中孝介のプロフィール!奄美シマ唄の独特な歌唱法が忘れられない!
中孝介の気になるプロフィール!
中孝介(あたりこうすけ)は、奄美シマ唄で人気の歌手です。1980年に奄美大島で生まれた中孝介は、高校時代に、奄美シマ唄を独学で学び始めました。
1998年には、奄美民謡大賞に出場し、努力賞を獲得。2000年には、新人賞を受賞しています。同時に、日本民謡協会奄美連合大会でも総合優勝したことから、同年にアルバム「アタリ」をリリースした中孝介。琉球大学卒業後となる2006年には、エピックレコードジャパンから、シングル「それぞれに」にてメジャーデビューを果たしました。
同時に中華圏でアルバムを先行リリースすると、中孝介の唄声は、台湾や香港でも人気を集め、台湾のミュージックチャートで初登場1位を獲得しています。日本国内でまだあまり実績のないアーティストが、海外デビューしていきなり1位というのはとても稀なことです。その高評価を証明するがごとく、香港の超人気俳優にして歌手のアンディ・ラウも、中孝介の楽曲をカバーしています。
中孝介が歌う奄美シマ唄!独特な歌唱法が忘れられない!
中孝介が歌う奄美シマ唄は、奄美に伝わる歌唱法で、独特な雰囲気があります。奄美シマ唄の基本的な歌唱法は、演歌における「コブシ」に近い「グィン」と呼ばれるものと、仮声ともいわれる「ファルセット」を多用する歌唱法。奄美だけに伝わっていて、「島唄」として有名な沖縄シマ唄とも違うそうです。
その起源をさかのぼると、作物の豊穣を祈願して神様に捧げるために唄われたことが元になっており、旧暦8月15日に行われる「8月踊り」と呼ばれるお祭りで唄われます。ちなみに、その昔、奄美シマ唄の伴奏は、三線(さんしん)ではなく、太鼓だけで伴奏されていたのだとか。
さらにこの三線も、奄美と沖縄では違うそうです。中孝介が歌う奄美シマ唄は、古来受け継がれてきた奄美独特のエッセンスが込められているからこそ、より深く人々の心に響くのでしょう。
中孝介はカバーアルバムも一味違う!元ちとせの関係とは?
中孝介はカバーアルバムもやっぱり一味違う!
中孝介は、多くのアーティストの楽曲をカバーしていますが、カバーアルバムもやっぱり一味違うと評判です。「ベストカバーズ~もっと日本。~」には、日本人に馴染み深い名曲が数多く入っています。たとえば、美空ひばりの「愛燦燦」や、坂本九の「上を向いて歩こう」など、カバーされているのは、どれも時代が変わっても愛され続ける名曲ばかり。
この他にも、ボーカロイド曲として人気の「桜ノ雨」や、河口恭吾の「花」、モーニング娘の「雨の降らない星では愛せないだろう?」なども収録されているので、どの世代にとっても聴きごたえ十分でしょう。
実際に中孝介のカバー曲を聴いた人からは「目当ての曲があって購入したけれど、どの曲も良かった」「曲に新たな命を吹き込まれ、また違う魅力が感じられた」などと称賛されています。独特の奄美シマ唄の歌唱法に「癒される」という感想も多い中孝介のカバーアルバム。ぜひその癒しの唄声を聴いてみてください。
中孝介を唄の世界に導いた元ちとせとの関係は「お中元」?
中孝介と、奄美民謡歌手として知られる元ちとせ(はじめちとせ)は、同じ奄美出身の歌手ですが、現在も交流があるようです。中孝介が初めてシマ唄を聞いたのは高校生の時で、元ちとせのライブでのことでした。元ちとせは、高校在学中、自身が唄ったシマ唄の「朝花節」が、映画「男はつらいよ 寅次郎紅の花」の中で使われるなど、早くから民謡歌手としての才能が注目されていた人物です。
2002年にメジャーデビューした元ちとせは、シングル「ワダツミの木」でいきなりシングルチャート1位を獲得。オリコンでも年間3位という記録を達成しています。いわば中孝介を唄の世界に導いたのが元ちとせともいえますが、この2人、実は、コラボユニットを結成していました。ユニット名は、中孝介の「中」と、元ちとせの「元」をあわせて、「お中元」。曲は、「春の行人(ゆこうど)」で、九州新幹線の全線開業を記念したキャンペーンソングとしてタイアップされています。
中孝介のシマ唄が心に響く!森山直太朗とコラボ!「花」の魅力!
中孝介は、聴き手の心に響く独特の歌唱法で奄美シマ唄を唄う人気歌手です。そんな中孝介が、デビュー10周年を記念したベストアルバム「THE BEST OF KOUSUKE ATARI」を、2016年10月にリリースしました。2枚組で全28曲というボリュームで、聴きごたえのある名曲が揃っていますが、この中には、中孝介が3枚目にリリースして、大ヒットしたシングル「花」も入っています。
「花」は、森山直太朗と御徒町凧のコンビが中孝介のために書き下ろした楽曲で、その後、森山直太朗自身もセルフカバーしたという名曲。ベストアルバムのリリースを記念して行われた2人の対談で、中孝介は、楽曲制作を依頼するにあたって、「誰にでも伝わるような普遍的な感情を唄いたい」と、森山直太朗に伝えたといいます。
これに対して、「ちゃんと想いを言葉にできる人」だと感じた森山直太朗は、その時中孝介が唄ったシマ唄を聴いて、曲のインスピレーションが一気に沸き上がったと明かしました。台湾映画の主題歌を担当したり、2015年からは、同じく台湾で、テレビ番組にレギュラー出演したりするなど、日本のみならず中華圏での活動も順調な中孝介。
11月26日からは、日本国内5都市(鹿児島、福岡、大阪、東京、山形)を回るコンサートツアー「The Best of Kousuke Atari」の開催も控えています。これからも、その唄声は、日本や中華圏、さらにその先へと広がり、多くの人の心を震わせるに違いありません。