安藤優子、地震速報混乱の真相は?結婚した夫も心配する滑舌と英語力

安藤優子、元祖女性ニュースキャスターの晩節に暗雲

安藤優子、「直撃ライブグッデイ」の視聴率1%の衝撃

安藤優子は、長年担当していたスーパーニュースで、勇退の花道を選んだ方がよかったのではないかという声が上がっています。

フジテレビ4月の番組改編の目玉として、日本テレビ系列の「情報ライブミヤネ屋」に対抗するため立ち上げた、安藤優子の「直撃ライブグッデイ」の視聴率は、今や瀕死の1%台に低迷しています。元祖できる女、事件が起こると興奮する女、安藤優子は、いったいどうする!

安藤優子、できる女はニュースキャスターをめざす

安藤優子。1958年生まれ、58歳。1974年、日比谷高校に入学。在学中には、交換留学生としてミシガン州ハートランド高校へ留学。私立オークランド・カレッジを経て帰国し、上智大学国際学部比較文化学科に入学します。ホテルで働くことを目指して、安藤優子は、渋谷パルコでエレベーターガールのアルバイトをしていました。ある日、外国人客と堪能な英語で話をしていたところを、テレビ朝日のプロデューサーにスカウトされ、1980年、同局の「BIG NEWS SHOW いま世界は」で、まだ在学中にテレビリポーターとしてデビューします。彼女を一躍時の人にしたのは、1986年に起きた、フィリピンの政変です。大学を休学してテレビの仕事を続けていた彼女は、マニラにいて、傍らで流れるNBCのニュース速報を聞き取りながら、マルコス前大統領の亡命および政権崩壊の一報を、「ニュースステーション」放送終了1分30秒前に、見事に電話でリポートしたのです。時に安藤優子、27歳。前年1985年には、男女雇用均等法がスタート。ニュースキャスター安藤優子は、まさにできる女の代表的存在となったのです。

安藤優子、大事件に興奮する女の30年

安藤優子は、大災害・大事件に興奮する女

しかし歳を経るに従い、安藤優子は様々な批判にさらされます。特に地震や竜巻などの大災害や大事件が起こった時には、被害の立場や冷静な客観報道よりも、事件を混乱気味に・・・もといセンセーショナルに伝える傾向が強く、またキャスターとしての高圧的な物言いや、芸能、スポーツネタなどをあからさまに格下に見る姿勢が、批判の的となりました。さらに彼女の2度の結婚は、いずれも妻子ある男性との略奪婚で、2度目の結婚相手は、自分の番組のプロデューサーであった堤幸一氏です。このような点も、女性視聴者からのパッシング材料となりました。

安藤優子、元祖できる女の再起を願って

お昼の情報番組のメイン視聴者が、中高年の女性層であることを考えると、「直撃ライブグッデイ」の彼女の起用は適任とは言えません。また前から指摘されていた滑舌の悪さも加齢とともにさらに悪くなっているようです。後ろ盾であった夫の堤氏も、子会社の社長へ移動が決まり、いよいよ後ろ盾を失った彼女は、窮地に立っています。しかし、番組の不振は、安藤優子個人の問題ではなく、企画編成能力を失ってしまったフジテレビに、大きな責任があると考えられます。
できるなら、元祖女性ニュースキャスターとして輝かしいキャリアを誇る安藤優子には、もう一度、燃えるジャーナリスト魂を発揮できる番組でリベンジされることを祈るばかりです。

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