夏目雅子は被爆が白血病の原因だった?闘病生活の記録!

夏目雅子は被爆が白血病の原因だった?闘病生活の記録!

夏目雅子の死が、「西遊記」中国ロケでの原爆実験による被ばくと言われるのは、伝説の女優だからこそ

夏目雅子は女優としてこれからというとき、急性骨髄性白血病を発症しました。そして1年足らずの闘病生活の末、一時は回復も伝えられながらも、抗がん剤の副作用か肺炎を併発して亡くなってしまいます。

伝説の人となる条件として、よくいわれるのが、不治の病による夭折。夏目雅子が白血病になった原因が、「西遊記」で何度もロケに行った中国での核実験の被爆によるものではと、今もまことしやかに語られるのも、夏目雅子が伝説の女優である所以です。

夏目雅子が、「なめたら、いかんぜよっ!」と啖呵を切ったのは、まだ24歳の時

夏目雅子は、1957年生まれで、1985年、わずか27歳の若さで亡くなっています。伝説と言う言葉が、レジェンドとカタカナになって、ちっとも伝説でなくなった今、本当に伝説の女優と呼べるのは、昨年亡くなった原節子と夏目雅子ぐらいではないでしょうか。

幾度もテレビで再放送されているので、若い人たちでも知っている方が多いでしょうが、夏目雅子は日本テレビ「西遊記」で、女性ながら高貴でキュートな三蔵法師役を演じて人気に。映画「鬼流院華子の生涯」では、映画のクライマックスで叫ぶ、「なめたら、いかんぜよっ!」が流行語となり、その凄艶な美貌と演技力で、今後が期待されていました。

夏目雅子は、その時まだ24歳の若さ。ちなみに今同い年の女優には、元AKBの前田敦子や、北乃きい、昨年のNHK連続テレビ小説「あさが来た」で人気となった波瑠などがいます。波瑠は、デビュー当時から、夏目雅子に似ているといわれ、実際、ドラマで夏目雅子役を演じていますが、彼女らが今、どんなにがんばっても、「鬼流院華子の生涯」のヒロインを演じることは決してできないでしょう。

夏目雅子の夫・伊集院静の現在は?姪・風間柚乃が生まれ変わりと話題に!

夏目雅子を伝説の女優としたのは、「愚か者」の無頼作家

夏目雅子を伝説にしたのには、その短い女優生活とともに育んだ、無頼作家との忍ぶ恋と儚い結婚生活もありました。夏目雅子の相手とは、今や文壇の巨匠であり、人生の御意見番として有名な伊集院静。当時の伊集院静は、広告やコンサートの企画・演出、近藤真彦の「ぎんぎらぎんにさりげなく」や「愚か者」などの作詞家として知られた業界人でした。当時、家庭を顧みず、酒やギャンブルに溺れる放蕩無頼の生活を送っていた伊集院静。

夏目雅子との出会いは、伊集院静が関わっていた、カネボウ化粧品の夏のキャンペーンガールに、当時全く無名だった夏目雅子を採用した時からでした。ビキニのブラを外して浜辺を駆け抜けた、小麦色に輝く夏目雅子のポスターは、当時の青少年の度肝を抜きました。

その頃、妻と離婚し東京での荒んだ生活を精算して、一人旅に出たた伊集院静。そしてたどり着いたのが、湘南逗子にある「渚ホテル」です。以後7年、伊集院静はここで暮らして、小説家の道を歩み始めます。

夏目雅子は、人気女優として忙しい仕事の合間を縫って、逗子に訪れ、二人の関係が深まっていったのです。この頃、二人の逢瀬を見守ったのが、地元の小さな寿司屋でした。二人はカウンターに並び、「薔薇」というような難しい漢字を教える伊集院静を、夏目雅子は天使のような瞳で見つめていたそうです。

二人の結婚式は、この寿司屋夫婦が媒酌人を務め、内輪の仲間だけで行われました。しかし、病魔は確実に夏目雅子の体を蝕んでいました。夏目雅子が闘病の間、一切の仕事を断り、ずっと付き添っていた伊集院静。夏目雅子について書くことを、永く封じていた伊集院静でしたが、近年書かれた「なぎさホテル」「いねむり先生」(伊集院静が師と仰いだ、色川武大のこと)で、当時の二人の様子を知ることができます。

夏目雅子の彷彿とさせる姪っ子・風間柚乃は、宝塚の男役デビューを果たしたばかり

夏目雅子の弟の小達敏昭は、プロゴルファーになっています。そんな弟の娘、風間柚乃は、宝塚に入って男役としてデビュー。宝塚音楽学校に入学が決まったときも、若かりし頃の夏目雅子を彷彿させる雰囲気を持っていると話題になった風間柚乃でしたが、早くも、女優デビューが期待されているとか。宝塚100期生という記念すべき年に入団を果たした風間柚乃。宝塚ファンでなくとも、今後が気になる女優の一人ですね。

夏目雅子の遺作映画「瀬戸内少年野球団」が再ドラマ化。ヒロインに武井咲ってどうよ?!

夏目雅子の遺作映画は、白血病に倒れる直前に撮られた篠田正浩監督の「瀬戸内少年野球団」でした。昭和の大作詞家、阿久悠の自伝的小説が原作の「瀬戸内少年野球団」は、戦後間もない淡路島を舞台に、野球を通じて国民学校の子供たちと、若い女性教師との交流をノスタルジックに描いた佳作です。この作品でもまた、夏目雅子の「わたしたち、野球をやりましょう」という台詞が、有名となりました。

実は、この「瀬戸内少年野球団」、夏目雅子の遺作であるととともに、今をときめく国際俳優、渡辺謙の映画デビュー作でもありました。渡辺謙が後に何度も白血病にかかりながら病を克服したことには、何か不思議な因縁を感じます。この「瀬戸内少年野球団」が、30年以上の時を経て、テレビ朝日のスペシャルドラマとして再ドラマ化されることが発表されました。ヒロインには、「国民的美少女コンテスト」出身の、武井咲が起用されるそうです。

しかし武井咲は、まだ22歳。出征した夫の帰りを待つ女性教師の役は、まだ荷が重いように思われます。そういってしまうと、夏目雅子が、ヌードも辞せず「鬼龍院花子の生涯」で見せた堂々たる演技は、24歳のときですから、何とも矛盾してしまいますが、それもこれも最近の芸能界、ひいては世の中全体の幼児化が進んでいるからかもしれません。ちなみに今、夏目雅子と同じ年の女優には、大竹しのぶや名取裕子、戸田恵子などがいます。もし、夏目雅子が今も生きていたら、いったいどのような女優になっていたでしょうか。

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