右膝の怪我で、すでに4回も手術したそうです。
膝を故障したのは、若手時代に得意技としていたムーンサルトプレス(コーナーポスト最上段から後ろ向きに宙返りする技)を多用したため。成功しても、失敗しても、膝を強打するムーンサルトプレス。「海外で這い上がるため」と、膝の痛みをこらえて使用し続けた代償だと武藤敬司自身が話しています。

現在、怪我した膝は真っ直ぐ伸びず、300メートル以上は休み休みでないと歩けない上、膝への負担を軽くするために車椅子を使用することも。武藤敬司が、試合中にロングタイツを愛用しているのは、テーピングでガチガチに固めた膝を隠すためです。それでも一度リングに上がれば、膝の怪我を思わせない闘いぶりを見せるところが、レスリングマスターと称されるゆえんでしょう。

武藤敬司の絶賛キムチが大好評!奥さんや子供の溺愛ぶり!

武藤敬司監修の絶品キムチが大好評!大好きな焼肉店をプロデュース!

武藤敬司は、大の焼肉好きとしても知られています。2012年には、武藤敬司がプロデュースしたキムチまで発売されています。その名も「武藤敬司の絶賛キムチ」。当時の武藤敬司のブログでは「このキムチの白菜はよ、持続農業法に基づいて土作り、減化学肥料、減農薬の3つの技術を駆使して育てた新鮮な国産白菜を使用してんだよ」と、意外にも素材重視のアピールを繰り出しています。

続けて、「その白菜をよ、秘伝のタレで調味してよ、隠し味に韓国調味料を加えたんだよ。そしたらよ、ガツンとインパクトのあるキムチに仕上がったよ」とキムチを紹介。1個198円とリーズナブルで、なかなか美味しそうですが、すでに4年前の商品なので、現在も販売されているかが分からないのが残念ですね。

武藤敬司の焼肉好きは本物のようで、いくつかの焼肉店のプロデュースも手がけています。昨年は、池袋に「焼肉Dining610(ロクイチマル)」をオープン。武藤敬司の技名にちなんで、四の字固め(ロース)、ムーンサルト(カルビ)、シャイニングウィザード(ユッケジャンスープ)など、武藤敬司ファンにはたまらない料理がラインナップされています。

また、兵庫県内では「焼肉武藤道場」という焼肉チェーン店を2店舗プロデュース。兵庫県内特産の但馬牛の厳選した肉だけを使用し、こちらも武藤敬司の必殺技にちなんだ「超ロング!シャイニングソーセージ」等のメニューがずらり。武藤敬司本人も、たびたび店を訪れては、サイン会や握手会を開いているようです。

武藤敬司の奥さんや子供の溺愛ぶり!愛娘は子役の武藤愛梨!

武藤敬司は、そのいかつい風貌に反して、元女優の奥さん・久恵さんにデレデレです。友人の蝶野正洋を応援するためにプロレス会場にやってきた久恵さんに一目惚れした武藤敬司が、蝶野正洋に頼みこんで紹介してもらったのが2人の馴れ初め。そんな武藤敬司は、奥さんに対して甘えっぱなしで、メールの返信から何から全部やってもらい、Twitterを更新しているのも奥さん。

それでも、結婚記念日や誕生日には、サプライズでダイヤの指輪をプレゼントしたり、明日出発の海外旅行のチケットを急に手渡したりと、奥さんへの気遣いも欠かさないよう。甘えっぱなしなだけではなく、そのあたりの気遣いが、今でもとても円満だという夫婦仲の秘密なのでしょうか。

武藤敬司は、メロメロな奥さんとの間に1男1女の子供があります。その一人娘でタレントの武藤愛梨への溺愛っぷりが異常だと評判です。実際、背中がかゆいとわざわざ呼びつけて掻いてもらう、ツルツル頭の脂とりをやってもらう、耳かきや足の爪切りなど生活のほとんどを娘に甘えっぱなし……という姿がTV番組で紹介されている武藤敬司。娘を溺愛するあまり、露出の大きなショートパンツを履くことを絶対許さないのだとか。それだけ娘の武藤愛梨を愛しているということなのでしょう。

武藤敬司、髪型でたどるそのプロレスラー人生!

武藤敬司は、今でこそスキンヘッドに白い髭、というスタイルが定着していますが、元からこういうスタイルだったわけではありません。武藤敬司にも髪の毛フサフサだった時代があったことを知らない人も多いのではないでしょうか。そこで武藤敬司の髪型から、そのレスラー人生をたどってみたいと思います。

武藤敬司は、1984年に新日本プロレスに入団。「ヤングライオン」と呼ばれる若手時代は、坊主か角刈りに黒パンツ、黒シューズというスタイルがルールだったため、武藤敬司ももちろん同じ格好です。

しかし、天性の運動神経とルックスの良さが買われて、将来のエース候補と目された武藤敬司。「ヤングライオン杯」の優勝者が海外遠征に行くという慣例を破り、1986年に最初の海外遠征を経験しました。アメリカ・フロリダで自由になった武藤敬司は、髪を伸ばし、顔を白塗りにして「ホワイトニンジャ」というキャラで人気を博します。

帰国後、キラキラしたラメの入った青いロングタイツに、白いリングシューズ、ブルゾンに「610」とロゴが入った「スペース・ローン・ウルフ」というギミックで売り出された武藤敬司。フサフサした髪の毛と端正な顔立ちで、たちまち女性ファンに人気となり、「ジャニーズ系レスラー」ともてはやされます。

しかし、当時の新日本プロレスは、UWFとの抗争真っ最中。格闘技路線と正反対の派手なアメリカンプロレススタイルの武藤敬司は、ファンの支持を得られずに再び海外遠征に出かけます。

アメリカに渡ると、WCWで、グレート・ムタとして人気が爆発し、顔をさまざまな色にペイントし、毒霧を吐くスタイルが大受け。その頃の写真を見ると、まだジャニーズ系の髪型をしていますが、前髪がやや寂しくなリ初めています。

1995年ごろは、オレンジ色のタイツ姿で新日本プロレスで大活躍。10.9東京ドームで髙田延彦を破った一戦は、今でも語り草です。試合当初は目立たないものの、汗をかくと前髪がおでこに張り付いて、薄さがちょっと気になるようになってきたのはこの頃から。

1998年には、プロレス界だけでなく、一般を巻き込んだ一大ムーブメントとなっていた、「nowジャパン」にグレート・ムタとして加入。しかしその頃は、「nowジャパン」のトレードカラーである黒塗りにしていたため、それほど頭皮は目立ちませんでした。しかしムタをやり切ることに限界を感じて武藤敬司に戻ると、髪の毛の薄さが一気に顕著に。ファンからも「武藤、髪が薄くなったぞ!」等とヤジられるようになってしまいました。

2000年に「nowジャパン」が消滅すると、崩壊寸前のWCW参戦のため、武藤敬司は再びアメリカへ渡ります。しかし、試合機会を満足に得られず帰国。国内復帰戦となった12月31日大阪ドームでの「INOKI BOM-BA-YE 2000」で、武藤敬司はスキンヘッド姿を初めて披露しました。

その後、2002年に格闘技路線にひた走る新日本プロレスの方針に反旗を翻して、全日本プロレスに移籍。2013年には、その全日本プロレスも退団し、新団体WRESTLE-1を旗揚げ、現在に至ります。

髪の毛も試合中の動きも、決して全盛期のようにはいかない武藤敬司ですが、プロレスリングマスターとも評される天才的な動きで、これからもプロレスファンを魅了し続けてもらいたいと思います。

関連記事

ページ上部へ戻る